第669話「巫女たちの想い」
〈ハイパーボリア〉に雷神が降り立っていた。
北方を守護する五大明王の一柱で、ヴァジュラと呼ばれる雷を放つ神器を武器とする「戦勝祈願の仏」を守護とする彼女はすでに雷撃の使い方をものにしていた。
もともと彼女は真空を産みだす技を奥義とする猫耳流交殺法の正統伝承者であった。
電気を媒介とすることでさらに真空の発生率が高まり、猫耳流独特の技はさらに究極まで磨き抜かれた。
それだけでなく、触れずして雷撃にて敵を討つことも可能なうえ、リニアモーターを用いた磁力まで操れるようになった変幻自在の闘士なのである。
おそらく、〈社務所〉の媛巫女の中でも藍色ほどトリッキーなものはいない。
しかも、彼女は……
「ふんっ!!」
ニメートル近い身長と100キロを超す〈深きもの〉をボディブローの一閃で悶絶させ、繰り出されるジャブは顔面をひしゃげさせるで済まず頬骨を砕き、左ストレートは触れずに敵を吹き飛ばす。
最強にして最速の巫女ボクサーであった。
横薙ぎの水かきのついた指を掻い潜り、抉るようなアッパーで顎と頸椎を損傷させればいかに怪物といえども動けなくなる。
さらに彼女の全身から漏れだす電気に麻痺させられるのだ。
ついさっきまで吹いていた嵐のせいで濡れた肉体はらくらくと通電する。
心臓の上からコークスクリューブローでも打たれたら内臓が完全に停止してしまうぐらいの電気が流し込まれてしまう。
藍色は蹴りを使わない。
彼女にとって脚というのはフットワークのためのものでしかない。
だが、そのフットワークはあまりにも華麗で、蝶にように舞い、蜂のように間合いを詰め、猫のように忍び寄る。
瞬きする間に数匹の〈深きもの〉が昏倒させられる光景が数十秒続くと、藍色の周囲には立っている敵はどこにも残っていなかった。
ちらっと一瞥を送ると、御子内或子はぜいぜいとまだ立っているだけだった。
彼女らしい快活さも天真爛漫さも見られない。
どれほど消耗すれば、あの爆弾小僧があんな風になるというのか。
藍色は思い出す。
あの〈合戦場〉での試合のことを。
一度妖魅に敗北しただけで卑屈になり、怯えて、逃げ出した自分を迎えに来てくれた親友の顔とあの楽しかった闘いのことを。
もう二度と藍色は或子とやり合うことはないと思うが、あの闘いにはこれまでとこれからが詰まっていた。
或子との真剣勝負で引き分けたのは自分だけという自負もある。
音子やレイだって負け越している相手と引き分けたのは自分だけという自負が。
「でも、或子さんが負けてしまったらその勲章がにゃくにゃってしまいますから、ちょっと困るんですよね」
……我ながらクーデレだにゃ、と藍色は思う。
気まぐれな猫の地を引く癖に生真面目で、大胆なのに気が弱く、自分勝手のわりに責任感が強い。
素直に言えないのだ。
(私は皆が大好きにゃんです)
せめて態度で示してみよう。
この本来ならば絶望的な戦場の中で、親友たちを護って最後まで切り抜ける。
よく考えれば縁ある者を守るのは江戸時代から続く猫耳流交殺法の教えそのままだ。
一周して戻ってくればそれしかないという訳である。
「まったく、お父さんもきちんと口伝をしてくれればいいのに」
甘えた口調になるが、一方で両拳は接近する〈深きもの〉を確実に一撃で屠っていた。
妖魅からしたら恐ろしいネコミミの髪型をした魔人でしかない。
「とにかく、こいつらを全滅させてから考えますか。―――にゃんといっても、〈化け猫〉にとってはお魚は大好物の一品でしかにゃいのですから」
ご先祖様にいるという化け猫そのものの舌なめずりをして、藍色はまた本気で加速を始めた。
疾風迅雷。
まさに雷そのものとなった金剛夜叉明王の彼女は、この場に集いし者たちの中で最速であり仲間以外には捕捉さえさせない一陣の風となった。
◇◆◇
「むー、やっぱり先輩方がくるとてんちゃんの活躍する場所がなくなるんですよねー」
場の空気を一切読まないで、自分の我欲に準じた不平を洩らしたのは熊埜御堂てんであった。
半年ぶりぐらいに現世に戻ってきたから、ついでに大暴れしようとむずむずしていたのに、それが叶わなかったからである。
先行した御子内或子が邪神の眷属〈ダゴン〉と戦っている間に、同調した呪術船〈山王丸〉をうまく〈ハイパーボリア〉に停泊させた彼女は、すぐに先輩の助太刀に入ろうとしていた。
なのに、頭の中から響いてくる声が邪魔をしたのだ。
(おい、くまのみどうてん。あいつに手を貸すのは止めとけ)
