―第82試合 邪神戦線 3―
第650話「普通―――卒業」
〈ハイパーボリア〉は大きく分かれて三つの階層で構成されている。
海の上にあり、定期船の港・天然ガスのタンクとしてのBブロック。
さらにドリルシップの母港としてだけでなく、拡張する施設そのものの工事現場でもあるところのAブロック。
そして、ほとんどが海に没している下層Xブロックだ。
下層ブロックは最深部からA,B,C.D,Eと分かれており、それに伴って五つのグループが作業をしている。
……という話だ。
実のところ、ララさんたちの再三にわたる調査でも下層で何が行われているかについてはわかっていないのである。
彼女たちは〈ハイパーボリア〉に物資を供給するルートを虱潰しに当たって、食事の量や嗜好品の数からどういう人間たち(一応ね)がいるかを割り出しているのだが、それにしても掴めないことが多すぎた。
その点について、
「おそらく密輸がされているね」
「密輸ですか」
「ああ。だいたい、下層ブロックの連中はそもそも〈深きもの〉ダヨ。わざわざ船を使ってまで仕入れなくていいものは、自分たちでひと泳ぎするだけでてにはいるだろうサ」
「なるほど。Xブロックは例の海の邪神の眷属と信者が乗っ取っているって話ですもんね」
「ああ。どうも中国が背後についているようだ。その気になれば東京湾なんて巣みたいなものダヨ」
「ヨグソトト教団はどうなんです」
「あいつらはアメリカを拠点にしているんだが、どうもアメリカ民主党にコネがあるっぽいネ。オバマ政権に有力な後ろ盾がいたと見える。たぶん、ヒラリー・クリントンみたいだが、そのラインでロシアが絡んでいるようだ」
「アメリカ人なのに、ロシアですか?」
「まあ、一枚岩ではないということダヨ。おかげで〈社務所・外宮〉では実のところ、共和党の放言男の方を援助せざるを得ないんだ。政治にくわしくない商人を大統領にするのはとてもバクチなんだが仕方ないのサ」
〈S.H.T.F〉の訓練を受けているときにこんな話を聞いていた。
婉曲的だがロシアの援助を受けているヨグソトト教団については密輸を把握できなくはないのだが、やはりアメリカ大使館から横やりが入るらしくこちらも難しいということだ。
つまり、必要な情報はあまり得られない状況ということである。
さっきの鉢本いすゞさんをスパイとして送り込んだ理由の大きな部分はそれだ。
日本政府もうすうすわかってはいても、米国・ロシア・中国に干渉されることを面倒だと嫌っていたのだ。
つい先日までは、単に他国はメタンハイドレートの利権を狙っているだけだと考えていた節もある。
だから、〈ハイパーボリア〉の下層ブロックにおいて、地球のエネルギー、動脈といってもいい龍脈を刺激することで海に眠る邪神を目覚めさせようとしている一派によって支配されてしまっていたとは思いもよらなかったようだ。
実のところ、〈社務所〉ですら去年の年末ぐらいまで兆候に気が付いていなかったらしい。
ただララさんたち〈社務所・外宮〉は、頻発する外来種の襲撃もありだいぶ前から様子は探っていたという。
彼女の手足となる〈S.H.T.F〉もそのぐらいに編成された部隊という話だ。
動きがあまりにも独自で身勝手なこともあって、御子内さんたちには相当嫌われていたのはわからなくもない。
ただし、例の孤島での戦いのこととかもあるので、僕は〈社務所・外宮〉の構成員たちが私利私欲のために働いていたとは絶対に思わない。
やり方が正当ではあるとは言えないけれど。
「さて、下にいくのはいいけれど、さすがに魔界すぎて」
さっき〈サイクラノーシュ〉からのブロウアウトのおかげで、おそらく上部で殺し合っていた魔導士や怪物や殺し屋の類いはほとんど一掃されているようだった。
こっちに戻ってきてから銃声の一発、怪物の咆哮の一つも聞いていないからだ。
あれだけの泥のシャワーを喰らったらどんな怪物でも水洗トイレのように流されていくに違いない。
ただ、雨はさらに酷くなっていて聞いていた以上の雨量と風になっていた。
