第653話「ほの暗い海の底から」
階段はだめだ。
どちらの勢力も敵を狩るための場として待ち伏せをしあっている。
Bブロックの作業員100人を除いた1400人がほとんど邪神関係だとしても、奴らが本格的に暴動を起こしてからゆうに一日は経過しているはずだから、もうあらかた潰し合っていると思う。
現に、隠れていたトシさんたちをしつこく襲ったりはしていない。
存在に気が付いていなかったというよりも、閉じこもっている一般人よりも敵対する他の邪神の下僕たちとの戦いを重視したのだろう。
確かにどいつもこいつもとんでもない化け物揃いで、巫女レスラーでもない僕では一たまりもない。
とはいえ、さっきのブロウアウトのおかげもあって上部ブロックの連中はほぼ洗いざらい泥と海水に流しつくされ、下層にいるのもさすがにそんなには残っていないだろう。
まあ、手強いのが生き残っただけかもしれないとも考えられるけれど。
「となると、あれか」
僕はガスタンクのある産油ブロックの隅にある通路のことを思い出した。
トシさんたちに教えてもらったところだ。
他とは違って気密性が高く、ガスが充満しても遮断することで二次災害を防ぐことができるという通路だ。
もとは別の用途に使う予定だったが、Aブロックの拡張工事が始まったために未使用のまま放っておかれた死にブロックだ。
しかも、怪物たちの跳梁・暴動が始まったときにそこを使って下層に逃げようとしても(このときはまだ下層は安全だと考えたものがいるのだ)、どこからか流れ込んで来た海水のためにいっぱいになってしまったのだという。
おそらくわざとだと思う。
Bブロックの一般作業員を閉じ込めるために、下層ブロックの〈深きもの〉どもが水で満たしたに違いない。
そうすればわざわざ水の中を泳いでまで逃げ出そうとするものはいないから。
半魚人の自分たちと人間の違いをよくわかっているのだ。
逆にいえば、そこは盲点の可能性がある。
ヨグソトト教団の魔術師も人三化七とはいってもわざわざ〈深きもの〉の領域に侵入したりはしないだろうし。
正面から階段を抜けるよりはまだ期待できる。
僕は海底からの泥でぬるぬるになったBブロックに戻り、覚えているように通路ブロックに辿り着いた。
階段があるが、その途中から水で溢れている。
潜っていくには多少勇気がいる。
まだ生きている各部署の電灯だってそろそろ切れるかもしれない。
ブロウアウトで被った海水がところどころで電線を切断しヒートしたまま火花を放つている状況なのだから。
だから、前進するには今しかない。
ちゃぽ……ちゃぽ……
ほぼ密閉されている空間だから波はなく、揺れによる震動があるだけだ。
口から少し息を吸って吸った空気が口から漏れないように口を閉じ、鼻を指でつまみ、目を閉じる。
つばを飲み込んでから、鼻をかむ感じで空気を送り、逃げ場を失ったぶんが耳の方へ流れるよう意識を集中する。
すっとなる。
耳抜きが成功した。
これで徐々に潜っていって、ごく浅い水深でも耳が押されるような詰まったような違和感を覚えずに済む。
〈S.H.T.F〉隊員に習った初歩のダイビング術である。
〈ハイパーボリア〉に行くのなら必須だと叩き込まれたのだ。
それからカバンの中にあった咥えるだけで五分は呼吸ができるアメリカ軍の簡易潜水装置を使う。
ほとんど350mlのペットボトル程度の大きさしかない使い捨てだが、今回のために作られたような品だった。
僕はゆっくりと水中に侵入していく。
ただの通路は完全に水没していて暗すぎる地獄の口のようだった。
ゆっくりと平泳ぎで静かに水をかく。
バケモノに気づかれないように。
静かに、慎重に。
ちらりと下を見たら、水中でも緑の光を発する非常灯があった。
海上基地なので耐水性に強いのだろうか。
緑?
ふと気になったが、それよりもあまり長くはもたない潜水装置が気になってさっさと先に進む。
少し頭上が明るいところが見えてきた。
図面だと反対側の階段があるところだが、そこにある電灯だろう。
そこまでいけば、この密閉通路からでられる。
時間がないので強くクロールをしようとしたとき、明かりが見えなくなった。
次の瞬間、僕は桃の木剣を振った。
水の中なので威力はない。
だが、それでも牽制にはなった。
潜水中の僕に向けてやってきたものを止めたからだ。
そんなに大きくはない。
人サイズだ。
でも、人のはずはない。
黄色い妖魅特有の邪眼が輝いているからだ。
ぐちゃぐちゃに潰れた悪魔のような顔。
そいつは間違いなく―――妖魅であった。
(くそっ!!)
上手くいきすぎると思った。
やっぱりこんな落とし穴があったか。
ただし、罠ではないはずだ。
こんなところに妖魅を配置しておくのはリソースの無駄遣いでしかないからだ。
ありうる可能性としたら……
ごぼごぼ○o。.……
こいつは口だけでなくて全身に空いた穴から空気を垂れ流していた。
血と共に。
こういうのを僕は知っている。
渾身の力で妖魅を蹴りあげバサロのように後ろに反って泳ぐ。
一瞬だけ追ってくるそぶりを見せたが、実際については来なかった。
これなかったのだ。
足に巻き付いているワイヤーのようなもののせいで。
あれが首輪と鎖となって、この妖魅はこの密閉空間で飼われているのであろう。
もともとはただの人間のはずだ。
服装からすると作業員だが、容姿はさんざん拝んで来たヨグソトト教団の魔術師のものだ。
……考えられるのはこいつはここを通って敵の巣であるXブロックに攻め入ろうとして、水責めにあった。
逃げられなかったのは、足にまきついたあの鎖のせいだろう。
おかげであいつはこの中で溺死した。
いかに不気味な魔術師でも水の中では呼吸なんてできやしない。
無残な水死体の出来上がりという訳だ。
しかし、どういう理由かは知らないがあいつは甦って
もっとも、これが御子内さんたちや逆に〈深きもの〉どもだったら大した障害にはならないだろう。
とはいえ、普通の人間の僕には手に余ってしかたがない化け物だ。
死体だからか理性がないのですり抜けていくのも容易ではないし、活動限界があるとどうかも疑わしい。
僕の方が潜水装置の寿命が尽きてどうにもならなくなる。
さて、どうするか。
(あれはどうかな)
僕は少し戻って緑の光のあるところにいった。
顔を近づけてみると、やはり避難誘導灯だった。
緑色の人型が走っている格好のよくあるものだ。
避難誘導灯は、避難口と呼ばれる「直接屋外に避難できる扉」や、避難口に通じる通路に設置する、標識を内蔵した箱型照明器具のことをいう。
構造としては、建物から避難できる方向を示したピクトグラム、ピクトグラムを照らす照明器具、停電時でも点灯させるための蓄電池を内蔵しているものだ。
これも照明と同じで海上基地のために耐水処理がされているらしく水に沈んでも光を発し続けている。
だが、大切なのはピクトグラムが指している方向。
僕の足下だ。
そこに把手がついていた。
これを引けば、非常口が開くはず。
この密閉している水溜りをかいぼりするための穴が開くのだ。
ただ僕も無事で済む保証はない。
しかし、僕も一緒に流されるかどうかは賭けだ。
潜水装置のことを考えたら、あの
僕は思いっきり扉を開いてやった。
さあ、どうなる!?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます