第16話 「反撃の狼煙」


 意識が浮上する。


 もはやそれは慣れた感覚だ。


 気がつけば俺は外に立っている。


 この目に差し込む太陽の光が眩しい。


 続いて音が戻ってきた。


「……あ、きょうはなにかお祭りがやっているようですね」


 スターシアの声だ。いつもは焦燥感に包まれながら耳にしていたその声を聞いて、俺はなぜか今、心が休まるのを感じた。


 そばに立つスターシアが童女のように目を細めて手を打つと、腕に挟まれた彼女の胸が柔らかそうに形を変えた。かわいい。


「あ、そう、お祭り、お祭りだったのね」


 リルネもちょっと顔を赤らめつつ、物珍しそうに辺りをキョロキョロと見回している。


 意味がないことだとわかっていながら、俺は腹に手を当てた。そこに傷跡はない。俺は戻ってきたのだ。


 よし。


 やれる。俺は気持ちはまだまだ萎えちゃいない。


 拳を握り締めて、顔をあげる。


 ごく自然に見えるよう笑って、ふたりに向かって手を伸ばした。


「じゃあ大通りのほうにいってみようぜ!」

「はい、ジンさま」

「まったくはしゃいじゃって、あんたは子どもねえ」


 穏やかな笑みを浮かべるスターシアと、からかうように口元を緩めるリルネを連れ、俺は心の底から思う。


 ――俺は、この時の迷宮を脱出する。


 今回のループを、最後にするんだ。




 クライは相変わらず、人混みに紛れながら大通りの雑踏に立っていた。


 ということは、あいつのスタート地点がここだったのだろう。


 リルネとスターシアを急いで連れてきたため、まだパレードは大通りに到達していない。


 通りに並ぶ人々は、今か今かとその時を待っているようだ。


「おーい、クライ!」

「……ん」


 声をかけると、クライはぼんやりとこちらに振り返ってきた。


「ああ、オッサン」

「ジンだよジン、いい加減覚えろ」


 クライにうめきながらも、俺は内心ホッとしていた。前回の経験を共有できていることに対してだ。


 やはり俺たちは同じループを体験していたのだ。というよりも、クライのループに俺が巻き込まれたってことになるんだろうか。


 なんにせよ、また一から仲良くならなきゃいけないわけじゃないからな。だいぶありがたいことだぜ。


「……ああ」


 俺の言葉にクライは気のない返事を返してきた。まるで白昼夢を見ているような顔だ。


 元に戻った時はいつもこんな顔をしているんだろうかと俺が心配していると、クライはぽつぽつと語り出した。


「あのあと、ジャッカスが僕に飛びかかってきたんだ。ナイフで応戦したが、しかし狭い室内で逃げきれずに刺されてしまった。僕もあなたと同じように死を待つだけのはずが、そうしたら……」


 彼は認めたくないとでもいうようにためらい、口を開く。


「あのグロリアスが、僕を守ろうとして。致命傷を受けていた僕は、生き残ることができなかったけれど……、あのグロリアスが、何度も僕を斬り殺したはずのグロリアスが、僕を……」


