第17話 「聖女が少女に戻る時」
騎士たちが続々と集まってくる中、包囲網が形成される前にリルネは飛んだ。
同時に風の魔法を使用しているのか、彼女の跳躍力は人間離れしている。近くの建物の屋根に飛び乗ったリルネは、騎士たちを前方に捉えながら炎の精霊に命を下す。
「アシード!」
『承知』
するとリルネの右腕に絡みつきながら顕現したサラマンダーは、その口蓋からいくつもの火炎弾を放った。
次々と地上に降り注ぐ炎は、うまく住人たちを避けて打ち込まれていたものの、騎士たちにとってそんなことはわからないだろう。
「ゆけ! ゆけ! 早く捕まえろ!」
怒鳴り声をあげているのは、赤いマントを着た騎士だ。他のやつらに指示を下していることから、この現場の指揮はあいつが取っているのだろう。
俺は民家の影に隠れながら小さく「ジャッジ」とつぶやく。
よし、ステータスが表示された。あいつは黒衣の化け物じゃない。妻と子どもがいる42才の平凡な騎士長だ。
リルネが騒ぎを起こしているところで、集まってきた騎士を俺がどんどんと『鑑定』してゆく。目的は鑑定が効かない敵を見つけ出すためだ。まあ、騒ぎってレベルじゃないけどな、これ。
大通りはパニック状態だ。叫び声や悲鳴が響いている。そんな住人たちをかきわけながら、騎士たちは思うようにリルネを捕まえられずにいた。
グロリアスは――。
まだ動いていない。あくまでもあいつは仮面の聖女を背にかばっている。
すまんリルネ、もう一息だ。
「まったく、本当に無茶言うんだから! なんなのよ! 急に! こんな! 言っとくけどあたしは普段、虫も殺せないようなか弱い女の子なんだからね!」
そう叫んでは、リルネは暴風を手のひらから発生させた。その場に踏みとどまれない騎士たちが一斉に吹き飛ばされてゆく。そういうことも学校で教わったんだろうか。
風魔法も第四位のスーパー魔法使いサマは、さすがだな。
「ああもう! もう二度とくじけないとは言ったけど! ちゃんとあとで説明してもらうからねー!」
しかし、ロクに説明もしていないのに、ここまで大暴れしてくれるなんてすごいなリルネ。騎士たちがまるで枯れ葉のように吹き飛ばされてゆく。下級騎士では相手にならないようだ。
あいつ、やっぱり才能あるよ、うん。大暴れする才能。あるいは子どもの頃からずっとテロリスト相手に無双する光景を妄想していたのかもしれない。
と、見とれている場合じゃない。
しかしどんなに探しても、騎士たちの中に黒衣の化け物は見当たらなかった。
こんなに『鑑定』を連打するのは初めてだ。
やがて一回ステータスを視るごとに、頭痛が走るようになった。これはなんだろうか。痛みは回を重ねるごとに、ズキンと主張をし出す。やがて思わず声が漏れるほどの苦痛へと変わった。
こんなの聞いていないぜ。
「うぐっ……、く、なんだよこれ……、ただ視るだけの能力に、こんな代償があったのかよ……」
早くその中から黒衣の化け物を見つけないと……。
効かない相手がいるはずだ、鑑定が……。
いるはずなのに、見つからない。
もしかしたら俺たちの目的に気づいて、高みの見物をしているのか?
パレードには、来ていない?
