第2話 新たなる「勇者」の旅立ち 2
巨大な剣をダナスに向かって構えたのは、異変を聞きつけてこの漁師町に駆けつけた地元民の女戦士だった。くせ毛の黒髪は無造作に短く切られ、この地方独特の象牙色の肌をした、筋肉質でありながら女性的な曲線を描く四肢を剥き出しに、涼しげな麻の衣服をまとっている。歳は二十を越えるか否かといったところか。きりりと吊り上った意志の強そうな琥珀色の眼をした、背の高い女だ。
彼女は明日からの旅に備えるため、必要な物を買い足しにたまたま近くの夕市に来ていたのだ。警邏任務に就いていたわけではないので鎧は着ていないが、常に剣だけは背負って歩いているのが幸いした。
避難する人々を避けるために屋根の上――聖都の家々は方形か、屋根があっても非常になだらかなので登ってしまえば走るのに支障はない――を駆けつけた彼女は、屋根の上からダナスと対峙した。身の丈近くある大きな両手剣の狙いを敵の眉間に定め、腹に力を込めて宣言する。
「貴様はこの神帝の元でで鍛えし戦士、サリアスが退治する! 覚悟っ!」
宣言と同時に剣を横一閃に薙ぎ払い、ダナスの気を引いて剣の間合いまでおびき寄せる。案の定威嚇の声を上げながらダナスの鎌首が近づき、その狂気に満ちた目がサリアスを捉えて光った。呼吸を整えなおし、サリアスは身体の重心を落とす。
「待ってください! そこの二階には子供が取り残されています!」
不意に地上からそんな警告が発せられた。耳を澄ませば確かに、ダナスの唸りと瓦礫の崩れる音に混じって、火のついた様な泣き声が聞こえてくる。今まで気付かなかった事に舌打ちし、サリアスは慎重にダナスから視線を外して地上を見下ろした。瓦礫が散乱する通りの端で、ダナスの背後から片手剣を提げた青年がこちらを見上げている。
「ではお前がダナスの注意を引いてくれ。私が子供を回収して降りる」
まさか子供を巻き添えにするわけにはいかない。地上の青年もダナスを退治するつもりだった同志と判断し、サリアスは彼の協力を仰いだ。
険しい表情ながらも青年が頷いた事を確認し、サリアスは屋根から二階へ降りる昇降口を探し始めた。現在立っている家は完全に方形なので、屋上は平坦で物干し場もある。探せば出入り口があるはずだった。
***
突然屋根の上に現れた女戦士に指示を出され、目の前の青年が「無茶言ってくれるね」と呟いた。確かに注意を引く、とは言い換えれば囮であり、危険な役割を押し付けられたとも言える。だが、先ほど彼が単身ダナスに向かって剣を構えたのを見ていたフィラーシャは、目の前の青年にも何がしか考えはあるのかもしれない、とちらりと思った。
翻って自分は、望んでこの場に残ったにも関わらず未だにどう動いたらよいのか分からない。その事にフィラーシャは焦りを感じていた。だからといって迂闊な事をすれば、青年や女戦士の邪魔になりかねない。ダナスへの恐怖よりも失敗することへの恐れを強く感じながら、フィラーシャは辺りを見回し、必死に頭を回転させる。
どうやら女戦士は、子供を保護するため屋上から階下へ降りたようで、その姿は見えない。剣を収めた青年は、一旦身を屈めて散乱する瓦礫から手のひら大の破片を拾い上げると、じりじりと来た道を戻り始めた。
「あなたは向こうへ走ってください。此処は救護どころじゃない」
自分たちと泣き叫ぶ子供以外にダナスの近くに居る者は見当たらない。救護をするのならば、更に海岸側の堤防が崩れた辺りまで行く必要があるだろう。青年の指示を受けてフィラーシャは指された方向を見遣った。もっとも、破壊された家々の中に取り残された人が居ないという保障はない。しかし捜索をしたくても、残念なことにフィラーシャはそれ用の魔術を習得していなかった。大地の魔術を最も苦手とするフィラーシャはひそかに嘆息する。なんとも役に立たないのがもどかしい。
青年はダナス目掛けて瓦礫を投げつけると、フィラーシャとは反対方向へ走る。女戦士を見失い、子供に興味を移しかけていたダナスがのそりと青年の方を振り向いた。
