第8話 金の髪の魔女 4



 部外者の自分には関係ないと思いつつも、ルチルナはうつむいてしまった魔導師の弁護をしてやりたくなった。単純で明瞭な精神構造をしているらしい戦士は、いまひとつ魔導師の心中に気付けないようだ。単に鈍感といえるのかもしれない。


 それにしても、一体何故ここまで自分が気を回してやらねばならないのか。血が騒ぐというか、放っておけないというか。それは、ルチルナの性としか言いようのないものである。普段追い剥ぎをしている時、別段彼女は情が深いわけではない。嗜虐趣味もないので、もらえる物を貰ったらそれ以上何かしようという気にはならないが、特に相手のことについて考えているわけでもなかった。


 無論、最悪相手を死に至らしめる場合があっても、特別にそのことに罪悪感や苦しみを覚えることもない。彼女にとって追い剥ぎという行為は職業であって、何の感慨をもたらすものでもないからだ。


 しかし、一旦ルチルナの私的な面が現れると、彼女は一気に面倒見が良くなる。実は彼女は、姉御肌とか、世話好きとかいわれる類の人種なのだ。それは言い換えれば、彼女は割り切り、身内と他人――もっと言えば自分の中で人間と認識する相手とそうでないものたち――の線引きをはっきりする人物だということだった。それが今回、何を間違ったか、仕事の対象のものでしかない相手が、どうにも人間として見えてしまったのである。


 とりあえずこの場合、ルチルナが誘いを蹴ってしまうことが一番早い解決方法だろう。それに彼女は、これ以上戦士たちと関わる気はなかった。


「当人の意向を無視しないでくれるかしら? いい加減、こんなとこでぐずぐずしてる暇があったら魔王の城にでも何でも、さっさと行っちゃいなさいよ、うざったいったらないわ!」


 言い捨ててもう一度踵を返そうとする。しかし、戦士は諦めなかった。


「待ってくれ、ここで別れたら、あなたはまた追い剥ぎをするのだろう。私たちは神殿から、この先の旅には十分すぎる量の金をいただいている。ここで罪を犯し続けるよりは、私たちと共に魔王を倒しに行かないか。魔王を倒した者は、それこそ一生分の金銀をもらうこともできるというではないか」


 相手の執拗さに、ルチルナはつい声を大きくする。


「あのねえ、さっき私が言った事を聞いてたのかしら、あんたは? 誰が死にに行く旅に、のこのこ着いてくと思ってんのよ。私は生きたいの。世界どうこうとか関係ないわさ、金もらう前に死んじゃあ意味ないでしょっ。みんな一緒に滅びるぶんでも、何が悲しくって先に一人自分から死ななきゃなんないのよ」


 そもそも、生きていたいからこそ追い剥ぎなどやっているのだ。自殺願望など無い。


「死ぬと決まったわけではない」


 この女は何を根拠にそんな世迷言を言うのか。そう呆れる気持ちが大半を占めていたが、心の片隅に、それと相反する思いがくすぶっているのを、ルチルナは次第に自覚し始めていた。戦士の言葉でその思いが拡大するのを恐れるせいで、ルチルナの口調は過度に攻撃的になりつつある。女戦士が、ルチルナの何を嗅ぎつけて執拗に彼女に言い寄るのかは分からなかったが、ルチルナは確かに、趣味で追い剥ぎをやっているわけではなかった。それに加え、彼女の中には、魔王を倒したい、という思いと、その原因である魔王に対する怨恨があったのだ。



***



 彼女は幼い頃、魔王に家族を奪われている。それは魔王復活が原因の災厄によっての間接的なものではなく、彼女の家族は彼女の目の前で、魔王の抱える異形の軍隊によって惨殺されていたのだ。できるものなら仇を討ちたい、そんな思いがあるのを、ルチルナは頑なに目を逸らそうとしていた。この二十年近くの間、必死でそれを押さえつけてきて、今の自分があるのだ。ここでその人生を、棒に振るのは御免だ。


