第672話「升麻京一を巡る陰謀」



 魔力・妖力が指向性を無くし蟠りつつ上方へと向かっていくのがわかる。

 本来、海底に流れる龍脈にぶちこむ予定だった力が暴走しつつあるのだ。

 下が駄目なら上へと。

 煙のようだ。

 だが、それはマズい。

 封印されていた邪神を復活させるに足りるエネルギーが充満したまま暴走したとなれば、下手をすれば大爆発を起こす。

 無知な僕にはわからないが、破壊力は桁外れのはずだ。

 核爆弾とまではいかないだろうけど、少なくとも〈ハイパーボリア〉を吹き飛ばすぐらいはあると思う。

 そうなると、僕はともかく、上にいる御子内さんが危険だ。

 足元から広がる爆発から逃れる術なんてないんだから。

 なんとかしないと!

 その時、また通信機が鳴った。

 この時間の流れがおかしくなったままのこの場所にどうやって連絡を取ろうとしているのか、どうしてそんなことができるのか、まったく不明だ。

 やはり孟賀捻、常軌を逸している。


〔やったじゃないか、君。ついに〈ヨグ・ソトト〉を喚び出して〈クトゥルー〉の仮とはいえ復活を阻止したね!! 素晴らしい、ブラボー、グラッチェ!!〕


 また、観ているように語ってくる。

 

「あなたの望み通りでしょーが!」

〔おやあ、何を猛っているのかな。〈銀の鍵〉は譲渡したけれど、実際に使ったのは私じゃない、君なんだよ。キ・ミ。その最深部はヨグソトト教団の連中が、散々かの偉大なる神の御名を唱えて魔術を使いまくっていたから、それは御大も出てきやすい空気になっていたとはいえ、引き金を引いたのは君さ〕


 確かにそうだ。

〈ヨグ・ソトト〉の名を〈銀の鍵〉をもって呼んだのは僕だ。

 召喚者は升麻京一なのは間違いない。


〔復活した〈ヨグ・ソトト〉は瞬く間に世界に害を及ぼすでだろうね。でも、それは君がやったことなんだよ、少年よ!!〕

「なーんだ」


 僕は拍子抜けした。

 さっきからあらゆるものを見渡して全能のごとく振る舞っていたけれど、実際はそうでもないことが知れたからだ。

 はっきり言えることは、孟賀捻はここにいない。

 いれば誰にでも見えていることを間違ったりはしない。

 要するに文字通りに底が見えた、ということだ。


「あなたでも怖いものはあるんですね」

〔……なんだって?〕

「〈ヨグ・ソトト〉が復活したらそれに巻き込まれないように遠巻きにしてデバガメを決め込んでいるだけとはお笑いだ。もしかして、そんなにご主人様が怖いんですか? 召使いのあなたからすると」

〔何を馬鹿なことを。私には煽りは効かないよ〕

「別に煽っている訳じゃありません。さっきから上から目線の態度Lなあなたに吠え面かかせたくなったってだけです」


 孟賀捻が一瞬だけ黙りこくる。


〔妖神〈ヨグ・ソトト〉を復活させてしまうというニンゲンとして最悪の罪を犯そうとしてる君に何かをいう資格があるのかね?〕

「やっぱり見えてないんだ。となると、あなたの視覚はさっきの〈ティンダロス〉に依存していたってところか。最深部Bに入ったときあいつはやられちゃったからね。じゃあ、今、〈ヨグ・ソトト〉がどうなっているか、あなたはわからないわけだ」

〔……どういうことかな?〕


 まったく詰めの甘い邪神の眷族だ。

 もしかしたら人間の社会にこっそり忍び込んだ邪神そのものかもしれないけれど、調子にのって余計なことをするうえ、人を舐めているからすぐに足を掬われるのさ。

 ぶっちゃけ僕の夢に間借りしているサム・ブレイディあたりと変わらない。

 要するに、ということだ。


「〈クトゥルー〉の復活に乗じようとしたあなたたちのくだらない計画じゃあ、〈ヨグ・ソトト〉を完全に復活させることはできなかった。何故なら、なんて世界の半分を照らす善の光の前には跡形もなく消え去る程度のものだということですよ」

