―第83試合 邪神戦線 4―

第658話「深淵に踏み入るものは深淵とよく似ている」



 これまでが順調すぎたみたいだ……


 僕が〈一指〉という運の強さを持っているということはわかっていたとしても、それでもすべて百パーセントうまくいくという訳ではない。

 むしろ、そんなことはほとんどない。

 例えば単に馬券を買っただけでは当たることはほとんどないからだ。

 おそらく何枚買ったとしても平均値以下の勝ち率しかないだろう。

 もし競馬について何十年分ものデータを調べ上げ、すべての血統や成績を導き出して、これしかないというレベルまで調べ上げて、それが僕にとっての限界といえる域に達していたとしても多分的中率は低いままだ。

 なぜならそれには僕の命がかかっていないからだ。

 早い話、僕が命がけであるかないかすらわからない橋を全速力で渡らない限り、僕の強運というのは発揮されない。

 それが〈一指〉という運勢なのだ。

 僕が知っている限り、天賦の才を持った天才と呼ばれる人たちが死に物狂いで磨き上げて、運を天に任せるという領域に至った場合に〈一指〉はありえない奇跡を起こすらしい。

 ぶっちゃけ、天才が努力をしまくればどんなことでもまず叶うだろう。

 あたりまえのことといっていい。

 だから、以前から僕は自分の持つ〈一指〉の相というものに対して半信半疑だった。

 今まで色々な結果を出してきたとしても、単なるまぐれ以外のなにものでもないというのが正直な見解だった。

 だが、〈社務所〉の人たちにとっては違うらしい。

 僕は、只の高校生としてはありえない奇跡を起こしてきたということだ。

 そんなつもりは本人には全くないのに。


「ここで終わるかもしれないぐらいに追い詰められていることが証拠ですよっと」


 ……フラッシュ・グレネードで目を潰されて廊下に出た魔術師の上半身がいきなり潰れたのを見た。

 そして、潰れた身体から流れ出した朱い血が一定のリズムで何もない空間に吸い込まれていくのも。

 あの血の流れはどう見ても嚥下以外のなにものでもない。

 つまり、透明なものが魔術師を捕食して吸血をしているのだ。

 危なかった。

 気功術の技の一つである気当てを使えない僕には不可視の怪物を探る方法はない。

 あのまま、存在に気が付いていなかったら即刻地獄行きだったわけだ。


(血を吸っているところが口だとすると、全高がニメートル以上はある。幅も相当なものだろうね。あんなものに遭遇していたら一巻の終わりだったかも)


 僕はそっと部屋に戻った。

 さすがにそろそろ限界かもしれない。

 出てくるバケモノたちが御子内さんたちでも斃せるかどうかというものばかりになってきている。

 運がいいだけの僕ではもうこれ以上は難しいか……

 壁に寄りかかる。

 

「―――つぅ!!」


 あばらに鈍い痛みがあった。

 これは……ひびが入っているみたいだ。

 いつ骨折したのかはわからないが、確かにこの痛みはそれに違いない。

 ついでなので全身の様子を見た。

 脇腹のあたりの傷は出血こそ止まっているが、意識してみると相当痛い。

 あと、左手の腱がちょっと不安だ。

 いつもより握力が減っている気がする。

 体力も落ちている。

 時計を見ると、〈ハイパーボリア〉に上陸してもう七時間ぐらい経っている計算になる。

 色々なことがありすぎて意識が麻痺しているが、今日―――もう昨日だけど―――の午後三時ごろには御子内さんとお茶を飲んでいたのが嘘みたいだ。

 あれから半日経つ。

 御子内さんは僕が盛った毒でまだベッドの中だろう。

〈星天大聖〉ならば死ぬことはないとララさんは言っていたけれど、もし後遺症とか残ったら償う術がない。

 ただ、こんな魔界に彼女を送り込むなんてことに僕は納得できなかったから、あんな裏切りをしたのだ。

 でも、もう〈社務所〉を裏切ろうが、御子内さんを傷つけようが、友達を騙そうが、僕にとってはどうでもいいことだ。

 僕のすることはただ一つで、あとはどちらかを選択するだけだ。

 

 のそり


 壁一枚隔てた廊下で何かが動いている。

 さっきの透明の吸血怪物だ。

 よく考えてみると、ずるずると重いものを引きずるような音がする。

 つまり、不可視なだけで音は立てている可能性がある。

 あと、僕は鼻をぴくつかせてみた。

 酷い臭いがする。

 腐りきったパクチーの発酵臭的なものだ。

 これがあの化け物の臭いだとすると、用心さえ怠らなければ遭遇は回避できるかもしれない。

 問題はこの臭いがどこまで近づけばわかるかということなんだけど……

 

 ―――このとき、すでに僕の頭の中はどうやって怪物どもを出し抜いて深奥に辿り着くかということだけでいっぱいになっていた。



             ◇◆◇



「並外れて優れた剣士というものは、すべて常にどうやって敵を斬るかということばかりを考えているものだ」


 妹の一人に、剣の極意とは何かということを雑談混じりに聞かれたとある剣豪娘はそう怠そうに答えた。

 手は効能の薄い草のつめられた煙管をくゆらせている。

 常に気怠そうで、動きの全てが憂鬱そうな娘だった。

 

「……姉さまもですか?」

「いや、おれはしないな」

「今、すべてとおっしゃったではありませんか」

「よく聞いておけ。、と限定しているだろう」


 妹は口を閉ざした。

 確かに姉からとった言質ではその通りだ。


「おれは優れたなどという範疇には収まらない。まさに地上最強の剣士の一角だからだ」

「……頂点とはおっしゃらないのですね」

「てっぺんをとったなどとはまだ己惚れておらん。将来的にはわからんが、世の中にはあと七人ほどはおれがこの手で這いつくばらせなければいかん強い連中がいるはずだからな。それを屠ってからだ」


 それも大言壮語だと思うが、賢明な妹はたかが雑談で姉の機嫌を損ねる気はなかった。

 ただし、気になったので聞くだけは聞いてみた。


「七人の根拠はあるのですか?」

「男子たるもの家の外に出れば七人の敵がいるというだろう。そういうことだ」


(あなたはお姉さまですよね。あと、意味がかけ離れてませんか?)


 またも賢明で思慮深い妹は口を閉ざした。


「七人ですか? あー、或子さまのことですね」

「……ちっ、厭な名前をだすな。おれにとってあいつと決着をつけていないのは半生の汚点の一つだ」

「やはり或子さまとの決着をお望みですか。しかし、この冬弥が知る限り、お姉さまが他に一目置いている剣士がいるとは思えませんが」


 すると、彼女の姉―――柳生美厳は呟くように言った。


「剣士じゃねえが―――恐ろしい奴はいたな」

「誰ですか?」

「……心得があるわけでもねえのに、ことが起きるとすぐに戦人せんじんの思考を始める奴だ。どういう切っ掛けがあったかはわからねえが、よほど奇跡的なことが起きない限り、あんな異常なのは産まれない」

「……よくご存知の方のようですが……?」


 柳生冬弥には思い当たる節がなかった。


「どんな人の願いがあんなものを産みだすのだろうな」


 姉の顔に珍しい色が浮いているのを、妹はしげしげと眺めるしかなかった。


「いくさがなければ、きっと現われてこない。しかも、妖魅アヤカシとの歴史上決して表に出ない闇の歴史のいくさのなかでしか現れない異常者だ」


 そして、美厳は言った。


「あいつは、絶対に幸せにはならないな」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る