だとしたら、このままでは。
リルネはまだ余裕がありそうだけれど、追い込まれてからじゃ離脱する時間がなくなっちまう。
いい加減焦れてきたそのときだ。
――ついに、グロリアスが動いた。
仮面の聖女に一礼をすると、彼は事態の収拾を図るために、馬車を降り立つ。
俺はリルネに合図をするため、バッグから発煙筒を取り出した。
近所のホームセンターで買ってきた発煙筒だ。お値段は798円。すり薬をこすって点火する。それを思い切り投げつけた。
「なんだ!?」
「これは、火薬か!?」
「火が出ているぞ、下がれ!」
この世界の人はだれも発煙筒なんて見たことないもんな。
浮足立つ騎士たちの足元で、赤い光が激しく燃える。それを見たリルネは手はず通り後方へと飛び立った。
「む」
馬車から降りたグロリアスは、突然テロを仕掛けてきた謎の女を追おうか追うまいか一瞬躊躇した後に――。
――クライが姿を現した。
少年は騎士たちの間を駆け抜けてゆく、人混みに紛れながら馬車に近づくと、音もなく跳んだ。
間隙を縫うように馬車の上に降り立った少年は、先ほどから立ちすくんでいた仮面の聖女へと、手を伸ばす。
「いこう、ティリス」
「――」
そのとき、聖女がなにを言ったか、俺には聞こえなかった。
だが、彼女は抵抗をしなかった。
クライが聖女を抱きかかえて、馬車からさらに跳んだ。
「えっ、あ、きゃああああああああああああああああ!」
絹を割いたような叫び声をあげる聖女を見るのは、きっとみんな初めてだろう。
人々は目を丸くしていた。それは騎士たちもだ。どちらかというと神聖不可侵の聖域に踏み込んでしまったような、戸惑いが強かったのだろう。皆が足を止めた
ただひとり、グロリアスだけが己の職務を全うしようと動いていた。
「聖女さま――!」
グロリアスは剣を抜く。だがその距離で振るえば、聖女も巻き添えにしてしまうだろう。
だから彼はクライを追うことにした。その行く手を遮るのはやはり、我らがスーパー魔法使い。
「
いくらグロリアスといえども、クライの姿に気を取られ、聖女を追いかけながらでは、リルネの魔法をまともに食らうのも致しかたないことだろう。
我らが
地面に叩きつけられたグロリアスは動かない。周囲にいた騎士たちも動揺を隠せないようだ。なんといっても、あの化け物のように強いグロリアスが叩きのめされたのだから。
リルネは自らの雪辱を、自ら晴らしたのだ。
しかしこれが致命傷には至らないことを、俺やクライはもう十分すぎるほどわかっていた。不意の魔法一発で仕留められるほど、聖女の騎士はやわではない。
仮面の聖女をさらい、俺たちはその場を逃亡した。
さあ、追ってくるがいい、グロリアス。
そこにきっと黒衣の化け物が、現れるはずだから――。
俺たちはスターシアが用意していた馬車に乗って、第四区へと向かっていた。
今のところはなにもかもがうまく行きすぎている。こわいほどだ。
だがここに辿り着くまでに、クライの何十回もの
すぐに騎士たちは追っ手を差し向けてくるだろうが、それまでに多少なりとも時間は稼げる。
その間に、こちらも準備を整えなければならない。
あとは時間との戦いだな。
馬車の中は手狭で、俺とクライ、それにリルネと聖女とスターシアの五人でいっぱいいっぱいだった。
聖女には、リルネの着ていた外套をすっぽりとかぶせてある。彼女はクライの顔を見たからか、ずっと大人しくしてくれていた。もし泣き喚かれたら、違ったルートで第四区に向かわなければならなかったところだ。
「傍目にはあたしたち、完全に人さらいの集団よね……」
「傍目というか、やっていることはそのまんまというか……」
御者に聞こえないようにリルネと囁き合う。
スターシアひとりがうふふと笑っていた。
「なんだかこういうの、楽しいですね」
「そ、そうか?」
「はい、とってもドキドキします」
ぎゅうぎゅうの車内で熱っぽくスターシアに見つめられて、俺もドキドキしてしまう。
密着していると、耳からこぼれ落ちる亜麻色の髪から漂ってくる香りが、鼻孔をつく。
ここしばらくずっと人心地つけなかったからな……。久々のスターシアの色気にくらっときちゃうな。
そんなことを思っていると、リルネが面白くなさそうな目でこちらを眺めていた。
「ちょっとそこのふたり。こんなときにえっちなムードにならないでくれない?」
「だ、誰がだよ!」
「そ、そんな、わたしは、違いますっ」
慌てて顔を赤くしながら否定するスターシアに、リルネはため息をつく。
「まったく、これだから今どきの若い娘は……」
