第657話「切り札はある」
「―――現在、〈ハイパーボリア〉はC教徒、ヨグソトト教団の信者、その他の武装勢力によって完全に制圧されているということでいいのですか」
上座にいる内閣総理大臣が噛んで含めるように確認をとった。
官房長官が頷く。
深夜に開かれた総理レクチャーの出席者のうち、事態を完全に呑み込めていないのは末席に控えている比較的若い官房副長官だけだ。
そもそも、普段ならば離れた場所に同席している各省庁から派遣される官邸付きの官僚たちが一人もいないのだから、場違いなのは彼一人ということかもしれない。
始まった総理レクの内容を聞いても首をかしげることばかりなのだから、発言しようにもできないという有様なのだ。
もっとも、この場に同席しろと言われた大きな理由は単に若手として有望であるから、次代を担うものとして経験を積ませようということのみにあり、誰も期待などはしていなかった。
「はい。やはり作業員中1500人中、経歴がまっさらというものは100名ほどしかおらず、あとはどうして雇い入れたのかさえ不可思議なものたちばかりです。これではテロを起こしてくれとお願いしているようなものです」
「〈ハイパーボリア〉の建造を担っていたレムリア興産ですが、ついさっき検察の家宅捜索が入りました。抵抗したものは片っ端から逮捕しておりますが、やはり人間ではないものたちが多数確認されています。〈社務所〉の媛巫女と関西の〈八倵衆〉というものたちの手を借りなければこちらに甚大な被害が出たことでしょう」
「自衛隊各部で怪しい動きを見せたものたちも拘束しています。予想以上に、信徒どもが入り込んでいたようです」
「―――後手に回りすぎですね。ただ、本土ではこれでもすみますが、肝心の〈ハイパーボリア〉はどうなのですか?」
「連絡が尽きません。海自、海保のどちらも離れた海域で待機していますが、この不自然な暴風域に侵入することができず、なにもできない状態です」
「いくつかのマスメディアが余計な情報を流そうとしていましたが抑えました。さすがに今回ばかりは看過できないと
「米国は?」
「直近に大統領選があるのでこの件に関しては沈黙を貫いています。中国だけ外交チャンネルで苦情が届いていますが、ロシアもだんまりのままです。どこから情報が洩れているかはわかりませんが、事態をかなり正確に把握しているようです」
各大臣からの報告を聞いて、最終的に総理はオブザーバーとして参加している美しい年齢不詳の巫女に訊ねた。
政治家一家の出身の彼にとっては幼いころから何度も世話になっている相手である。
信頼もしているが、同時に畏怖もしていた。
彼が子供の頃に十以上は年上だったはずなのに、あれから十歳ほどしか老けていないのだから。
「御所守先生。〈社務所〉としてはどうなされるおつもりですか」
「あなたさまの治世において最悪の事故となるでしょうね。ただし、この国自体が滅亡するよりはマシというものですが」
「……なっ!!」
居並ぶ閣僚たちが蒼白となる。
「やはりそこまで行きますか?」
「わたくしどもも関係各所も手をうってはおりましたが、やはり間に合いませんでしたね。事前の行政警察活動も防衛対策も意味をなさない以上、こちらとしても非常手段をとるしかなくなってしまいました。あなたさまには事後承諾となってしまいますが」
「仕方ありません。基本的にこの件については、私たち政府の手には負えないものですから」
すでに三年以上、第一次も含めれば五年近く総理の座にいる政治家は腕を組んで、椅子に深々と腰を下ろした。
「……御所守先生。自衛隊による武力行動の必要性はありますか?」
「東京湾に浮かぶ、この国の施設にロケット砲を打ち込むための大義を見つけられるのならやってみてもよいでしょう。でも、さすがに押さえているマスコミなどが騒ぐでしょうね。あと、わたくしどもの知見では、ミサイル攻撃は無効化される可能性が高い。上空にイタクァらしき風の神が確認されておりますから」
「まったくのお手上げですか。……そちらがうった手段で事態は打開、もしくは解決するのですか?」
「詳細語れませんが、そうですね、端的に申しますとわが組織において最も侮れぬもの、敵に回すのが危険な人物を一人派遣しました。現在、あの海上基地において、その人物が孤軍奮闘を続けておりますね」
防衛大臣が言った。
「ひ、一人ですか? そんな一人では何もできないのではありませんか? いくらなんでも戦力が足りなすぎる!!」
「そうだ!! 今からでも陸自のレンジャー部隊を……」
すると、御所守たゆうという巫女は答えた。
「無用です。戦力としてはまったくもって心もとないのは同感ですが、あの地獄のような魔界にただ一人で赴けるクソ度胸と生き残ることができる能力を有した、いうなればわたくしどもにとっての切り札の一枚なのですから」
少し、沈黙をしたのち、
「それに……もう援軍は向かっております。わたくしども〈社務所〉の最強の退魔師が。いえ、退魔師たちが」
と、自信に満ちたたおやかな微笑みを浮かべるのであった。
「〈星天大聖〉と〈五娘明王〉が、ね」
手塩にかけて育ててきた最強のカードがその出番を今か今かと待ち焦がれていることを、彼女はよくわかっていた。
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