 不意に、雲が太陽を覆い隠す。一日で最も気温の上がる時刻である。多少涼しくなるのはよいが、風が湿気を含んでいた。


 少し長さがまちまちになってしまった髪が、半端に短くなったのをいいことに好き勝手に風に舞う。体に数箇所できた切り傷からは、まだ多少血の流れる気配があった。しかし特に深い傷がないのは、魔術師の性格だろう。


 雨雲が来ているのかもしれない。そう考えて、魔導師が水の魔術を大した消耗もなく使っていた理由もそれかもしれないと、ルチルナは思い当たった。しばし無言で、ルチルナは、戦士や荷馬車の反対側、草原以外何もない地平線を眺める。少し頭を冷やしたかった。


 内心の葛藤を表に出さないよう努力しながら、ルチルナはもう一度だけ、戦士を真っ直ぐ見据えた。これ以上感情的に喚き立てるよりも、正面から拒絶した方が効果があるであろう、と思ってのことだ。戦士も真っ直ぐに、ルチルナを見ていた。琥珀色の眼は一点のかげりもなく、強い意志と確信に近い希望が見て取れる。妄信と自信過剰、楽観主義。そう言下に切り捨てるのは容易なことだ。だが、その眼光によって、自分の奥の、目を瞑り、耳を塞いできた部分を強く揺さぶられるのをルチルナは感じた。


 彼女は少し、向き直ったことを後悔する。


 誠実な人間を馬鹿にするのは簡単なことだ。その代わり、馬鹿にする度、きっとその馬鹿にした人間は卑屈になってゆく。今のこの世界、卑屈であることも、無気力であることも罪にはならない。誰もがそうで、誰にも為す術などないからだ。だが、改めて自分に向き合う機会を与えられてしまった時、卑屈で無気力な自分を認めるのは耐え難い。少なくともルチルナはそうだった。


 あれだけのことをされて、それで自分は今、一体何をやっている。ルチルナの中で浮かび上がりそうになる度、蓋をして心の底に沈めてきた問いが、戦士の眼に映って目の前に突きつけられる。


 認めざるをえない。彼女は、目の前の少女たちに、希望の自分を重ねてしまった。そして彼女たちへの罵りは、そのまま、自分の中の感情へぶつけた否定だったのだ。



***



 サリアスは黙って、魔女を見ている。フィラーシャはそれを眺めながら、自分の心と格闘する羽目になっていた。


 とりあえず頭の中を整頓しなければならない。まず何故、サリアスがその魔女を仲間にしたがるのかを知りたい。だが今、声を荒げて問い詰めるのは気が引ける。サリアスの言葉に、猛然と反発していた魔女の気配が変わったのをフィラーシャは感じていたからだ。


 フィラーシャが知らなかっただけで、本当は魔女にも何か思うところがあるのなら、そしてそのことにサリアスだけが気付いたのなら、フィラーシャにサリアスを問い詰める理由も資格もない。また、盗み、奪う人間、人を殺す人間を一概に全て極悪な人非人として声高に非難するのは、ある意味、ぬくぬくと育った者の驕りだ、ともフィラーシャは思っている。彼女自身、家族、身寄りはない。しかし、幸運にも魔術の才を認められたために、何一つ不自由なく暮らすことができた。


 だが今この世界に、犯罪以外に生きる術のなかった人々は星の数ほどいるのだ。

そのことを自分に言い聞かせた上で、まだ不満が残るのはどういうことだろうか。獅子が消えて、大人しくなってしまった樹と、その一部に絡みつかれて身動きが取れないままの荷馬車と商人を眺める。一体魔女は、何を思ってそんなことをしたのだろう。

親切心、などというものを、普通追い剥ぎがその獲物に見せたりするだろうか。それとも別の思惑があってのことなのか。だがサリアスに取り入る気があったのなら、ああまで派手に啖呵を切るものか。