(なんでですかー。てんちゃんの頭に巣食っている虫の癖に生意気に指図しないでくださーい)
(虫とかいうな。俺はこう見えても天帝に仕える〈三尸〉だぞ。そんじょそこいらの虫とは格が違う)
(とりあえず虫なのは一緒じゃないですかー。で、何を言いたいんです。聞いてあげます)
(ホント生意気な餓鬼だぜ)
大陸に伝わる書物『太上三尸中経』によれば、大きさはどれも二寸、小児もしくは馬に似た形をしているという、てんの胸と下腹部と脳に潜む小さい蛇―――〈三尸〉。
自分の呪力を餌として与えることで、何倍もの呪力を蓄積して敵に対抗する熊埜御堂の家の〈三尸〉の術によって植え付けられたものが、彼女に呼びかけてきているのだ。
あの奥多摩での死闘以来、なんとなく会話から意思疎通ができるようになっていた。
とはいえ、四六時中囁かれると煩いので普段は完全に無視しているのではあるが。
その〈三尸〉がどういう訳か変わったことを言う。
てんもたまには聞いてあげる気になった。
(悪い予感がいる。おめえは力を溜めておけ)
(どんな予感ですかー。てんちゃん、あんまり曖昧な発言は耳に留めないにようにしているんデー、具体的にお願いしまーす)
(―――むかつく小娘だな、てめえは。なんというか、ほれ、〈三尸〉には未来を予知する力があるんだ。そりゃあ、世界の趨勢とかは無理だが、宿主のその後とかについてなんかは少しわかるんだ)
(なるほどー。てんちゃんのちょっと先の未来がわかる感じなんですねー。で、どーいうこと?)
(おめえはさっき呪術船を操舵しきって神通力を相当消費しているが、それ以上の量を放出しなければならねえ未来が迫っている。だから、やめとけってことだ)
(わかんないですねー。つまり、てんちゃんも〈ダゴン〉と戦うってことですか?)
(それはわからねえ。だが、よく考えろ。おめえがどうして他の連中とは明らかに違う量の神通力の貯蔵タンクになっているかということを、だ。あの安宅船を操るのは、普通の神通力では不可能なんだぜ。〈八倵衆〉の爺いだって休み休み動かしていものを、おめえは奥多摩からここまで一気に
(さあ)
(これから起こることのためだろう。それはきっとその時になって初めてわかるものだ。だから、今は指をくわえてじっとしてな。あの或子って女はすぐにはやられねえのはおめえだって知っているだろう。今は俺を信じやがれ)
(……むーん)
てんは折れて、〈三尸〉の言うことに従った。
結局、それは正しくて、てんは自分の神通力の高まりを天に向かって放出することで、〈五娘明王〉の先輩たちを戦場へと導く仕事をすることになるのである。
通常の百倍の神通力をもつ彼女でさえ、何十キロも離れたところにいるものたちを導くための灯火となることは困難極まることであったが、それも結果を考えれば最高の仕事をしたものといえた。
「―――まったく。先輩方ときたら、てんちゃんがいないと何にもできない無能揃いなんですから、ぷんぷんですよー」
〈深きもの〉どもの関節とあらゆる骨を、蛇のように巻き付いて感知出来ないほど複雑に粉砕しながら、てんはぷんすかと文句を言った。
先輩たちに自分に対する感謝とか褒める言葉が少ないのがちょっと気に入らなかった。
ただ、まあ、脳筋ばかりの〈社務所〉の先輩達ではそういう乙女の繊細な機微は理解できないだろうことはよくわかっているので、てんは泣いて土下座させて31のアイスクリームを山ほど奢らせる相手を一人に絞ることにした。
「ぜーんぶ、京一先輩にやらせましょー。それがイチバーンですねー」
なんだかんだ言って、南を守護する軍荼利明王・熊埜御堂のてんちゃんは京一に甘えるのが好きなのである。
◇◆◇
そして、なによりも西を護る大威徳明王は迸る怒りを抑えきれていなかった。
彼女にとって大切な二人を危険にさらしたこんな殺風景な施設に対する放送禁止用語的な豊富な語彙での罵倒で脳が埋め尽くされんばかりになっていた。
それ以上に、群がり続ける出来損ないの半魚人に対するSNSで行ったらアカウントが即座に凍結されるような悪口雑言で満ちていた。
普段寡黙なだけに発散の術がない状態での音子は、破裂寸前の毒ガス風船のように危険極まる代物になっていた。
「〈
すべての原子を止める神宮女家の秘術が無差別に垂れ流されようとしていた……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます