第7話 金の髪の魔女 3
ルチルナは今のこの状況に半ば困惑し、半ば呆れていた。
一体何がどうしてこういうことになったのか。彼女にしてみればいつもと変わらぬ狩りだったし、その方法を間違えた覚えもない。
今までもたまに抵抗してくる者はいたが、大抵はねじ伏せることができたし、失敗しても引き際を誤ったのはこれが初めてだった。しかしそれは、いつか来るであろうこととして覚悟はしていたのだ。もしも力かなわず、引き際を誤ったならその時は、己の命運尽きる時だ、と。
だがしかし。この状況は何だと言うのか。敵の片方、女戦士はルチルナに剣を突きつけ、彼女の勝利を示しながらも、一向にルチルナを斬る素振りも見せない。それどころか獅子から防御するための召喚魔法を使うことすら許した。
一体、あの時彼女が爆破か目眩ましかを使って逃げたらどうするつもりだったのか。ルチルナは思わず、女戦士に問うてみたくなる。最悪、戦士もろとも獅子を吹っ飛ばすことも彼女には可能だったのだ。
魔導師の方は今、あの獅子を消すために水の魔術を発動している。先程の風の魔術といい、腕はかなり良いようだが、こちらも一体何を考えているのか。
「この地に満ちる美しき、全ての命の御母に願わん。命の全てを焼き尽くす、邪より我等を救い給え」
杖に集められた魔力が輝く膜となって獅子を包み込む。
必要以上の派手さも騒がしさもない魔術。それはすなわち、その使い手に無駄な虚飾や慢心のない証拠でもある。魔術による現象が魔術師の想像力が作り出す物である以上、それは自明のことといえた。
獅子が膜の中でもがく。しかし、水でできた膜の中、燃やす糧もなく徐々にだが小さくなり始めた。
「そういえばお前、名は?」
唐突に戦士が尋ねてくる。その眼は、先程とは違った光を浮かべているように思われる。
「……、ルチルナだけど」
「何故こんなことをしている?」
聞いてどうするというのか。理由は何であれ、追い剥ぎは追い剥ぎだ。
「お前が根っからの悪人とは思えないのだが」
言われて内心、やれやれと溜息をついた。ルチルナには何となく、戦士がそういう人種であろうという予測はついていた。いかにも正義好きのお嬢さんなのだ、この相手は。
「悪人じゃなきゃなんだっていうの? この世の追い剥ぎやら盗人やらのうちから、悪人とやら以外を全部許してみなさいよ。きっと牢屋はすっからかんになるわ!」
この世間知らずに何を言ってやろう。そうルチルナは意地悪く考えた。天災、戦災、魔物と災厄だらけのこのご時世に、奪うこと以外で明日の糧を得ることが出来ない者は数多く居る。悪事は必ずしも悪意が引き起こすのではない。むしろ、ほかの選択肢を持たない、知らない者のたつきとして唯一残されるのが、奪い、盗み、騙す道だ。
戦士は獅子と魔導師のほうを見、少しの間沈黙する。
「そうかもしれない。だが、目の前にいるのが性根の曲がった悪人ではない時、その相手すらも容赦も情けもなく斬り捨てておいて、理を貫いたと胸を張れるものだろうか? 私には無理だ。私に世界の全てを正すことが不可能だからといって、私の目の前にあることにすら、理を曲げた判断を下すのは怠慢ではないのか?」
ルチルナは絶句した。ここまで本物の、純粋に正義を信奉している者は、少なくとも今までルチルナが生きてきた世界には存在しなかった。とんでもない当たりくじだか、はずれくじだか、とにかく一生一度の珍しい経験をしている気になったのだ。
