第三章 飛鳥戦国時代編

第33話 備中高松城水攻め

「ええ! 信長さま、備中高松城側に着水するって!」


 いつも冷静なメガネが珍しく悲鳴を上げた。

 

「そうじゃ、ここは秀吉サルと一戦交えるのが面白かろう」


 信長がにやりと笑う。

 珍しく普通の会話をしている。

 清明がいなくなったので、こちらの方が便利だと思われる。


「でも、それって、歴史が変わっちゃわない?」


 猫娘姿のコスプレをした雛御前の使い魔である≪猫鬼びょうき≫である。

 一応、人間のかわいい女の子に化けているが。


「まあ、何とかなるんじゃないかな」


 と無責任な発言をしているのは、やはり、雛御前の使い魔である≪犬神いぬがみ≫であった。こちらは当然、人間に見えるが狼男のコスプレで決めていた。


「しかし、それってワクワクしますね。中国大返しが出来なくなれば、明智光秀が戦力を整えて、秀吉と激突することになる。面白いでしょうね」

 

 夜桜は意外と架空戦記ファンだったようだ。


「でも、それって、まずくないですか? 豊臣政権が出来なくなれば、安土桃山時代から戦国時代に逆戻りですよ。武田は滅亡してますが、上杉、徳川、北条、伊達、真田は健在だし、何といっても最強、信長軍団は無傷ですよ」

 

 ザクロが鋭い指摘をした。


「信長さま、これやばいですよ。西国大名にしてもイエズス会、魔女ベアトリスの息がかかった者ばかりだし、朝廷、毛利に匿われている将軍家なども敵に回ります。味方が全然いないじゃないですか!」


 メガネも考えたくなかったが、その後の最悪のシュミレーションをしてみた。


「まもなく、備中高松城西側に着水します。総員ショックに備えてください」

 

 雛御前はミニスカ十二単美少女に変化して、オタクたちの視線を釘づけにしていた。

 『見えるか見えないか半分スケスケモードのサイバーグラス』で月読波奈のパンツを見ることを悲願としていたオタクたちも現金なもので、とりあえず、可愛ければいいという節操の無さであった。

 性欲ばかりのオタクの青春とはそんなものである。


 そうこうしてるうちに、備中高松城の水攻めで出来た湖水に派手に着水する超大型空母<天龍>であった。




     †




「さて、名将、清水宗治に会いに行くかのう」


 信長の第一声はとんでもないものであった。


「信長さま、一体、何しに?」


 メガネも嫌な予感しかしなかったのだが、一応、訊いてみた。


「そりゃあ、興味本位というか、備中高松城水攻めといえば清水宗治しかなかろう」


 信長は異世界通信ができるスマホで現代社会の検索エンジンを使って歴史の勉強に余念が無かったので、現代人同様の歴史知識があった。


「確かにそうですが、本能寺の変が起こったのが天正10年(1582年)の6月2日であり、清水宗治が高松城から漕ぎ出した舟の上で一差し舞ってから切腹したのは6月4日でしたよね?」


「そうじゃ。清水宗治の舞いも見てみたいし、小早川隆景からも信頼厚い名将であるし、その死に様の潔さも少しわしに似てると思わんか?」


「いや、信長さま実際は女装して逃げてたじゃないですか!」


「何をいう、メガネ! 本能寺の変ではわしはひとさし舞って、潔く切腹したと見せかけて、逃亡したが、何か?」


「開き直りましたね! 信長さま」


 メガネはさすがにため息をつく。

 

「わしは合理主義者じゃけん、最後まで諦めんのじゃ」


「何か変なしゃべり方ですね」


「気づいたか。少し坂本龍馬にもはまってる」


「まったく……」


 メガネも呆れるしかなかった。


 当時の備中高松城の情勢であるが、毛利家は天正4年(1576年)に京都を追放された将軍足利義昭を庇護して「鞆幕府」を樹立させたり、信長の石山本願寺攻めの際、毛利水軍を差し向けて兵糧を城に入れたりして対信長戦略を展開していた。


 正確には戦略というより成り行きに近く、将軍足利義昭が転がり込んで来て仕方なく庇護したり、その将軍家との関係や本願寺の門徒が毛利家にもいたことで石山本願寺の合戦に参戦した面が強い。


 その後、秀吉の中国地方攻略における兵糧攻めは凄まじく、三木城では『三木の干殺ひごろし』、鳥取城での『鳥取のかつころし』など、木草の葉、兵馬はもとより人肉まで喰らう凄まじさだったという。

 鳥取城で降伏した城兵に秀吉は粥を振る舞いましたが、あまりに飢餓状態にあったために、急に食べ物を摂ったために亡くなる人が相次いだという。


 備中高松城水攻めはその秀吉の兵糧攻めの第三弾であり、宇喜多直家に裏切られて情勢がはっきり毛利不利に傾く中の戦いでした。

 さらに、四国の長宗我部元親、北九州の大友氏も親信長派でありました。


 なので、本能寺の変への対応で秀吉が講和を申し込んできた際には、それに応じるしかなかったのですが、秀吉の中国五ヶ国割譲の条件も厳しかったが、名将、清水宗治の首を差し出すという条件にも難色を示してました。


 が、毛利家の外交僧である安国寺恵瓊あんこくじ えけいの説得で、元々三村氏の配下だった外様ながら、毛利の忠臣であった清水宗治は見事に舟上で切腹してみせました。

 当時は切腹の作法はまだ武士に定着していませんでしたが、清水宗治以降、切腹を武士の作法として取り入れていきました。


 それに加え、安国寺恵瓊が本能寺の変の10年ほど前に「信長之代(は5年、3年は持つだろうが、いずれは)高ころびにあおのけにころばれ候ずると見え申候、藤吉郎さりとてはの者にて候」と言っていたらしい。


 智将、小早川隆景辺りは本能寺の変までは知らなくても、薄々、変事があったことには気付いていて、秀吉に恩を売ったのかも知れません。その後、豊臣政権の樹立に手を貸していきます。

 安国寺恵瓊も秀吉の直臣として活躍して、最終的に伊予6万石の大名になっていきます。

 

「では、メガネ、天海、ついて参れ。備中高松城に乗り込むぞ!」


 信長は高らかに宣言した。

 仕方ないなあと思いつつ、メガネは<ボトムストライカー>に搭乗した。

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