第二章 金の髪の魔女

第5話 金の髪の魔女 1



 ルチルナは、慎重に魔法陣を構成していた。


 その中央、ルチルナの前方に豆粒大に見えるのは、運悪く草原の真ん中で車輪の外れた荷馬車である。


 辺りの鳥瞰図を脳裏に思い描き、遠隔操作で炎の元素を円形に配置していく。彼女のこの魔法から逃れ得たものはこれまでにいなかった。


「飛んで火に入る夏の馬車……っと」


 この場合、比喩というよりもそのままである。彼らはこれから炎の壁に取り囲まれることになるのだ。


「そいじゃいっちょ、本日の収益を頂きに上がりますか」


 陣が完成したのを確認して威勢良く頭を振る。波打つ深い金色の髪が大きく揺れた。


 ルチルナ・ガーネットウィッチ。


 深紅の魔女と呼ばれる彼女は、この草原を狩場にする追い剥ぎであった。



***



 アイオロードに着いたサリアスとフィラーシャは一通り街をフォートに案内してもらった後、彼と別れて宿を探した。フォートはキャシテとの国境近くに住んでいる姉夫婦の所へ行くと言い、その日のうちに慌ただしく西へと旅立って行ったのだ。現在、スピニアとキャシテは停戦状態らしいが、夏は戦の季節でもある。国境が近いとなれば心配なようだ。


「無事だといいな」


「フォートのお姉さん? うん、そうだね」


 表通りに手頃な宿を見つけ、荷物を置く。戦の影響はこの街にはあまり見当たらないが、聖都より物価が少し高いだろうか。道すがら見てきた街の様子も、細い路地に面しては貧しそうな粗末な格好の親子や、戦争で負傷した兵士と思われる強面の男たちもちらほら見られたが、全体としては治安も悪くはなさそうである。これならば、明るい間に表通りを歩いている限りは無用の厄介事に巻き込まれたりはしないだろう。


 フィラーシャはほっと胸を撫で下ろした。フィラーシャが住んでいた西の諸小国の小競り合いはとうの昔に落ち着き、彼女は物心ついてからこちら、大きな戦争は経験していない。魔物に立ち向かうのならばまだしも、人間同士の殺し合いなど、恐ろしくて到底参加は出来ないと小さく身震いする。


「サーちゃん、寒い?」


 寝台に腰かけてそんな思いを巡らせるフィラーシャの隣では、サリアスが宿の寝台に広げた荷物から上着を取り出して羽織っていた。


「いや、そこまででもないが……格好が目立っているのだろうか、人の視線の方が気になる」


 聖都よりもはるか北に位置するアイオロードは冷涼で、夏場でもそうは気温が上がらない。夏の盛りの時期とはいえ、周囲の人々の格好は素足剥き出しとはいかないようで、聖都での格好そのままでやってきたサリアスはかなり周囲から浮いていた。膝丈の上着を羽織ったところで、向う脛が丸出しな事に変わりはない。やはり目立つだろうか、と足元を見遣るサリアスに、フィラーシャは笑った。


「あはははは、じゃあまず服買いにいこっか」


 そんなわけで、アイオロード一日目は北へ行くための物資を揃えることで終った。サリアス、フィラーシャがルチルナに遭遇する二日前のことである。



***



 がくん、と馬車が揺れ、フィラーシャがしたたかに腰を床に打ちつけた。


「うっ、いったあーっ……っく! うぅっ」


 思わず悲鳴を上げて、すさまじい臭気を吸い込んでしまい、派手にむせる。慌てて鼻をつまんで涙目のまま、口で息をした。下に敷いてある湿ったわら草から、魚の生臭いにおいが発散されている。日除けの幌が余計に臭いを荷台に篭らせていた。


 市場帰りの荷馬車に乗せてもらって約一刻。すでに二人ともぼろぼろであった。


 アイオロードから北東の海岸までの道のりは、見渡す限りの草原だ。雨季とは思えぬ快晴の空に溶けるように、地平線まで少し白茶けた青草がそよいで波を作る。本来この地方は夏が雨の季節だが、世界から水の魔力が枯渇している現在、実際の雫が落ちてくることはあまり無いそうだ。


