第662話「手段は択ばない」



 そんな予感はなかった。

 いかに御子内さんといえど、この悪天候の東京湾に浮かぶ〈ハイパーボリア〉に来られる訳がないと高を括っていたのだ。

 僕たちはピークになる前に超一流の技量を持つパイロットの操縦するオスプレイでぎりぎりに突入した。

 船はもう危険すぎて接近できる波の高さではないし、巨大な海魔が近づくものを許さないかのごとく泳ぎ回っている。

 ララさんと〈S.H.T.F〉のプロフェッショナルたちですら、「この後の突入は不可能」と断言している、閉ざされたこの場所にはもう誰もこられないはずだった。

〈サイクラノーシュ〉で脱出してもらったララさんたちがもういない以上、ここを滅ぼしても僕一人程度で終わると信じていたのに。

 なのに、彼女はやってきてしまったというのか。


〔どうしました?〕

「ちょっと黙っていて」


 孟賀捻が嘘を言っている可能性はない。

 数字というか概念的にあり得るだろう程度の確率だ。

 こいつは僕を追い込もうとしているし、そのためには御子内さんたちをダシにするのは大変にわかりやすい。

 そんなことよりも僕が孟賀捻の発言を信じた理由はただ一つだ。


「―――御子内さんなら、きっと」


 きっと。

 きっと。

 きっと。


 きっと、なんとかしてくれる。

 きっと、この絶望的な状況を覆してくれる。

 きっと、泣いている人の涙を拭いとってくれる。


 きっと、みんなを助けてくれる。


 ……僕はその覆せない普遍的な事実をよく知っていた。


 だから、彼女だったらどういう手を使ってでもここにやってくるに違いない。

 僕を探しに来たとは思わない。

 そんなちっぽけなもののために使ってほしくない命だ。

 おそらく、彼女はこの〈ハイパーボリア〉で執り行われる冒涜的で許されざる悪鬼羅刹ども企みを阻止するためにやってきたのだ。

 偶然、僕がそこに先回りしていただけに過ぎない。

 彼女は罪のない民草を護る正義の巫女なのだから。


「―――だけど、無茶が過ぎる」


 御子内さんは実力ちからはわかっている。

 でも、ここでは―――今回はあまりにも分が悪過ぎた。

〈護摩台〉もなければ、頼りになる最強の親友たちもいないのではないか。

 孟賀捻は他の子たちの名前を出していないということはどうやったのかはわからないけれど、御子内さんは独りで上陸しているはずだ。

 それで、大海魔〈ダゴン〉と戦うなんて無理無茶無謀以外のどんなものでもない。


(どうする?)


 しかも、僕の想定していた策の幾つかが消えることになった。

 この〈ハイパーボリア〉のキングストン弁を開いて沈めてしまうという策は、彼女を危険にさらすことになのでもうできない。

 火災を利用してのガスタンクの爆発も同じだ。

 どれも御子内さんを巻きこんでしまう。

 当初から打ち合わせしていた計画ならばさておき、そんな大規模な破壊を行ったらいくら彼女でも無事では済まないだろう。

 しかし、最下層のBではもうそろそろタイムリミットが近づいているはずだ。

 ララさんの調べでは今回の星辰を無視した復活の儀式は夜明けの直前に行われるらしい。

 昼から夜になる黄昏時のことを逢魔が時といい、普通の妖魅の類いはこの頃に強い力を待ち始める。

 逆に、夜から朝になる時間帯は「わはたれ時」であり、薄暗くて人の顔がはっきりしない。「だれ」の反対で、「たれ」という語源らしい。

 狂信者たちはこのわはたれ時に龍脈を刺激し、地球の反対側で眠っている海の主神を覚醒させるつもりなのだ。

 つまり、こちらが朝になるのならばあちらは夜になるからベストなタイミングということである。

 様子を見る限り、やはり下層Xブロックを支配していた〈深きもの〉どもの方が有利らしく、ヨグソトト教団も他の連中もこの過酷な争奪戦には勝ち残れなかったらしい。

 これはララさんたちの見立てともあっている。

 そもそも、海の邪神の信徒たちはこの嵐の中でもここに取りつける力を持っていて、しかも〈ダゴン〉なんてものまでがうろついている

 圧倒的優勢なのだ。

 こうなるのをわかっていたといってもいい。

 ただし、他の邪神の信者たちも海の主神だけを復活させる気はないと邪魔だてをしていたということだ。

 どうやら一昼夜続いた殺し合いもそろそろ終わり。

 儀式の時間だ。

 僕としてはなんとしてでも邪神の復活は潰したかったところだが、もうそれどころではない。

 

(御子内さんを助けなきゃ……!!)


 すると、プランはもう最後のものしか残っていない。

 僕は背負ったカバンの中の〈銀の鍵〉に布越しに触れた。


「これを使うのか……?」


 内心忸怩たる思いだった。

 これだけは使う気はなかった。

 何が起きるかわからないからだ。

 御子内さんを救うつもりで別の脅威を引き摺り出しても意味がない。


〔どうぞどうぞ、使ってください。それはいいお考えですねえ〕


 まだ切っていないかった通信機から孟賀捻が気安く声をかけてきやがった。

〈銀の鍵〉を使うかどうか声に出してもいないのに、こっちの思考を読み取っているところが気に障った。

 まあ、相手はまともな人間でもなさそうなのでそのぐらいは平然とやってくるか。


「あなたにしたら満足でしょうね」

〔もちろん。結果がどうなるかを含めてね。ただ、どうせ使っていただけるというのならば有用な情報を伝授してあげましょう〕

「なんですか?」

〔君が最下層に堕ちるためにとっても便利な〈銀の鍵〉の機能だよ〕


 ―――どうせろくなことは言わない。

 でも、僕はそれを引き受けた。

 どのみち毒を飲んでいる。

 毒入り料理の皿どころか、店ごと食べたって問題はない。

 僕はもっと酷いものを尊敬する女の子に盛ったのだから。


「教えてください。あなたの思惑に乗ってあげます」

〔ふふふ、君は本当に度胸があるね。……私が思うにもっとも恐ろしい君の特徴はその鉄のような肝の太ささ。まあ、ニンゲンというものの最大の武器は図々しさというものにあると私は思っているから、君はやはり人間そのものなのだろう〕


 人間ではないものによる人間評価なんて聞きたくもない。

 どうせ、僕らをちり芥としか思っていないに違いないのだから。

 でも、利用できるのならば利用させてもらう。

 そっちも愚かな餓鬼を骨までしゃぶるがいいさ。


 僕はどんな手を使ってでも御子内さんを助けるだけだ。



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