第678話「神を倒せ」



 この時、御子内或子は神に手の届く領域にいた。

 神に近くなるのではなく、神を斃せる勢いがあるということである。

 気がついたときには、〈クトゥルー〉=〈ダゴン〉のパワーは落ちてきていた。

 しかも、或子が体格差のある蹴りや拳を通すたびに巨体から緑と黒の粘液が滴り落ちていき、まるで水を絞られた雑巾のように痩せていく。

 回復再生するためのエーテルの吸収が及ばなくなってきたことと、神話の時代からこんな苦境に陥ったことのないだろうことが〈クトゥルー〉=〈ダゴン〉を追い詰めているのは明白だった。

 体格差があるからこそ、一度動きと反応を見極められたら、あとは小兵のスピードに攪乱されて翻弄されるだけになる。

〈護摩台〉に封じられたことで魔力も減退させられているというのに、このままでは危険だ、と邪神の爛れた脳髄と本能が信号を発した。

 では、どうすればいい?


『GヰEEEEEEDED!!!』


 一度だけ、元の躰の持ち主である〈ダゴン〉の如く叫ぶ。

 体力を削り続けられたことで、元々〈ダゴン〉を〈クトゥルー〉たらしめていた力が失われていき、メッキが剥がされ地金が剥き出しになっていた邪神は当初の威容をなくしつつあった。

 そして〈護摩台〉から逃げられない以上、闘い続けるしかない邪神はついに決断する。

 小賢しく飛び回るハエのごとき人間を潰すための決意を。

 

「でりゃあああああ!!」


 或子がまたも足の指を破壊した瞬間に、上から〈クトゥルー〉=〈ダゴン〉が覆い被さってきた。


「躰の大きさで潰そうという作戦かい! でも、ボクには無駄だよ!」


 すでに孫悟空の魂を我が物としている或子にとってその程度の攻撃はほんの数歩の縮地で躱しきれる。

 ゆえに前に覆い被さり蹲った体勢の邪神を余裕で見つめることができる。

 しかし、このとき闘士としての本能が或子に警告を発した。

〈クトゥルー〉=〈ダゴン〉は何かをするつもりだ。

 あの蹲った姿勢は絶対に意味の無いものではない。

 そして、或子の予想通りにしばらくじっとしているだけだった邪神の肉体に変化が生じ始めた。

 四肢の表皮にべっとりとこびりついていた粘液が凝固しだしたのだ。

 それだけではなく、ピキピキッとひび割れもしていく。

 ほんの数秒たらずで二十メートルの体長を持つ〈クトゥルー〉=〈ダゴン〉の肉体が凍結しているかのように固まっていく。

 何が起きているのか或子も仲間達にもわからない。

 だが、彼女たちの戦人いくさにんの勘が囁く。

「来るぞ!」と。

 その通り、改めて或子がファイティングポーズをとった瞬間、〈クトゥルー〉=〈ダゴン〉のサイズに見合わない翼が飛び立つ寸前の猛禽類のごとく羽ばたき、ついで天へと飛び立とうと伸びる。

 ベリベリと邪神の背の肉が剥がれた。

 肉塊が力尽くで分断されるおぞましい響きを立ててわずかに残っていた体液とともに引き裂かれる。

 割いたものは邪神の内部にいた。

〈クトゥルー〉=〈ダゴン〉の肉を引き裂くようにして、姿を現すものがいたのだ。

 黄色い眼光を持つ存在が邪神の肉のクレヴァスから上半身を見せた。

 そいつは〈クトゥルー〉=〈ダゴン〉よりも遙かに小さかったが、発する妖気はこれまでの比ではなかった。

 巨大なる邪神の身中から、それを食い潰すかのように一つの個体が姿を見せる。

 大きさはさておき、槍烏賊のような頭と類人猿の躰を持つ、その個体は一回り以上小さくなった〈クトゥルー〉そのものであった、

 そいつは邪神が御子内或子という人間の決戦存在に対して脅威を抱いたということの証しであったのだ。

 これまでとは違い、明らかに飛翔が可能な蝙蝠の翼を翻らせると新生した邪神は魔鳥のように飛びだした!


 


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