 首を振るクライに、俺はなんて言おうかと考えていた。


 彼がグロリアスに抱いている憎しみは途方もない。それらすべてが間違いだと知らされたそのとき、どんな気分に陥ってしまうだろうか。


 わずかに悩む。


 だが、結局は単刀直入がいいだろう。彼だって、真相にたどり着きたいと願う気持ちは本物のはずだと信じて。


「クライ、お前が今まで襲われていた男は、グロリアスじゃなかったんだよ」

「……え?」


 顔をあげたクライの目には動揺が走る。


「俺の能力のひとつ『鑑定』は、相手が生物ならば確実に発動する。それがどんなバケモノだろうがな」

「……」

「だが、俺を殺そうとしてきたグロリアスには通じなかった。それはなぜか。やつの中身はもうじゃなかったってことさ」

「……言っている意味が、わからない」

「俺たちは、黒衣の怪物を追っている」


 俺は「いったいなんの話をしているのよ」とつぶやくリルネを横目に、クライへ告げた。


「グロリアスを操っているのは、俺たちの街を滅ぼした存在だ。俺たちが倒すべきは、そいつなんだ」

「……っ、信じられない。まさかそんな、ありえない」


 クライは首を横に振った。


「ありえないってことなら、俺たちが同じ日を繰り返すというこの現象だって、ありえないことのはずだろ」

「……それは、そうだけど……」


 言葉を飲み込んでゆくクライ。


 するとリルネが俺の手を引いた。


「ねえ、もしかして、その子って」

「ん、ああ」


 リルネにはこう言ったほうが早いだろう。


「《エンディングトリガー》保持者だ」

「……そう、なんだ」


 驚くというよりも、リルネの顔はむしろ不審げであった。彼女は銀髪のツインテールを揺らしながら、俺の胸に人差し指を当てて問い詰めてくる。


「でも、なんでこの街にやってきたばかりのあんたがそのことを知っているの? 初対面なんじゃないの?」

「ああ、そうだな。そのことに関しては、ちょっと長くなるんだけど、今は時間がなくてな」


 そこで俺はスターシアが口元を押さえて固まっていることに気づいた。蝶々のブローチが取りつけられた眼帯の奥の目から、わずかに液体がにじんできている。涙だ。なぜ。


「スターシア?」


 彼女の肩を揺すると、目の焦点が戻ってくる。


「なあ、スターシア、どうかしたか」

「あ、ジンさま……」


 スターシアは安堵したような顔で、俺の手をぎゅっと握ってくる。両の手のひらは暖かくて、女の子の感触がした。突然の行動に少しドキッとしてしまう。


「ど、どうしたんだよ」


 寄りかかってきた彼女は俺の胸に頭を預けてきた。まるで走ったばかりのように息を切らしている。


 もしかしたらスターシアは、その魔眼でなにか違うものを見ていたんだろうか。


「お前、今、のか?」

「はい」


 スターシアは力なくうなずく。


 しかしその態度とは裏腹に、発する言葉には力があった。


「わたしが感じた小さな人影は、間違いなくこの方です。黒衣の怪物も、この方のすぐそばにいます。悪しき気配があるんです」


 真に迫った彼女の声を疑うものは、その場に誰もいなかった。


 スターシアの未来眼は成長し続けている。そういうことなのだろう。


 クライは押し黙っている。本当に倒すべき敵が他にいると知って、心の整理がまだつかないのだと思う。


 そしてリルネは腕組みをしながら嘆息した。


「よくわからないけど、シアの言うことだし、本当みたいね。ていうか、あんたもシアも便利系の能力があってずるいわね。あたしには火力しかないっていうのに」

「大丈夫さ。すぐにそいつを使わせてもらうからな」

「はあ? こんな町中で?」

「ああ、こんな町中の人混みで、だよ」


 もうすぐで聖女さまを乗せたパレードがやってくる。その前にやるべきことはやらないとな。


 俺はみんなを道の隅に集めて、小声で作戦を話し出す。


 今度こそ誰も死なせず、誰も苦しませず、黒衣のバケモノを倒すんだ。


 俺だけじゃない。クライだけでもない。で、必ず。


 作戦を伝え終えると、クライとリルネは唖然としていた。


「……それ、本気でやるのかい?」

「あんた、マジで言ってんの?」