 二人はまず、大陸の北東に広がるセイリア海、その海沿いの港町ラピスまで移動し、そこから船で海峡を挟んだ魔王の大地に渡るつもりで、この粗末な荷馬車に揺られていた。魔王の大地とは、そこに魔王の居城があると言われる場所で、凍てついた土と峻険な山脈、多くの魔物が来る者を拒み、その広さも全貌も分かっていない地域だ。島なのか大陸なのかも判らず、便宜上人々はそこを、「魔王の大地」と呼んでいた。


 本当なら馬を買って、馬でラピスまで移動し、海を渡ってからもその馬を使うつもりであった。が、しかし二人は、アイオロードで馬を買い損ねた。


 アイオロード二日目の朝が幸運にも馬の仕入れ日と聞いた二人は、早速朝市で馬を買うつもりだった。馬の仕入れ日は七日に一度しかなく、長旅に耐えうるような良い馬を見つけたければ、やはり仕入れ日の朝を狙うのが一番良い。だが馬をここで調達しようと考えるのは何も二人だけではない。跳躍門を使ってアイオロードに来た者の大半は同様に、いち早く良い馬を手に入れて目的地へ旅立とうとする。


 そもそも、馬に跨って跳躍門をくぐれるのならばそれに越したことはないのだが、跳躍門を利用する際、馬などの動物はひどく暴れる。そのため大抵の者は跳躍門に動物を連れて入ることはしないし、もしどうしてもその必要があるときには人間の通行料の二、三倍の料金を払うことになるのだ。


 結果、アイオロードの馬市は、その日の朝には売り切れ御免となる、非常に競争率の激しい市場となっていた。少しでも遅刻すれば、まともな馬が残っていない。


「ご、ごめんで、私のぜいでごんだごどにだっぢゃっで、ザーぢゃんにばで迷惑がげで……」


 鼻をつまんだままフィラーシャが謝罪する。がたごととうるさい中なのでかなり大声だ。


「いや、まあ、今更言っても仕方のないことだ。気にするな。これも神帝の与え賜うた試練だと思えばっ……」


 再び荷馬車が大きく跳ねた。舌をかんだらしいサリアスが痛そうにうつむく。


 二人が乗っている荷台には、さっきまでセイリア海で獲れた魚介類が山積みになっていた。


 二日目の朝に馬を買い損ねた二人は、それでもなんとか馬を手に入れようとその日一日を費やしたのだが、結局それは徒労に終った。しかもアイオロードとラピスの間には、追い剥ぎが出るとのことで乗合馬車も走っていない。


 仕方なく翌日、三日目の朝に、ラピスから魚介類を市に出しに来ていた商人に、帰りに乗せてくれるよう頼み込んだのである。


「だいじょぶ? ザーぢゃん?」


 何故馬を買い損ねたのか。その原因はフィラーシャにあった。アイオロード二日目の朝、彼女はどうやっても睡魔と布団を引き剥がすことができなかったのだ。


 本当ならば一の刻には、遅くとも二の刻には市場に行って馬を買う予定だったのだが、結局街に出られたのは三の刻をまわってからだった。



***



 アイオロード二日目の朝。


 一の刻にはすでに支度を済ませたサリアスは、起こしに行ったが全く起きる気配のないフィラーシャを見て、睡眠不足なのだろうと二の刻までそっとしておくことにした。


 実は前日、聖都出発の朝はフィラーシャの方が早く待ち合わせ場所に来ていた。日の出と共に鳴る朝刻一の鐘に待ち合わせをしておいた所に、相手を待たせては失礼だと早めに行ったサリアスよりも、更に早くからフィラーシャは其処で――市街地と、跳躍門のある建物や劇場などのある中央神殿外郭部を分ける門扉の前で待っていたのだ。