スターシアが今どきの娘かどうかはともかくとして、そうしているリルネは完全にお局様のようだ。外見年齢は十五歳なのに……。
それはそうとして、だ。
「……急にごめんな」
クライは俯きながら、隣の少女へと声をかけた。
少女は声を出さずにふるふると首を振った。
俺は『鑑定』を使う。
脳が引っかかれるような強烈な痛みが俺を襲った。思わず両目をきつくつむってしまう。そのうち痛みで気絶するんじゃないだろうか。ひどいもんだ。こりゃあ、もうあと何度も使えねえな……。
出てきた聖女のステータスは以下の通りだ。
名 前:ティリス=ミルキス=テスケーラ
種 族:人族
性 別:女
年 齢:16
職 業:聖女
レベル:21
称 号:十九代目聖女、まやかしの聖女
スキル:人族語、森族語、岩族語、呪族語、政治第八位
固有スキルもなにもない。
本当に、ただの女の子なんだな。
クライはなにか言い出そうとしているが、言葉が出てこないようだ。意味のない「あー……」といううめき声が漏れている。
「元気に、していたか?」
ティリスはこくりとうなずいた。
「急にこんなことして、ごめんな」
再び謝罪。少女は首を横に振る。
「乱暴に担いだけど、大丈夫か? どこか痛むか?」
ふるふる。少女は首を振る。
なんだか見ているこっちが恥ずかしくなるような青春のムードが漂ってくる。隣ではリルネが焦れているような顔をしていた。いや、わかるけどお前、そんな態度に出すなよ……。
「ていうか、なんで聖女サマをさらったわけ……?」
「それには深い事情があってだな……」
「さっきからあんた、あたしのこと後回しにしすぎじゃない……? だんだんムカついてきたんだけど……」
「いや本当に心から申し訳ないとは思っているんだ」
俺は低頭平身の姿勢で平謝りをした。
「だからせめてきょうが終わるまでは、事情もわからぬまま戦ってくれ」
「長いわよ!」
まったく……、とぶつぶつ言いながらもリルネは口を閉じた。本当にきょうが終わるまで事情もわからぬまま戦ってくれるんだろうか。なんだよこいつ、天使か。あるいは年の功か。
口に出すとまた怒られそうなので、俺はもじもじしている目の前の青春ふたり組に向き直った。
「ティリスちゃん、って言ったか」
「……え?」
女の子は自分に話しかけられたことにしばらく気付かなかったようだ。顔をあげて、仮面の奥のぼうっとした目で俺を見つめてくる。
そこで初めて容姿を観察する機会を得られた。
金色の髪を結っていて、長い三つ編みにして前に垂らしている。肌は透けるように白かった。遠巻きに見ているときは神々しくも感じたが、近くにいるとその肌の白さは病的だ。長くは生きられないカゲロウを連想させられる。
仮面の奥の瞳は、両方ともに水面のような蒼。片方を眼帯で隠しているスターシアとは違い、特別な目をもってはいないのだ。それを隠すための仮面でもあるのだろう。
俺は頭をかきながら、口を開く。
「こんなことになっちまったのには、事情があるんだ。実はキミの身に危険が迫っていてさ」
「……」
ティリスはぼんやりとしている。俺の話を聞いているのかどうか。
「その危機を脱するために、俺たちやクライがいる。手荒な真似はしない。俺たちを信じてついてきてくれないか」
「……」
するとティリスはなにかを探すように目を左右に振る。クライではないのか。
「私は」
ぽつりとつぶやく。
「別に、いい」
え?
「私が死んでも、別に、誰も悲しまない」
ティリスは俯きながら、そう言った。
その言葉にクライはショックを受けているようだ。口を開いて声にならない言葉を探していた。
突っかかったのは、リルネだった。もともとイライラしていたのもあったのだろう。
「ちょっと、そういう言い方はよくないんじゃない? これだけの人があんたの安否を心配して、それに騎士団の人たちだってあんたのために戦っていたのに」
ティリスは首を振った。
「私が死んだら、また新しい人が聖女になるだけだと、思います」
確信めいた声で、彼女はそう言う。
「必要なのは聖女という器。私が死んだらみんながちょっと面倒そうな顔をすると思いますけど、でも、それだけです」
仮面の奥のくぐもった声に迷いはなかった。
俺はティリスに尋ねる。
「それはグロリアスもか?」
「はい。あの人とも、職務以外では口を利くことはありませんでした」
こともなくうなずくティリス。再びリルネがなにかを言いかけていたが、しかし俺はそれを手で静止した。リルネは不満そうに俺を睨む。ごめんな。
でも、俺たちなんかより、よっぽど腹に据えかねているようなやつがいるからさ。
「……ティリス」
「クライ」
少年が顔をあげる。彼はティリスを力強い視線で見つめていた。