次の瞬間ダナスの尾が鞭のようにうねり、青年目掛けて空を薙ぐ。それを避けて地面に身を投げた青年は、身を起こしながら更に瓦礫を拾い、再びダナスへと投げた。苛立った様に鷲の足を踏み鳴らし、ダナスが牙を剥き出しにして威嚇する。足踏みの振動で周囲の建物や瓦礫が揺れる中、ぼんやり立っているわけにもいかずフィラーシャは海岸側へと走り始めた。
***
鍵のかかっていた屋上の昇降口を無理矢理こじあけ、階段を下りるのももどかしくサリアスは二階へ飛び降りた。窓のある部屋へ飛び込むと、未だに火のついたように泣きながら男児が窓枠にしがみついてる。
「助けに来たぞ、こちらだ」
言いながら男児を抱えようとするが、既に恐慌状態の男児は更に泣き声の音量を上げ、サリアスの腕から逃れようと全身を捩る。早くに母親を亡くしたため兄弟はおらず、十九年間の人生の大半を剣の修行に費やしてきたサリアスにとって、この男児は未知の生き物に等しい。その半端でない泣き叫び方と思いのほか強い抵抗に、ダナス相手には一歩も退かない女戦士も対処しあぐねた。
しかし此処で手こずっていては自分も男児も、ダナスを引きつけてくれているはずの青年も危うい。無造作にサリアスの髪をわし掴んでは、容赦なく引き千切ろうとする男児に業を煮やし、サリアスは男児の胴を問答無用で担ぎ上げた。あまりの出来事に驚いた男児が、一瞬静かになった隙に外の様子を確認する。
ダナスは既にこちらに背を向け、怒り狂った様子で何かを追っている姿が見えた。
その向こうに青年の影を認める前に、突如、サリアスの立つ床が大きく揺れる。
すぐ横の漆喰の壁に、大きな亀裂が走った。
「まずいっ……!」
暴れる大蛇の尾がこの家に当たったのだろう。一刻も早く出なければ、崩れた家の下敷きになってしまう恐れがある。再び泣き暴れ始めた男児を、崩れ始めた家の礫から守るために今度は脇に抱え直してサリアスは崩れ始めた家を飛び出した。
家から脱出し、まず最初に視界に飛び込んできたのは、頭上に振り上げられた大蛇の尾であった。その軌道から打ち下ろされる場所を推測し、その反対側へ全力疾走で逃げる。腐った魚のような生臭い風が背後から吹き降ろし、大蛇の尾がサリアスらのいた家を、今度こそ瓦礫に変えて宙に舞わせた。
その様子を横目にちらりと確認し、サリアスは前方を見遣る。その先ではダナスの相手をしていた青年が剣を構えたまま、吹き飛ぶ瓦礫を見上げていた。
と、青年が虚を突かれたように凍りつく。その只ならぬ様子に振り返ると、吹き飛ばされた瓦礫が、救助され遠巻きにダナスを見ている怪我人たちの頭上へ舞っている。
「しまった――」
「向こうにはあの子が……!」
それぞれに悔やむが、最早間に合わない。あちらにまで気が回らず、惨事を防ぎきれなかった事にサリアスが歯噛みしたその時。突然、ぶわりと突風が背後から突き抜ける。
放物線を描いて飛んだはずの瓦礫が、まるで柔らかい壁にでも当たったかのように緩やかに動きを止め、垂直に落下した。
***
怪我人たちが肩を寄せ合っている一画にフィラーシャが辿り着いた時、既に背後ではダナスの尾が家々を破壊する轟音が響き渡っていた。
人々に杖を見せて協会魔導師であることを告げ、治療を申し出ようと人々の顔を見渡す。すると彼らは、一様にフィラーシャの後方、彼女の後ろ斜め上をぽかんと見上げていた。
つられてそちらを振り返り、フィラーシャもまた凍り付く。瓦礫が、宙を舞っていた。
「風よ、壁をっ……!」
詠唱する暇もなく、咄嗟に得意の風の魔術を発動させる。杖を媒体に風の魔力を周囲からかき集め、厚く柔らかな壁を脳裏に描いた。実戦経験が皆無に等しいとはいえ、実践訓練を怠ってきたわけではない。フィラーシャは一応、今年西区域の代表に選ばれた魔導師なのだ。
頭上に飛んできた大小の煉瓦塊、木片などが一瞬その場に停止する。そしてフィラーシャの作った魔術の壁を滑り落ちて地響きを立てた。