 フィラーシャは門柱に寄りかかるようにしゃがみ込んで、うつらうつらと舟まで漕いでいた。驚いたサリアスがどれくらい前から待っていたのかと問いただしても、フィラーシャは「あたし、すごく寝起き悪いから。絶対遅刻しないようにって……」とにかんだように笑って誤魔化すだけで、答えてはくれなかった。しかし、相当早くから来ていたのは間違いない。何もそこまでとは思うが、睡眠不足だったのは間違いないだろう。


 しかし、置いて出るのも悪い気がして一刻はぼんやりと待っていたサリアスが、二の刻をまわってから寝台を覗き込み、揺すってもうんともすんとも言わない。さすがに起こさなければまずいと、揺すっても叩いてもつねってもみたのだが、全く反応が無かった。


「昨日言っていた、非常に寝起きが悪いというのは本当だったのか」


 妙に感心してサリアスは呟く。昨日門のところでは普通に起きたのだから、多分、一度横になって寝てしまうと、というのが正確な所だろう。……などと悠長に感心しているわけにもいかない。なんとかフィラーシャを起こそうとサリアスは奮闘した。


 とりあえず上掛けを剥いでみる。無駄だった。頬を軽く叩きながら耳元で呼ぶ。これも無駄。耳元で手を叩いてみる。寝返りをうつだけだった。


「…………ふむ、なかなか手ごわい」


 仕方がないのでサリアスは、最後の手段に出ることにした。昨日調達した長袖の上着の袖をまくり、戦士として鍛えた腕力にものをいわせてシーツを引き抜く。枕を抱き込んだフィラーシャの体が一瞬宙に浮いて、再び寝台に着地した。簡素な木枠に藁袋を詰めた、決して上等とは言えない寝台が重く軋む。


「…………んー……」


 反応はそれだけ。もはや打つ手なしである。


「夜襲を受けたらどうするつもりなのだろう?」


 思わず心配になる。と、寒くなったのか上掛けを求めてフィラーシャが寝返りを二連続でうった。


「あ」


 どたーん。


 派手な音を立てて、寝台からフィラーシャが転がり落ちた。床は板張りなので、相当痛そうな音がする。


「うー……。いたたたた。んー? 何……?」


 完全に寝ぼけた様子で、のろのろとフィラーシャが体を起こす。


「おきたか?」


「……んあ、サーちゃん?」


「おはよう、フィラーシャ。相当疲れていたのだな」


 それから、寝惚けてスープ皿に顔を突っ込みそうなフィラーシャと朝食を摂って出ると、既に三の鐘が鳴る時間になっていたという訳だ。普通なら怒りの矛先はフィラーシャに行くのだろう。しかしサリアスは「これだけ朝が苦手なフィラーシャが、昨日はあれほど早くから待っていてくれたとは」と一人で感じ入っていた。ある意味大物である。



***



 乗せてもらった商人はいかにも田舎の在郷商人といった風情の中年の男で、市の後片付けを手伝う代わりにただ同然で乗せてくれた。市といっても露天に日除けを立てて敷物を敷き、その上に売り物の入った木箱を積むだけのものである。二人は空になった木箱を荷台の隅に積んで敷物をたたみ、日除けを片付けた。結構な力仕事だが、鍛え上げた戦士であるサリアスは難なくこなし、フィラーシャもそれなりに頑張った。


 太陽の南中と共に鳴る朝刻五の鐘によって市が閉まると、ラピスからの者は大急ぎで片付け、我先にと帰っていく。サリアスたちも急かされ、慌てて片付けた。聞けば追い剥ぎが出るらしく、日の高いうちに何としてでも帰りの途中にあるペルダットという町までは辿り着かなければならないらしい。サリアスたちが追い立てられるように飛び乗った荷馬車も、凄まじい勢いで走り出した。


 速度が速いと、道の凹凸による衝撃も激しい。ただ草や大きな石がないだけの土の道を木の車輪で走るのだから、ただでさえよく揺れる。二人は出発早々、何度となく腰や頭を打つことになった。