 フィラーシャの頭の中は既に疑問符だらけだった。サリアスの考えも、魔女の考えもよく分からない。それは、魔女ことルチルナが、サリアスとフィラーシャに対して思ったことと同じだった。人間は、サリアスのようによほど素直でない限り、お互いの立場での、常識的な行動を逸脱した善意や親切心は、素直に信じることができないものである。


 しかしこの時フィラーシャの目の前には、サリアスという、そういった猜疑心とは無縁の人間がいた。ふいにフィラーシャはそのことに思い当たる。


 もしかしたら、本当にあれはただの魔女のおせっかいだったのかもしれない。それを直観で見抜いてサリアスは魔女に好意を持ち、信頼に値するとまで言って、仲間になって欲しいと頼んでいるのだ。


 そんな考えが浮かんで、フィラーシャはああ、とひどく納得した。サリアスのあの、人の善を信じて疑わない妙な寛大さと拡大解釈、確信の持ち方をかんがみれば、非常に説得力のある説だ。フィラーシャの時もそうだったではないか。


 何か、一気に脱力感に襲われる。フィラーシャは笑い出しそうになった。サリアスは、誰に対してでも平等に、サリアス自身であり続ける。そこがサリアスの魅力でもあるのだ。


 もしかしたら裏切りに遭うかもしれない。だが、それに関しては自分が気をつけていればいいのだ。サリアスを無用心だと詰るよりも、彼女の感性を信じて、もしもの時の心構えだけ自分がしておけば良い。


まだ少し、ひっかかるところがある気もしたが、とりあえずフィラーシャは事の成り行きを静観することに決めた。



***



 サリアスには確信があった。ルチルナは仲間になってくれる、という確信が。


 その根拠が何であるか、彼女自身しっかりと把握してはいなかったが、向き合った時のルチルナの様子は、彼女の確信をより一層確かなものにさせた。サリアスの確信は、ある意味でとても思い込みに近い物であったろう。しかし彼女は、非常に勘のいい人物でもあった。戦士としては、それは大いに有利だったが、実生活の対人関係においては複雑に作用したものだが。


 彼女は今回のルチルナのように、当人が気付いていなかったり、目をそむけている本音のような部分を、もっと言ってしまえば、本音の部分だけを読み取ってしまうのだ。たいていの場合、人は自分の目をそむけている本音を人に指摘されるのは面白いことではない。元々裏表のないフィラーシャなどが相手の時には、あまり際立つことのないサリアスの特異能力であった。


 日はかげっていた。同様にルチルナの表情もかげりを帯びる。サリアスは、もう一声、かけてみることにした。


「一緒に、魔王を倒そう。ルチルナ」


 ルチルナの顔がゆがむ。すがる様な表情だ、そうサリアスには感じられた。


「あんた、名前は何」

 


***



 くやしいのか、何なのか。とりあえずもう、これまでの様にここでいい加減に生きていく事などできない。そのことだけは、ルチルナは感じていた。


「名前?」


 唐突に発した問いに、戦士が怪訝そうに首を傾げる。


「そうよ、あんたの名前。何?」


 その問いは、ルチルナにとって、自分にだめ押しするためのものだ。


 相手の名前を知ってしまえば、相手はただの戦士、魔導師ではなくなる。ルチルナの中で、名前を持った一個人となる。しかも彼らは、ある意味これから先、ルチルナ自身の分身でもあるのだ。ルチルナの望みを託した存在なのだから。


 ここで別れれば二度と会うことなどないだろう。遠くで無事を祈っていられるような性格を、ルチルナはしていない。


「私はサリアス。こちらはフィラーシャだ」


 サリアスの言葉に、フィラーシャが少し会釈する。


「私はルチルナよ。仕方がないからついて行ってあげるわ!」


 これから先、この草原で悶々とするよりは、とりあえずついていって、気が変われば止めてしまう方が自分らしい。そうだ、気が変わってしまえばあのサリアスの財布をくすねて消えてしまえばいいのだ。あの量ならかなり遊んで暮らせる。


 ルチルナは完全に開き直っていた。これから先、彼女はあとの二人の保護者をやる羽目になることに、まだ気付いていない。

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