ふと、辺りを囲む炎が弱まっているのに気付いた。そろそろ魔法陣の効果が消えつつあるのだ。このままではおそらく荷馬車の持ち主らしい商人は、この二人を置いて逃げるだろう。追い剥ぎはルチルナだけではないし、このままの成り行きでこの妙ちきりんな「勇者様御一行」に加えて、ルチルナまで乗せて馬車を走らせたくは無いはずだ。そうなった時の戦士の反応が見たいような、なんとも意地の悪い誘惑をルチルナは覚えた。膜の中の獅子は、確実に小さくなっているが、まだ消える様子を見せない。魔法陣の方が先に消えるだろう、そう確信する。
「守護者よ、彼の者を捕らえよ!」
樹の枝が蔦へと変化し、真っ直ぐに荷馬車へと伸びる。こっそりと御者台に戻って手綱を持ちかけていた商人が悲鳴を上げた。
「なにをするっ」
戦士が慌てて剣を握りなおす。魔導師の集中もこちらへ逸れてしまったようだ。
「は、あの男、あんたたちを置いて逃げようとしてたわよ。気を付けなさいよ、そんな馬鹿正直で間抜けだと、今に痛い目にあうわよ?」
偉そうに説教しながらもルチルナは、内心己の行動に頭を抱えていた。一体自分は何をやっているのか。さっきの魔術についての解説もそうだが、何かこの相手には調子を狂わされてしまう。
「あ、ああ、そうなのか。ありがとう。すまない、誤解した」
だから何故、この女は素直に頭を下げるのか。自分の行動の不可解さもあいまって、ルチルナの苛立ちは加速度的に高まってゆく。
「だああっ、いちいち頭下げるくらいならその剣どけなさいよっ! 別にこれ以上何しようとも思っちゃいないんだからっ! いい加減腕が限界だわ」
思わず怒鳴りつける。半ば八つ当たりであったのに、戦士は素直に剣をひいた。後ろで、こちらの様子を窺っていた魔導師の口が開く。
その時、ルチルナは少し、魔導師の少女に同情した。
***
魔女の突然の行動に、フィラーシャの集中は危うく途切れかけた。水の膜が弾ける寸前、なんとかそれを阻止する。しかし、どうやらサリアス相手に苛立ちをつのらせた魔女が怒号を飛ばした時、思わずフィラーシャは自分の頭ごと、全意識をそちらに振り向けてしまった。フィラーシャの日常生活においての欠点は多々あるが、魔導師としてのそれは、集中力の持続性がないという一点に尽きる。
見ると、サリアスが剣をおろしている。
「なっ」
喉元まで詰問が出かかった。フィラーシャに向けられる、魔女の同情めいた視線が悲しい。
「フィラーシャ?」
サリアスがフィラーシャへ向き直る。
「獅子は消してしまったのか?」
失念していたフィラーシャは慌てる。どうやらサリアスのところからは樹の陰になって、獅子が見えないらしい。また、それだけ獅子が縮んだということでもある。
魔女が立ち上がってフィラーシャの方へ近づいてきた。フィラーシャは少し身構える。
「……、何もする気はないわ。っていうか、何をする気も失せた。もうその獅子も危なくないでしょ? 良かったら返してくれるかしら」
盛大な溜息と共に腕を組み、魔女が顎で獅子を指した。確かに獅子は、獅子というよりも猫のような大きさの姿になっている。これならばもう一度支配することも容易いだろうし、支配した魔女がそれでどうこうすることができる程の力もない。警戒すべきは魔女がこれから、新しく何かを召喚するか、だ。
「……、どうぞ」
「ありがと」
一応風の魔力を集めながら場所を譲る。獅子を再び屈服させた魔女が、獅子をカードに戻し、懐にしまった。と、同時に腰に手を当ててこちらに向き直る。
「それじゃあ、私はこれでトンズラさせてもらうわよ、いいかしら。それとも、ここで大人しくお縄につけって言う? 言っちゃ悪いけど、スピニアで警吏や司法局なんか当てにしない方がいいからね。ま、駄目だって言ってももう一回捕まる気はないけど」
びしりとこちらを指差して一気にまくし立てると、ほほほほほ、と半ばやけともとれる高笑いをして、魔女は踵を返した。確かに何処の国でも、特に辺境の警吏や司法局などただ盗人の金を巻き上げるだけの守銭奴と聞く。スピニアのように国土が広く、戦争によって情勢が安定していない国は尚更だろう。