 出発して幾度目かの派手な揺れに転び、ゴツンと派手に後頭部を打ったフィラーシャは、たまりかねて御者台に向かって叫んだ。


「おじさ――――ん、もーちょっと、ゆっっくり、走れませんか―――――?」


 すると前を向いたままおじさんこと、魚売りの商人が答える。


「そ―――おは、言ってもな――――あ、若いお嬢さんを二人も乗せて、危ない目に遭わせる訳には、いかねえじゃあね――――か――――?」


 そう言ってさらに鞭を振るう。随分張り切っているようにフィラーシャには見えた。


「だめみたいー。あー、魚の臭い慣れちゃったー」


「まあ、好意なのだからありがたく受け取っておこうではないか」


「……、サーちゃんって、結構変わった解釈するよね。私が言うべきことじゃないかもだけど」


 そのおおらかな解釈の恩恵を受けていることを自覚しているフィラーシャは、なんともいえない気分で呟く。どこまで本気なのかと一瞬悩むが、多分全般的に大真面目だ。器が大きい……という事だろう。


 がたん、と再び衝撃が走り、体が宙に浮く。いい加減慣れてきたので着地の衝撃に備えて身構えた。だが予想した時間差では衝撃は来ない。浮遊感が長く続く。


「え?」


 荷台が横に傾いだ。まず倒れて床にぶつかり、体勢がくずれたまま横に滑って、下から突き上げる激しい衝撃に転がされながら、荷台の壁に打ち付けられる。


「車輪が外れたのかっ」


 奥にまとめて積んであった荷物が崩れる。降ってくる木箱から、咄嗟に抜いた剣で頭とフィラーシャをかばいながらサリアスが叫んだ。


 酷い音を立て、何度か激しく跳ね上がりながら、徐々に減速して馬車が止まる。それとほぼ同時にサリアスが外に飛び出した。


「何が起きた」


「ああ、車輪が外れてどっかいっちまった。わりいが探すのを手伝ってくれ」


 御者台から降りた商人が焦ったように言う。二人はそれぞれ外れた車輪を探してきた道を戻り始めた。


 フィラーシャもすぐに外に出たかったのだが、したたかに壁にぶつけた体にしばらく力が入らなかった。



***



「あったぞ」


 明後日の方向の草むらに沈んでいた車輪を見つけたのはサリアスだった。


 荷台を持ち上げて車輪を嵌めるのに、中に人がいては重たくて荷台が持ち上がらない。なんとかフィラーシャも這い出して手伝うことにする。


「私たちが支えているからフィラーシャが嵌めてくれ」


「うん」


 なんとかかんとか嵌め直し、ねじを締める。衝撃で外に飛び出した木箱や布を拾ってまたきっちりと荷台の隅に積み込んだ。


「やっぱり、もー少しゆっくり行きましょ、ね?」


 これ以上痛い目に遭ってはかなわないとフィラーシャが懇願する。


「しかしなあ……」


 追い剥ぎに収益を奪われれば死活問題である商人は一刻も早くペルダットに着きたいらしい。


「もしも追い剥ぎに襲われれば、我々が何とかしますから」


 サリアスもそう言って商人を説得する。彼女もこれ以上はごめんらしい。


 仮にも「勇者」として旅立ってから一度も戦っていないのに、おそらくは既に二人とも、体中青あざだらけであろう。伝説や物語と現実は違うのだとしみじみ思うフィラーシャである。


「そうそう、サーちゃん、強いんですよ……――っ!」


 不意にフィラーシャが身構えた。不審げに辺りを見回す。


「どうした? フィラーシャ」


「う、ん、何か魔力が発動したような……」


「なにっ、一体どこで」


「それが、どこからも……ええと、全方角から……」


 一瞬、地平線が歪んだ。


「なんだ?」


 陽炎のようなものが全方角に立ち昇っている。


 ひときわ大きくそれが揺らいだ次の瞬間、熱風が三人を襲った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る