「……っ、止まった……」
背後で、呆然とした呟きが漏れる。それをきっかけに集中が途切れ、フィラーシャは緊張を解くと同時に、詰めていた息を吐き出した。制御を失った風の魔力が散っていく。背後に命拾いをして喜ぶ人々の賛辞を聞きながら、フィラーシャは大きく息をついた。
***
「どうやら、僕と一緒に居た魔導師の子が止めてくれたようですね」
軽い安堵の息と共に青年が言った。そういえば、青年の影に隠れるようにもう一人、少女らしき人影があった事を思い出す。
「有難い。お前たちのおかげで助かった」
言いながら、すっかり大人しくなった男児を地に降ろす。泣き疲れて諦観しているのか、それともあまりに目まぐるしく襲ってくる危機に、すっかり自失しているのかサリアスでは判断がつかない。
「僕も彼女とは初対面なんですけどね……じゃあ実質、あなたを救ったのは彼女かな。僕は彼女に付き合って残っただけので」
そう言った青年は、生臭い、というより腐臭を撒き散らしながら大口を開けて襲ってくるダナスをかわし、男児を右腕に抱きかかえて後方へ下がった。
「僕のお役目は終わりですね。この子は僕が預かりますから、どうぞご存分にお願します」
これ以上大蛇の相手をするのは願い下げだ、と言いたげな青年に頷き、サリアスは再び剣を構える。
「ああ、任せておけ」
ここからが本番だ、とサリアスは不敵に笑った。
***
瓦礫を魔術の壁で受け止めた後、フィラーシャはダナスと勇敢な女戦士の戦いを横目に、ひたすら治癒魔術を施し続けた。打撲や骨折など、腫上がってはいるが出血のない負傷もあれば、目を覆いたくなるような傷もある。しばらくすると眠る男児を抱えた青年も合流し、応急手当や傷口に刺さった木片の抜き出しなどの処置をてきぱきとこなしてくれた。
「そう言えば――お名前はなんとおっしゃるんですか?」
処置が一段落し、瓦礫に腰掛けて小休止をしながら青年が尋ねてきた。そう言われれば名乗っていなかった事を思い出し、フィラーシャは姿勢を正して答える。
「あ、フィラーシャって言います。西の協会支部から……ウシュルの跳躍門を使って来ました」
『跳躍門』とは聖都を含めて九つの都市に存在する、超空間移動のための施設である。人々は各都市の跳躍門を介して、一切の空間的距離を無視して一瞬で都市間を移動することができるのだ。
「西の出身の方なんですか。あ、僕はフォートと言います。出身地はスピニアの北ですね。よろしく、フィラーシャ」
「よろしくお願いしますー。――スピニアなら……アイオロードだっけ」
ウシュルとは、跳躍門のある都市の中で最も西にあり、大陸北西部の出身であるフィラーシャにとって、最も近い跳躍門はそこになる。世界最西端の跳躍門はウシュルにあり、たしか最東端の跳躍門はスピニア領土のアイオロードにあったはずだ。そう記憶を手繰り寄せながらフィラーシャは呟いた。
スピニアとは大陸最北東端の大国である。セイリア海峡を挟んで魔王の支配地と接しているにもかかわらず、強大な軍事力で魔物たちをも追い払っているらしい。隣接する国々への侵略に余念がなく、ここ数年は同じように巨大化してきた隣国キャシテと戦争状態にあるという。そう、旅立ちに際して一応勉強した世界情勢の知識をフィラーシャは記憶の奥から引っ張り出した。
フィラーシャの暮らす魔導協会支部やウシュルもまた、帝国から独立した諸小国の一つに位置しているのだが、西はスピニアやキャシテのような大国が存在しない。そのため、独立したはいいが世界的な天変地異によってたちゆかなくなった小国たちは、次々に帝国に再び膝を折ってしまった。現在では国名と上流階級の利権をわずかに残して帝国の隷属国家となっている。要は、あまり以前の体制と変わらなくなっているのだ。
「ええ、一番近い跳躍門はアイオロードなんですが――実は、巡礼をしてきたんで時間的には踏破したようなものですね」