フィラーシャにしてみれば、結果的にこちらに損害は出なかったのだから構わない。だがしかし、結局こうなるならやはり、さっさとあの時こちらが逃げていたのと同じことのような気がする。いわば骨折り損だ。
「待て」
サリアスが魔女に声をかけた。フィラーシャは、思わずサリアスを注視する。正義の二文字だけを行動原理に動いているようなこの女戦士は、この魔女をどうするつもりなのか。
「私たちと一緒に来ないか? 先ほども言ったが、私たちは魔王討伐に向かっている」
この言葉に対する驚きは、魔女よりもフィラーシャのほうが大きかったかもしれない。
「な、どうして私が」
魔女の頬がひきつる。
「お前は決して、物を奪うのが楽しくて追い剥ぎをやっているのではないのだろう? 私たちにはできるだけ多くの仲間が必要だ」
「ばっかじゃないの、それで情けでもかけたつもりかしら?」
サリアスの言葉に、魔女が眉を跳ね上げた。
「いいこと、魔王討伐なんて愚行に誰がつきあうもんですかっ! しかもあんたたち何人よ、たった二人で、大軍勢でも倒せなかった魔王のところに行こうなんて、酔狂も愚行も通り越して狂気の沙汰だわ!」
付き合ってなどいられるか、といった様子で魔女は腕を振る。
魔女の言葉に、フィラーシャはどきりとした。確かにそうなのかもしれない、と思ってしまったからだ。さすがにここで今更自分も降りる、などと言い出すほど情けない人間になった覚えはないが、面と向かってそう言われると、その言葉は胸に矢のごとく刺さった。
「ああ、だから貴女の助けが欲しい。私は貴女は信用に足る人物だと思っている」
サリアスは至極真剣だった。真っ直ぐに魔女を見つめて真摯に言いつのる。
つまりサリアスは、フィラーシャが獅子の相手をしている間にあった何らかのやりとりで、魔女に好意をもったらしい。全く持ってそれどころではなかったため、フィラーシャには何があったのか予想もつかなかったが。
「待ってよ、サーちゃん、そんな急に……、その人追い剥ぎだよ? 信用とかって、そんな……」
戸惑いとも非難ともつかない言葉が口をついて出る。かやの外にいるような不快感が少し、サリアスの真意が分からないための苛立ちが少し、また、何故だか裏切られたという感覚が少し、フィラーシャの心の中でもつれあっていた。しょせん、フィラーシャとサリアスは、たったの五日前に初めて会ったばかりなのだ。
「ああ、すまない、フィラーシャ。あなたに何の説明もしていなかったな。つまり、この、ルチルナは決して悪人ではない、と思うんだ。なぜなら、彼女は今までここで人の金品を奪い取ることはあっても、無抵抗の弱者を傷つけたことはないし、追い剥ぎという行為自体、やむにやまれぬ事情があってのことだ」
「でも……」
フィラーシャはその言葉に、素直に納得することができなかった。いくら仕方がないとはいえ、犯罪は犯罪ではないのか、また、無抵抗の者に危害を加えなかったといっても、抵抗すればほぼ確実に焼死させられるのではないか。あの炎の獅子は餌としての燃やす物体を得なければかえらないのだから。
様々な疑問と不満が脳裏を交錯するが、はっきりとした論理となって出てきてくれない感覚にフィラーシャは苛立つ。ここで口を開けば感情的な悪口雑言しか出てきそうになかった。
「ちょっと、私は断るって言ってるんだけど?」
腹立たしげな口調で魔女が口を挟む。何をどう言っていいか分からず、フィラーシャは押し黙った。
このとき彼女は心から、サリアスの心の内が知りたいと思った。
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