「僕はそんなの信じない」
「信じない、って……」
ティリスが戸惑う気配。
「お前は助けてもらいたがっている。本当は死にたくなんてないはずだ」
「……そんなの、どうしてクライにわかるの」
ティリスは拗ねたようにつぶやいた。
「わかるんだよ」
クライがティリスの肩を掴んだ。狭い車内で、彼女に顔を突き合わせる。
「だって、僕は見たから。お前が僕に向かって手を伸ばしているのを」
「……そんなこと、していないよ」
「嘘つけよ。僕たちの中でお前が一番のビビリだったくせに、そんなにすましているなんて似合わないんだよ」
その発言で、ティリスはムッとした声になる。
「そんなの昔の話だよ。私は大人になったの。もうクライの知っている私じゃないんだから」
「僕だって大人になった。でも変わらないものだってあるだろう」
「そう信じたいのはわかるけれど、私は聖女なんだよ。お互いの立場だってなにもかも変わったのに、そんなの虫がよすぎるよ」
「意地を張っているのはお前だよ、ティリス。なんと言おうと僕はお前を救うんだ。嫌だって言われたって、知ったこっちゃない」
「なにそれ、すぐにグロリアスがやってきてお仕置きされちゃうよ」
「僕はあんなやつ怖くない」
言い争うふたりを前に、リルネは肩を竦めて『呆れた』とでも言いたげな眼差しを送ってきた。
まあそう言うな、リルネ。三十路のお前はもう忘れたかもしれないけど、これだって大切な通過儀式さ。
ティリスはクライを見て、怒りをあらわにした。
「それで、私を誘拐するために、こんなおおごとにしたの? いろんな人に迷惑をかけて、捕まったらクライが殺されちゃうよ」
「僕のことは、今はいい」
「よくないでしょ」
歯噛みをして、ティリスはうなる。
「だったら私がなんのために我慢して聖女なんてやっていたのか、わかんなくなっちゃう……」
「それは」
「ウォードもクライもレニィちゃんだって、私のおかげで中で暮らせているんだから……、私が聖女さまだから、みんな助かっているんでしょう……! だから、ちゃんと聖女をやらなきゃって、ずっと、ずっと思って、がんばってきたのに、クライが死んじゃったら……」
「ティリス」
クライがティリスの肩に手を置いた。
「僕は、お前が死ぬのが、一番嫌だよ」
「……なんなのそれ、今は私が話をしているのに。人の話を遮っちゃダメって、私習ったんだよ」
「僕は習ってないよ」
そのまま、少年は少女の仮面の頬に手を当てる。
「いつだって、お前が苦しんでいるときには力になろうって、そう思っていたんだ。ずっと、そうだ。だから僕はテスケーラにとどまっていた。いつかこんな日が来るときのために、強くなりたかったんだ」
その声はとても優しかった。
死の淵に立つ男が、娘を想って告げるように。
「ずっと見てたよ、ティリス。毎年、独立祭で、お前が馬車に乗っているのを見るのが、一年の楽しみだったんだ」
ティリスはしばらく押し黙っていた。
わずかにこわばった声を漏らす。
「……知ってる」
ティリスは少年を上目遣いに見上げた。
仮面の奥の瞳が潤む。
こぼれる涙声。
「だって、私も毎年、見ていたから……、クライのこと」
「うん。知っているよ」
クライはそっとティリスを抱きしめた。
彼にもまた、ずっとずっと言いたい言葉があったんだろう。
それがあったからこそ折れずにいた心が、思いの丈を語る。
「僕はお前に死んでほしくない。会えなくても、生きていてほしいんだ。そのためになら、僕はなんだってする。今度こそ、絶対に守るから、だから、――僕たちと一緒にきてくれ、ティリス」
何十回も助けられずに少女を失い続けたクライの、万感の想いが込められた言葉だ。
「……うん」
両手でクライがティリスの仮面を外すと、そこにはまだあどけない表情を残した少女がいた。誰がどう見ても、大人には見えない。自らの生き死に悩む必要のない年頃の、少女だ。
しばらくふたりは見つめ合っていた。その沈黙はなによりも尊いものに見えた。
いかん、涙ぐんでしまう。
俺は洟をすすっていた。
クライはそんな俺を見て、かすかに微笑んだ。
『ありがとう』と言われた気がした。どういたしましてだよ。
よかったな、クライ。だが肝心なのはこれからだぞ。
一方、少年少女を眺めていたリルネは頬杖をついてつぶやいた。
「……結局、のろけじゃないの」
「おいおい」
その言葉は俺にしか聞こえなかっただろうが、ちょっと少年少女を羨むのはみっともなくありませんかね、リルネさん。
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