姉妹タンジェント(1)
私が初めて琴葉と出会ったのは私が十歳の時のことだ―――。
私は一人っ子で母親しかいなかったから妹が増えると聞いたときは正直にうれしいと思った。母親の再婚相手はやさしそうで仕事熱心な人。母の仕事場で出会った方だそうで、信頼できる人らしい。
私は琴葉と始めて会ったその時、一目ぼれをした。恋心では無かったが純粋な琴葉を、子供ながらに美しいと思った。可愛いと思った。守りたいと思った。
母が琴葉に挨拶し、再婚相手が私に挨拶した。次は私が琴葉に挨拶をする番。
「始めまして、琴葉ちゃん。私は悠里」
「ふぇ? あ、えっと……よろしく、おねがいします」
口下手な琴葉に代わって父親がフォローを入れる。
「ははは。緊張してるみたいです」
母親もそれに愛想笑いを返してる。
私はこういうのが嫌いだ。
だって、別に可笑しな事なんて無かった。なのに二人とも笑っている。学校のクラスの子も、先生までもそういうことをしている。
皆に虐められているあの子も何故かいつも笑っている。
私は、そういうのが・・・・・・。
考えていたらいつの間にか話が進んでいて子供は子供どうし、大人は大人どうしで、ということになり琴葉を預けられた。小さな子供が遊べるような場所のある店なので好きに遊んできてという意味だろうか。
母親はコーヒーを飲んで愛想笑いを浮かべている。
「あ、あの」
急に手を引かれてびっくりした。
見ると琴葉だった。当時六歳の彼女は自分の方が年下だと言うのに、私に気を使って声をかけてきた。
「なに?」
「い、いえ」
無愛想に見えたろうか。でも別に笑いたいわけではない。
そうは思っても罪悪感はあった。大人気ない。当時はそんな言葉は知らなかったがそう思った。
確かに大人ではなく子供なのだ。けれど、目の前にいる琴葉の方が私よりも子供だ。
それなのに私とは違い琴葉は、人に、それも年上の私に自分から距離を摘めるという勇気も見せてくれた。それに対して私は無愛想に一言だけ"なに?"と返した。
誰が見ても、私に問題があると言うだろう。
ふと、琴葉を見ると泣きそうな顔をしていた。
「ご、ごめんね。ごめんね。大丈夫?」
「あ、いえ、大丈夫、です。ごめんなさい」
「謝らないで。琴葉ちゃんは別に悪くないじゃない」
「はい」
「そうだ、お話ししよう」
「おはなし?」
「そう。お話」
私はそこで色々と聞いた。好きなもの、嫌いなもの。最近好きなこと。得意なこと。
私が聞けば琴葉はゆっくりだけど教えてくれた。
だけど家でのことは何故かすぐに教えてくれなかった。
だけど理由はすぐに解った。
琴葉の袖口から見えた青痣が全てを物語っていた。
虐待だ。
当時でもその言葉を知っていたのは学校の対策として児童に言い聞かせていたからだろう。
「これ、どうしたの?」
私は琴葉の腕を掴んで無理やり袖をまくった。
琴葉は慌ててそれを隠した。
「何でもない」
「何でもない訳ないじゃない」
つい、声を張り上げてしまった。
「どうしたんだ?」
琴葉の父親が駆け寄ってきた。
「ダメじゃないか、琴葉。ちゃんとお姉さんの言うことを聞かないと。ごめんね、悠里ちゃん」
「あ・・・・・・」
私は男のその白々しい言葉に何も言うことができなかった。
一ヶ月がたった。
二人は結婚したが、琴葉から青痣が無くなることは無かった。幸い、私がいるときは手を出すことがなかったため、一緒にいる時間を増やしたり、幼馴染みの家へ連れていくことで少しは回避されるが、影で行われている。
児童相談所への連絡は琴葉が徹底して拒む。あんなのでも父親なのだ。離れたくないとは思うのだろう。
実際に私も、引き離すべきか悩んでいた。
母親には相談できないので、幼馴染みに頼った。
琴葉はシエルに相手をしてもらって、クダラに相談する。
私にとって二人は信頼のおける友人だし、クダラは自分よりも色々なことを知っている。
クダラならなんとかなるという確信は無かったが、もうクダラにしか頼れなかった。
私は事の全てをクダラに打ち明けた。
「母親は知らないのか?」
「うん、多分」
クダラは考えた末に、どうしても虐待が納まらないなら無理矢理引き剥がした方がいいと前置きした上で言った。
「母親にも相談した方がいい。引き離すかどうかは慎重に考えるべき。あとは、お風呂。琴葉はお風呂誰かと入ってる?」
「琴葉はお義父さんと入って・・・」
「悠里が入れて上げて。寝るときも悠里が一緒に寝るように」
「うん。わかった」
「もし、父親が隠れて暴力を振るうならまた相談をして」
「ありがとう」
☆☆☆
「やめて、きゃああああ」
琴葉を父親から遠ざけ始めたから数日後の夜中、悠里は悲鳴で目が覚めた。
扉を挟んで向こう側から悲鳴が聞こえる。それも、聞き覚えのある声。
悠里は左手首を誰かに捕まれた。見ると、泣きそうな顔で小刻みに震えている義妹、琴葉だった。
「琴葉ちゃん」
悠里は琴葉の肩に手を置くと優しく声をかけた。
「義姉さん・・・・・・!?」
琴葉が悠里の手首を掴んでいたのは無意識だったようだ。
悠里は扉を開けてただ事ではない悲鳴が一体なんだったのかを確かめたかった。だが、十歳だった彼女は恐怖の方が大きかった。
再び音がした。皿の割れるような音。
「ひっ」
琴葉が隣で小さく悲鳴をあげた。
「ああ? なんだよその目は?」
男の野太い怒声が聞こえて、悠里も涙目になる。
悠里は自分の不安を和らげるためか、琴葉の恐怖を和らげるためか分からないが、解らないが隣で震える妹を抱き締めた。
「琴葉」
「お姉ちゃん」
琴葉も同調するように悠里にすがる。
二人はいつの間にか寝てしまっていた。
☆☆☆
朝起きれば、ぐったりとした母親がいた。
首筋や腕に湿布が貼ってあった。
「あら、起きたのね」
母親は力なく微笑んだ。
悠里は失敗したと思った。確かに琴葉が暴力を振るわれる事はなくなったが、代わりに母親が手を出されている。
それじゃあ意味がない。
それでも悠里はクダラに相談する事しかできなかった。
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