ところどころの壁が倒れて、鉄骨が散乱している。
このままではどのみち施設としては長持ちしないだろう。
やはり存続は不可能かもね。
……命綱もない場所を這うように駆けずり回ってようやくたどり着いた階段の手前で僕は不意に怖くなった。
今まではこの〈ハイパーボリア〉という建造物を盾にしてなんとかしのいできたけれど、ここから下にいったらもっと酷い世界が広がっている。
僕はその最下層に行かなければならない。
ガガガガ……
〔聞こえているかね、少年〕
「はい」
さっきまで使い物にならなかった通信機が動き出すようになった。
多分、通信室を無用の長物にしていたジャミングのための機械がブロアートによって壊れたか流されたのだろう。
これで〈ハイパーボリア〉はようやく本土と通信が可能になったのだろうが―――みうここには通信しなければならない人間は一人もいない。
だから、もう意味がない。
ララさんと僕のものだけだ。
〔波がさすがに限界になった。〈サイクラノーシュ〉は出航するヨ。海にはダゴンだかハイドラだかが泳ぎ回っているようだが、ここに曳航していてもどのみち沈没だからナ。……貴様だけがここに残ることになる〕
「いすゞさんたちは無事ですか」
〔鉢本先輩も他の要救助者も全員怪我もない。たった六人だが、絶対の死地から救い出したのは貴様だ。胸を張っていいゾ〕
「ええ」
〔次にこの通信ができるようになるのは、貴様とこの船が無事であってもすべてが片付いてからだ。邪神が復活するか、それが阻止されるか。そのどちらかだけダヨ〕
「わかってます」
〔―――情けない話だが、実際に横付けしてみてさすがに理解した。私程度ではその施設ではまともに動けないだろうサ。貴様は恐ろしい男だ。単騎でそこにいられるというだけで、普通ではない〕
「僕は普通の高校生のつもりなんですけれど」
〔……どうでもいい、吹けば消えるような小さな虫けらが、女に出会い、女に鍛えられ、女のために
「最悪な慰めだ。……でも、行ってきます」
〔神の企みを阻止してきなヨ〕
それっきり通信は途絶えた。
ララさんが切ったのではなく、距離が離れたのだろう。
〈サイクラノーシュ〉はまだ健在だ。
そのとき、パンっとかろうじて無事だった窓ガラスが割れた。
思わず頭を下げたが、なにか攻撃があった訳ではない。
なんだ。
そっと鏡をかざしてみると、大雨の中に何かがチラチラと光っている。
見慣れた光―――炎だ。
さっきまでは出火と同時に消えてしまっていたのに、あの炎はかなり勢いよく燃えている。
ある事実が脳裏に浮かんだ。
雨に晒されていて風が強いのに勢いよく燃え盛る炎。
それは、何らかの化学物質に引火したものだ。
しかも、ここは天然メタンガス採掘施設。
あの火が成長して多くのもの焼き尽くす火種となったのならば……
「ガスタンクが爆発する……。ガス生産エリアの火災が始まったということか」
この〈ハイパーボリア〉には巨大なガスタンクが二つある。
一つはまだ作業中だが、もう一つには何十万トンもの天然ガスが貯蔵されている。
これが爆発すれば、いかに巨大な〈ハイパーボリア〉といえど完全に破壊されるだろう。
ただ、それでは下層部―――海の下の部分は健在かもしれない。
そこで行われている悪魔の儀式を中止させることが完全にできるとは限らない。
なんのために、僕がここにきたのかを思い出せ。
ララさんはこの〈ハイパーボリア〉を沈めるために僕を送り込んだのだ。
問題はガスタンクに引火して爆発する前に僕が目的地にたどり着けるかどうかだ。
でなければ、下手したら上だけ吹っ飛んで、ついでに僕もやられておじゃんという可能性がある。
急がないとならないか。
一刻も早く最深部のキングストン弁に辿り着かないと……
でないと、―――〈
「さて、行くか」
どうやら本当に僕はもう普通の高校生ではなくなってしまっていたようである。
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