「え……巡礼って、まさか全部回ってきたんですかっ?」
一生に一度は巡礼の旅に出て、神帝の決起した地とされるハサカから、天へ昇った聖都までの道のりを辿るのが神帝の御心を知る最高の手段であるとされている。しかし今の時代、戦争や魔物、天変地異など危険が多く、一個人が全てを回るのは困難言われていた。略式で聖都のみに巡礼に来る者も少なくないのだが、「踏破」と言うからには、フォートはそれぞれの地を自分の足で歩いて来たのだろう。
「……まあ、ハサカまではアイオロードから跳躍できますし、後は相当駆け足で馬に跨って来た感じですけどね」
謙遜するように苦笑して、フォートは軽く肩を竦める。
「スピニア人と名乗ると、あんまり歓迎もされないですし」
真っ先に帝国に反旗を翻し、それに同調して独立した周辺の諸小国すらも次々と屠ったスピニアは、今や第二の帝国と呼ばれるまでになった。そんなスピニアに、当然帝国側は好感情を持っていない。しかも立地条件もあり、密かに魔王と手を結んだのではないかとの噂までたっているのだ。フィラーシャ自身、スピニア国内に巡礼地を全て回るような、熱心な信者が居るとは想像していなかった。
「でも凄いですよー。じゃあ、もう神殿の礼拝は済んだんですか?」
すっかり感心して尋ねるフィラーシャに頷き、フォートは神殿の方角を見遣る。
「ええ、まあ。明日位には帰ろうかな、と思いまして。今日は一日観光するつもりだったんですけどね。……ところで、フィラーシャは何故聖都に?」
そう尋ね返されて、咄嗟にフィラーシャは返答に詰まった。何故か素直に、「勇者に選ばれたので呼ばれました」と言えない。露天商の老婆との会話ですっかり辞退する気になっていたのだが、それを口に出すのはまだ少し後ろめたいのだ。
あー、とも、うー、ともつかない唸り声を上げていると、背後から木杯を渡しつつ、軽いながらも負傷して、逃げ遅れていた中年の女が言った。
「勇者様じゃないんですか? ほら、魔導協会のほうの」
言い当てられて、ぎくりと体が強張る。木杯に並々と注がれた、冷たい清水が大きく揺れた。
「あ、う、はい……い、一応……」
フィラーシャがぼそぼそと答えると、女は得心顔で頷く。
「ああ、やっぱりねぇ。流石だよ。あの瓦礫が飛んできた時はホント、もう死んだと思ったからさ。それにこの脚! もうすっかり痛くも痒くもない。居る所には居るもんなんだねぇ、本物がさ!」
一応固定の為にきつくさらしを巻いてある足首を見せながら、女は嬉しそうにばしばしとフィラーシャの肩を叩いた。その力強さに思い切り上体がぶれる。
「い、いえ、お水ありがとうございますー」
何とかそれだけ言ってフィラーシャが頭を下げると、「そりゃあもう、命の恩人様々だからね!」と豪快に笑いながら女は去っていった。
「……何か、後ろめたいことでも?」
その様子が気になったらしく、フォートが尋ねてきた。仕方がない、と諦めて、フィラーシャは口を開く。
「そのー、辞退しようかなって、思ってるから……」
最後の辺りはもぞもぞと口の中で消滅した。それを飲み下すように木杯に口をつける。流れ込んできた水の清涼さにフィラーシャは目を瞠った。
「おいしい……!」
現在、世界の何処にあっても清らかな水は最も貴重なものの一つだった。清流というもの自体を、フィラーシャは見たことがないのだ。しかし聖都においては神殿の奥からこんこんと清水が湧き出しており、神殿から流れる聖なる水は腐るのが遅いのだという。
水が腐るとは、水が濁り、悪臭を放ち、最後にはどろどろとしたものに変質してしまうことを言う。現在、世界中の真水のある所はその真水が腐り、水の少ないところは完全に干乾びつつあった。この地上において飲用に耐える水は何より貴いものであり、清らかな水とは神帝の威光と恩恵の証なのだ。そしてその清水が溢れる聖都はまさに、神の地といえた。