 俺は拳を握って大仰にうなずく。


「当たり前だ。お前たちにならできるだろう」

「そりゃ、可能か不可能かで言ったら、あたしにはできるけど……」


 リルネはクライを見た。


「この子のこと、信頼してもいいのね?」

「ああ。クライは俺たちの仲間だ。間違いない」


 間髪入れず断言した俺の態度に、クライは不満そうな顔をした。


「……どうしてそんなことが言い切れるんだよ、オッサンは」

「そりゃま」


 俺は笑いながらクライの頭を乱暴に撫でた。


「同じ剣で貫かれた仲だろ、俺たちは」

「それこそどんな関係だよっ!」


 腕を振り払いながら声を荒らげてくるクライが面白くて、俺はしばらくニヤついていた。




 パレードがやってくるまで、俺とクライは大通りから外れた物陰に潜んでいた。


 二手に別れるのは心配であったが、リルネとスターシアならうまくやるだろう。


「まったく、なんなんだ」


 フードを深くかぶったクライがぼやいた。


「あなたの仲間たちは、みんなあなたみたいなやつらばっかりなのか。なんの後ろ盾のない僕を信用して、あんな無茶な作戦に身を委ねるだなんて。なにを考えているんだ、本当に……」

「別に、盲目的に信用しているわけじゃないよ」


 俺はつぶやく。


「ただ、リルネも黒衣の化け物のせいで不幸になったやつがいるなら、助けてあげたいって思っているんだ」

「あなたたちは、どうしてそこまで……」

「リルネはさ」


 言葉を区切って、ぽりぽりと頬をかいた。


「町が滅ぼされたって言ったろ。それがあいつの生まれ故郷だったんだ」


 クライの顔色が変わった。


「さっきもそんなことを言っていたけれど、……まさか、一夜にして住人が石に変わったという、テトリニの……?」


 ああ、有名になってんだな。


 ま、さすがにそうか。


 頬をかきながら、あのときのことを思い出す。


「知っているなら話が早いな。あいつはそこのお嬢様でさ。町のために戦ったが、ダメだった。ひどい有様だったよ。あいつも、町も。知り合いも家族も友達も、みんな石に変えられてしまった。俺たちは凶行を止められなかったし、自分たちの無力を嘆いた。もう二度と、他の人をあんな目には遭わせたくないんだ」

「……」

「だから俺たちは、黒衣の化け物は許さない。助けられるやつは助けたい。そういうことさ」


 クライはしばらく俺の言葉を聞いて、黙り込んでいた。


 勝手に喋って、あとでリルネに怒られるかな? まあいいや、そんときはそんときだ。


「ま、恐らくはこの時の迷宮は黒衣の化け物が作り出しているはずだが……、もしかしたら、聖女さまの力かなにかで、繰り返しが発生している可能性もある。その場合は、どうにかして別の手段を見つけなきゃいけないわけだけど……」

「……その点は、問題ないよ」

「ん、そうなのか?」

「ああ」


 クライは確信をもった顔でうなずく。


「なんたって当代の聖女は、なんの力ももっていないただのお飾りでしかないんだからね」


 まるで神をあざ笑うようなその発言に対し、俺は思わず聞き返していた。


「は? そういうこともあるのか?」

「ないだろうね、普通は」


 ため息をついて、クライは語り出す。


「聖女ティリスは、本当は、僕たちの幼馴染なんだ」



 クライの語った内容は、部外者の俺が聞いても驚くようなことばかりだった。


 もしこのテスケーラの街の住人が聞いてしまったら、どうなるのだろうか。


「僕とウォード、レニィとそれにティリスの四人は、命からがらこのテスケーラにたどり着いた。入場料も払えなかった僕たちは、街の外でただ死を待つだけの身だったはずだ。けれどそこに通りがかったんだ。聖女の騎士グロリアスと、その一味が」


 一味とは、ずいぶんと刺々しい言葉を使うものだ。


「それは偶然じゃなかった。当時の聖女さまは病弱で、残り幾ばくもない命だったらしい。その聖女さまの遠見の力によって、瓜二つの顔をもつティリスが見つけ出されたんだよ。グロリアスはティリスを引き取る代わりに、僕たちを街の中に住まわせてくれると言った。レニィはまだ小さかったし、僕たちはグロリアスの誘いに乗ったんだ」


