第682話「ボクが一番よく知っている」
〈社務所〉の巫女である御子内或子が、ついに人の身で邪神を打ち破った瞬間、仲間たちは雄叫びを上げながら駆け寄っていった。
邪神の完全なる消滅を確認していたから〈護摩台〉の維持はもう必要ない。
ただ、長らく苦楽を共にしてきた戦友にして親友の神話的勝利を祝いたいがために、或子のところにまで辿り着くわずかな時間すら歓喜の叫びを堪えることさえもできないほどに興奮していたのだ。
「おおおおおおおおおお!!!!!」
音子も、レイも、藍色も、皐月も、てんも、一瞬たりとも我慢できなかった。
それは悲願だったからだ。
それは約束だったからだ。
それは―――希望であったからだ。
産まれながらにして宿命を背負い、物心がついた頃からずっとずっと鍛えてきて、十三の春に運命の友たちと出会い、この時まで戦ってきた彼女たちの半生が無駄ではなかったのだと示す戦果であった。
だが、この結果はちっぽけな第一歩でしかなく、これからも彼女たちは修羅の道を征かねばならないことはわかっている。
それでも、彼女たちは斃したのだ。
強大なる宇宙的恐怖の存在を。
何百年も昔から、何千人もの人々が取り組み、何万人もの犠牲をだしてきた「神殺し」という偉業なのだった。
今、ここで叫ばずにしてどうする?
ここで涙をこぼさずにしていつ流す?
ヒトが、抗い続けて、逆らい続けて、ようやく勝ち取った一握の希望なのだから。
「或ッチぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!」
「バーカバーカバーカ、てめえは最強のバカだ、まったくこのくそったれのバカダチ公め!!!!」
「或子しゃん、或子しゃん、或子しゃん、勝ちましたよ、勝ったんですよぉぉぉ!!!!」
「―――がああああああああああ、くそくそくそっ、涙で何も見えない!! こんなときに何も見えない!!!!」
「わーんわーんわーん!! しぇんぱぁい、しぇんぱぁい!!! てんちゃんは……てんちゃんは……てんちゃ……わーーーーーーーん!!!!」
少女たちは殊勲者に抱き付きもみくちゃにした。
高らかに差し上げられた右手に、未だ拳を握って左腕に、細い胴に、華奢な腰に、髪型が乱れに乱れた頭にしがみつき、割れんばかりに抱き付いた。
生きているだけでも奇跡なのに、彼女たちの親友は五体満足で立ち尽くしているのだ。
大往生どころか、完全なる勝利を強奪したのである。
奇跡どころの騒ぎではなかった。
「く、苦しいから、離れるんだ!!」
「うるせえ、このバカ女!! 我慢しろや!!」
「シィ. あたしはもう少しハグしていたい!!」
「あるこしぇんぱぁいいいいいいい!!」
「……この手応えサイコー……揉み応えよし……」
「皐月さん、ちょっと邪魔です!!!」
親友たちはハグだけでなく、顔を擦りつけ、頬や腕にキスをしたりとやりたい放題に祝福を続けた。
最初は喜んでいた或子がそのうちに激昂しかねないぐらいに執拗に、執拗にそれは続いた。
そして、案の定、
「いい加減にするんだ、このあんぽんたんども!!!」
抱き付いてきた五人を最後に残っていた〈気〉のこもった拳と蹴りで吹き飛ばした。
わりと本気であったのに痛そうな顔さえしない親友たちに人差し指を向けて、「今度、ボクをぬいぐるみ扱いしたら、いかにキミたちといえど全員に〈闘戦勝仏〉をかましてやるからな!! いいかい!?」と洒落にならないことを言った。
「……或子先輩のけーち」
「暴力ハンターイ!!」
「私、こんなにいいの食らったの久しぶりですにゃ……」
「てめえ、或子、ふざけんなよボケ!!」
「
荒っぽく排除された友たちからのブーイングを一切無視して、あることに気がついた或子は周囲を見渡した。
すぐにその動きは焦りが入り激しくなる。
さっきまでの勝利の余韻がどこかに飛んでしまったぐらいに或子の顔に焦慮の色が浮かぶ。
ただ一人の少年の姿が視えなかったからだ。
彼女が〈クトゥルー〉=〈ダゴン〉を退治するための舞台を用意してくれた最愛の相棒がどこにもいないからだ。
戦っている最中は一切の余裕もなく戦闘に没頭していたから考えもしなかったが、相棒―――升麻京一がどのようにしてさっきのようなことをなしたかさっぱりわかっていない。
彼がやってくれたことだけはわかっていたが、どうやったのかは不明なのだ。
〈一指〉という稀に見る強運を持つとはいえ、ただの高校生の少年が仕出かしたにしてはあまりにも奇跡的な行為について、何も。
唯一の希望をもって親友たちを見る。
彼女たちも同じように呆然としていた。
〈ハイパーボリア〉に上陸して以来、千を越える〈深きもの〉ども、そして邪神〈クトゥルー〉=〈ダゴン〉と立て続けに連戦をしてきたことから目の前の敵を斃すこと以外にはあえて考えまいとしていた結果、彼女たちも升麻京一がどうなっているのかまったくわからないのだ。
唯一、先輩達とは違う立ち位置で参戦していた熊埜御堂てんだけは少しだけ事態が把握できていた。
ただし、それは今この場で口にするのが憚られる内容ではあった。
だから、或子が絶望そのものの視線を向けたとき、思わず眼を背けてしまった。
あからさまに何かを隠していることがわかる動きだった。
あり得ないほどに焦っている或子にさえ、すぐに看破されてしまうぐらいに。