フィラーシャが生まれるよりも遥かに昔には、清水は世界中に溢れていたらしい。それが段々と消え、大地にも毒となるような腐った水ばかりが地上に残った。人々は、雨の降る所では大地を這うものよりもいくらかましな天からの水を、雪や氷のある地域ではそれを溶かしたものを飲んでいる。そのどちらもない場所に、棲む生き物はいない。
「流石は聖都、ってことだよね」
感心して、曇りなく木杯の底を揺らめかせるその水を眺める。フィラーシャの故郷にはそのまま飲める水などなく、家畜の乳を飲むか、水を清めるといわれる薬草と一緒に沸かした茶を飲むより他はないのだ。
「確かに、清らかな良い水ですね。――勇者任命の辞退というのは、あまり珍しくないと聞いていますが」
逸らそうとした話を見事に蒸し返された。
「うん……そうらしいんですけど……アル、あたしの姉さんのアルベニーナって人が凄く正義感の強い人で、勇者に選ばれたなら絶対、魔王を倒しに行くんだって言ってる人で……」
まだ物心がつかない間に両親を亡くし、魔術の素養が認められたために幼くして魔導協会住み込みで魔術の勉強をすることになったフィラーシャにとって、アルベニーナは同じく幼い頃から魔導協会で暮らす、姉の様な存在だ。五つ年上であり、面倒見がよくしっかりしたアルベニーナと年下でぼんやり、おっとりしたフィラーシャは本物の姉妹よりも姉妹らしいと言われることもあるくらいである。フィラーシャはアルベニーナをアルと呼び慕っていたし、信頼していた。彼女の言うことはいつも清く、正しい。
その姉に反することに、少なからずフィラーシャは抵抗を感じていたのだ。しかし、正直魔王討伐など自分に出来そうもないことは、今回とても身に沁みた。
「ははあ、辞退して帰ると、そのお姉さんに合わせる顔がないわけですね」
いたずらっぽく、心得た、といった風にフォートが笑う。かなり大真面目なフィラーシャはむくれた。
「まーそんなところですっ」
少し強めにそう言って、そっぽを向くつもりで首を巡らせる。すると、フォートに助け出された男の子が、すやすやと寝息を立てているのが見えた。
「んー、良く寝るなぁ」
周囲の状況はといえば、先ほどやっと、女戦士がダナスを倒したところだ。寝心地も悪く、周囲の騒がしい事もこの上ないにも関わらず、男の子は熟睡しているようだった。
「まあ、心身ともに限界だったでしょうしね」
そのフォートの言葉に頷いて、フィラーシャは空を見上げた。日は既に神殿の向こうへ沈み、空は茜色から藍色へと移り変わりつつある。ぼんやりとそれを眺めたフィラーシャは、ある重大な事を思い出した。
「あっ! い、いま……五の鐘まであとどれくらいっ……?」
思わず、誰にともなく大声で尋ねながら、勢い良く立ち上がる。魔王討伐に向かうにしろ、辞退するにしろ、一度は中央神殿へ行って、モルトヴァーナの戦士と共に祝福を受けなければならない。その待ち合わせ時刻が夕刻五の鐘、場所は中央神殿礼拝堂の正面だった。
「……もう、日が神殿の向こうへ隠れてしまいましたから、ちょっと正確な事は分かりませんが……そろそろ鳴るんじゃないですか? 五の鐘」
「なっ、どうしよう、とりあえず御免なさい、あたし約束があるから行きますっ。お元気でっ――碧の風よ、我が友よ、我が翼となりて我を天空へと導け!」
すばやく詠唱して飛翔魔術を発動させ、一気に加速して神殿を目指す。後片付けや生き埋めの人の救助も手伝うつもりだったが、この際他の人々にお願いしよう。そうフィラーシャは、眼下を海岸へと走る、やっと出動してきたらしい神殿兵たちに頭を下げた。
しかし、何とか五の鐘と同時に待ち合わせ場所に辿り着いたフィラーシャは、そこで四半刻ばかり待ち惚けを喰らうことになる。
そして、日が沈みきり、薄暗くなった待ち合わせ場所に現れたその相手は、つい先ほど見た顔をしていた。
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