 そう語るクライはまるで、罰を待つ罪人のような顔をしていた。


「……それって、聖女の血筋は途絶えていたってことか」

「とっくに途絶えていたんだろうさ。この街は、不思議な力をもつ女の子をさらってきては、聖女に祭りあげていたに違いないよ」


 そうか、同じようにキャラバンで旅をしていた幼馴染か……。


 だからやけに親しげに聖女の名を呼んでいたんだな。


「そのティリスとは、その後は?」

「顔を合わせたこともないよ。彼女は街の守り神であり、僕たちは小汚い第四区の住人だ。住む世界が違うんだ。ずっと、ずっと、そうだった。遠くからティリスを眺めては、僕はそれだけでよかったんだ。彼女が着るものに困らず、安全な場所で寝て、腹いっぱいご飯を食べれたなら、それだけでさ。僕にとっては十分なんだ。それなのに――」


 少年は心の中になにかを押し殺しながらも、語り続けた。


「この時の迷宮で、ティリスは何度も死んだ。殺され続けたんだ。きっと痛かったはずなのに、僕はなにもできなかった。グロリアスがティリスを殺したと言っただろう? あのとき、目が合ったんだ。ティリスは死ぬ間際、僕を見ていた。そうして、静かに微笑んだんだ。そんなことってあるかよ。あの弱虫で、泣き虫なティリスがだ。僕はなにもできなかった」


 クライは心の底から悔しそうだった。決して自分を許さぬように、唇を噛み締めていた。


 俺はそんなクライを見ながら、何度も自分が死に続けたことを思い出した。


 リルネを助けてやれなかったことが悲しくて、心が壊れてしまいそうだった日々のことを。


 そうか……。


 こいつはずっと、自分のためじゃなくて……。


 たったひとりの、大事な女の子のために、戦い続けていたんだな。


 そんなにもぼろぼろになって、さ。


 大したやつだよ。


 俺を見上げたクライが、顔をしかめた。


「おい、オジサン……、なんであなたが泣いているんだよ」

「え? あ、あれ? おかしいな」


 俺はゴシゴシと顔を手の甲でこすった。


 これから作戦があるっていうのに、泣いている場合なんかじゃないのに。


「ごめんな、クライ。でも、俺は感動したよ。絶対にお前を助けてみせるからさ」


 そんな俺を眺めながら、クライは鼻を鳴らす。


「……ふん、言っておくけれど、僕はあなたに一度も『助けてくれ』だなんて言っていないからな」

「ん、そういえばそうだった、か?」


 別にそんな大事なことではないから、気が付かなかったよ。


 俺はクライを助けたいから、ただ助けようとしているだけだしな。


「それを踏まえて、あなたに言いたい」


 クライはそっぽを向いたまま、小さく口を開いた。


「助けてくれ……、どうか、ティリスを。頼む」

「ああ」


 一も二もなくうなずいた俺は、クライの背中を叩いた。


「絶対に、約束する。俺に任せろ、クライ」

「……うん」


 その直後だ。


 大通りのほうから爆発音が響いてきた。


 炎に灼かれた風は乾いていて、俺たちの髪を揺らす。


 目配せもなく、俺たちは弾かれたように駆け出した。


 始まったのだ。



 大通りには、ひとりの娘が行く手を塞ぐように立っていた。


 浮足立つ騎士たちを正面に見据え、一歩も怯むことなく。


 やっぱりああいう役はすげー似合ってんな、あいつ。


 銀の髪をもつ彼女は巨大な炎の精霊を使役し、その顔を巻きつけた布で隠しながら叫ぶ。


「お祭り騒ぎはここまでよ! 今すぐみんな馬車から降りて、パレードを中止しなさい! さもなくば――」


 彼女が腕を振るえば、再び爆発が起きた。砕かれた大地には炎の跡がこびりつく。


 逃げ惑う街の住人の叫び声にも負けない大声を張り上げ、リルネは宣告した。


「――皆ここで、焼け死ぬことになるわ!」


 さあ。


 この繰り返す時を、終わりにしようじゃないか――。




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