「てん、どういうことだ……?」
「ちょっとわからないですね……。てんちゃんには……」
誤魔化すしかなかった。
そうしないと或子が壊れてしまうかもしれないからだ。
だが、そうはならなかった。
「てん!! 答えろ!! 本当のことを!!」
「―――」
誰よりも優しいサイコパスロリータはこの詰問に口を閉ざすしかなかった。
口に出せば傷つくものが出る。
優しい、すべてのものが傷つかない嘘をつければいいいのに、とてんは泣きたくなった。
それでも本当のことは言えなかった。
てんは自分の才覚のなさを恨めしく思った。
「言えない、ということかい……」
YesともNoともいえない。
肯定も否定もできない。
口を閉ざすだけだ。
ババババババババ
かすかだが、何キロも先の海上をヘリコプターが飛んでくる音が聞こえてきた。
極限の戦いを終えた直後のために感覚が人間のものを遥かに上回っている巫女たちすべてに聞こえてきた。
あの数は、海上保安庁のものだろう。
十分もしないうちに彼らが〈ハイパーボリア〉に上陸してくる。
そのときに彼女たちがいることはマズい。
少なくとも〈社務所〉のことをしらない多くの者たちに目撃されるのは避けなければならない。
すぐに逃げ出さなければならない。
逃げるためにはてんが停泊させておいた〈山王丸〉を使うしかない。
一刻も早く。
「先輩方、今はここを脱出しないと!!」
或子の視線から逃げ出すためにてんは叫んだ。
とはいえ、それは事実であり、冷静な判断といえた。
「シィ. ミョイちゃん、或ッチをひっつかんできて」
「だがよ、音子。京一くんが……」
躊躇うレイに対して音子は諭すように言った。
「ミョイちゃん。思い出す。―――京いっちゃんはむざむざどこかに黙って消滅するような男だったっけ」
「お、おう」
「あの時、京いっちゃんは確かに思念体と化していた。しかも、降三世明王と同化して。それで呑み込まれて消えてしまうのだったら、最後の力を振り絞ってあたしらにメッセージを送ったはず。―――それはあった?」
「なかった!! ああ、なかった!!」
「ホームズだってした最後の挨拶がなかった以上、京いっちゃんはいつかあたしらのところに帰ってくるという確信を持っていたはず。あの
「そ、そうだな、ホームズだってしたんだもんな!! 京一くんはそんな薄情な男じゃねえよな!! オ、オレだってあいつが大好きだし、よく知ってんだぜ!!」
自分を納得させると、そのままレイはまだてんに問い続けている或子の頬をひっぱたいて、ショックを受けた彼女を肩に背負った。
〈神腕〉の彼女にとっては容易い仕事だった。
「レイ、何をする!! 放せ、ボクは京一を助けに下に行かなきゃならないんだ!!」
「うるせえ、てめえはオレらと一緒に東京に帰るんだよ。ジタバタすんな」
「キミはあいつを見捨てるのか!!」
「―――逆だ。ここでてめえを見捨てるような京一くんじゃねえ。だから、あいつなら何が何でもてめえを助けるだろう」
「だったら……」
もう一度、頬をはたく。
〈神腕〉の力は欠片も使っていなかった。
「オレたちはまた惚れた男に置いていかれただけのことだ。しかも、今度は前以上に難しい隠れ方をしやがった。オレと音子と……そうだな、藍色とてんも付き合うだろうし、皐月やララにも手伝わせよう。だが、それだけじゃまだ足りやしねえ。だから、てめえの力も必要なんだよ」
「京一は下に……!!」
「いる訳ねえだろ。よく考えろ。あの京一くんだぞ? この程度の災害でくたばるような生易しい男じゃねえ。絶対に逃げ出してる。てめえだって、あの
まるで三発目のビンタを食らったかのように、すっと顔色が変わった。
それは邪神を斃した聖なる巫女のものではない、誰かに真剣な恋をした乙女のものであった。
「―――確かに、この馬鹿みたいにデカい建物が壊れようが、〈ヨグ・ソトト〉の空間に閉じ込められようが、死ぬ男じゃないっけ、京一は」
レイの言葉がすとんと胸に落ちた。
そして、腹が据わる。
「……二年近く傍にいたんだ。大災害の中心にいたとしても死ぬような奴じゃないのはボクが一番よく知っている。キミらよりもね」
音子とレイが信じているのに、ボクが信じていないなんてとんだ恥さらしだ。
誰が何と言おうと、
「あいつはボクの京一だからね!!」
それだけは譲れない。
「うるせえ、却下だ!!」
「あたしの京いっちゃんなんだけど!!」
反対側から音子に担ぎあげられ、そのまま或子は親友二人に運ばれて呪法船〈山王丸〉まで搬入されていった。
熊埜御堂てんは或子が大人しくついてきてくれたことに安堵した。
そこで、小さく呟いた。
聞こえるように、聞こえないように。
(じゃあ、京一先輩。絶対に先輩たちが探し出しますので、それまでちょっとお待ちくださいよー)
(うん、頼むよ。僕はきっと異次元の邪神の絡むところにいるから。じゃあ……)
念話どころか気配すら完全にしなくなった、ただ一人敬愛する男の先輩に対して、てんはこっそりと言った。
「てんちゃんの頼りになる先輩達ならすぐですからねー」
それが本当にすぐであることを、熊埜御堂てんは疑いすらしていなかった……
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