〔……何を言っているのです?〕

「僕の身に一柱の神性が顕現しているということにあなたは気が付いていなかったということですよ」


 オン ソンバ ニソンバ ウン バザラ ウンハッタ


 降三世明王のための真言が覚えてもいないのに僕の体内から迸る。

 聞いたことはあるが、習ったことはない。

 降三世明王の名前すらほとんど記憶にないというのに。

 でも、わかる。

〈一指〉なんていう強運だけが僕のような平凡な人間をここまで連れてきてくれた。

 だけど、それだけではなかったのだ。

 いつ、どこで、どうやって、されたのかはわからない。

 しかし、間違いなく僕には仕込まれていたのだ。

 五大明王の一柱、降三世明王の神性が。

 降三世とは「三界の勝利者トライローキヤ・ヴィジャヤ」の意味だという。

 正しくは「三千世界の支配者シヴァを倒した勝利者」ということだった。

 シヴァはヒンドゥー今日の最高神でありながら、過去・現在・未来の三つの世界を収める神といわれているが、それは「一つにして全てのもの全てにして一つのもの」と呼ばれ、時間も空間もありとあらゆるものを超越した、存在する無限の領域、空想でも数学でも捉え切れない最果の絶対領域を支配する〈ヨグ・ソトト〉の別名であった。

 つまり、降三世明王は〈ヨグ・ソトト〉にとっての不倶戴天のまさに天敵なのである。

 そして、その依代に僕を選んだのは、通話機の先にいる孟賀捻が僕に〈銀の鍵〉を与えて〈ヨグ・ソトト〉復活の道具にしようと考えたからだろう。

 正直、複雑怪奇な流れで行われていた升麻京一を巡る陰謀か謀略の類いは、当事者である僕ですら把握することはできない。

 でも、どうということはない。

 僕には武器と呼べるものはそんなにないが、それを使いこなすだけはできそうだった。

 だから、やることは一つだ。


「なにが妖神! 何が〈ヨグ・ソトト〉だ―――すべてにして一つのものだ!! この調子に乗ったピカピカめ!! 僕がおまえたちなんかに利用されて終わるとでも思っていたのか!? 時間の向こうでくだを巻いている間に人間の頭の中を勉強しておくべきだったね!! ―――おまえにとって最も面倒くさくて厄介な神がおまえを邪魔するためにここにきているんだから!!」


 割れて歪んだ空間の隙間から出ようとしていた輝く光球が、後ろから手を伸ばしてきた三面八臂の明王に押しとどめられ、そのまま引き剥がされる。

 この次元にはっきりした実体のない神に触れられるのはやはり降三世明王であるからだろう。

 神話の時代に〈ヨグ・ソトト〉を調伏した神の力は現代でも変化していないのだ。

 この世に出ようとするものが阻止せんとする光の力に負けて徐々に消えていく。

 相性の差というものがあったのか、やはり神話の挿話をなぞるように異次元の妖神は仏法と人類の守護者に敗れそうだった。


「!!」


 だが、歪んだ世界の隙間から伸びてきた蛇のような触腕が僕の足に絡みついた。

 油断、していたわけじゃない。

 予想はしていたけれど〈ヨグ・ソトト〉の触腕の速さに僕が対応できなかっただけだ。

 僕はしたたかに尻もちをつき、抵抗もできずに妖神と明王の待つ世界へと引きずり込まれた。

 人がいない、無の世界へ。

 狂気と虚無の支配する悪夢の世界に。

 しかし、僕は苦しむことも死ぬこともなかった。

 気がついたときには僕の視点は別のものに変わっていた。

 三面八臂の神のものに。

 僕に顕現していた降三世明王と同化したのだろう。

 でなければただの人間である僕はそのまま死んでいるはずなのに神と同化することで生きながらえた。

 それだけでなく明王の力をわずかに行使できる気がした。

 

(なら、僕にもまたできることがある)


 充満する〈クトゥルー〉のための魔力と〈ヨグ・ソトト〉の妖力がこのままでは〈ハイパーボリア〉で暴発してしまう。

 それを食い止めることだって、降三世明王の神通力ならできるはずだ。

 感覚だけで上を視る。

〈ハイパーボリア〉の甲板に巨大な怪獣と御子内さん、そして僕の敬愛する巫女たちが集っていた。

 

(凄いね。みんな、来てくれたんだ。こんなところまで、みんなが御子内さんを助けに来たんだ)


 僕はちょっと泣きそうになった。

 音子さんも、レイさんも、藍色さんも、皐月さんもいた。

 彼女たちだけではない。

 そこに奥多摩で眠りについていたてんちゃんもいたからだ。

 どうやってかは知らないが、先輩の御子内さんの危機に駆けつけてくれたんだ。

 さすがだよ、君は。

 困っている人を助けるためなら、どんなところからでもてんちゃんはやってくるんだよね。 

 

(だったらできるよ。君たちなら、絶対に民草を苦しめようとする邪神どもを得意の力と技で叩きのめすことができる)


 そのために、僕は荒々しく漂う力の方向性を変えて、


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