第648話「ただいま!!」
暗くなる前に外に出ると、少女はゆっくりと足を止めた。
さっきでてきたばかりの家の中から母親の声がする。
「どうしたの?」
「うーん、ちょっと友達に会いに行ってくる」
「あれ、散歩じゃなかったのかい」
「いいお月さまだからさ。そんな気分」
「そう。適当にそのあたりの茂みで寝たりするんじゃないよ」
「もう、子供じゃないからそんなことはしないって」
母親は別に彼女を止めたりはしない。
年頃の女の子が夜に一人で出歩くというのに何の心配もしていないのだ。
もっとも当の彼女とて自分が何かの危険や事件に巻き込まれるとは思ってもいなかったし、例え渦中に飛び込んでしまったとしてもいくらでも対応できると強い自信をもっていた。
そのまま人気もなく暗いところばかりの家の裏山へと足を踏み入れる。
幼いころからの遊び場であり、今でもよくトレーニングに使っている山は月明かりさえあればいくらでも踏破できる慣れた場所だ。
彼女はスキップしながら、通常人なら険しいと表現してもいい山肌を駆けていった。
しばらく進むと、深い渓谷につく。
色々と不便な場所なので村の住人も滅多にやってこない場所だった。
最近は中央に鎮座している巨大構造物のせいで景観がおかしくなったせいでわりと見物にやってくるものが増えたが、それでも人が寄り付かないことは確かである。
彼女はその巨大構造物の元に近寄った。
下から見上げるとかなり大きい。
しかも木造だ。
何百年も前に制作されたものとは思えないぐらいにしっかりとしているが、旧いことは否定できない。
中央に垂れ下がっている縄梯子を使って登る。
すぐに甲板に辿り着いた。
この程度、運動にもなりはしない。
特に感慨もなく扉から構造物の中に入っていく。
もう何度も何度も入ったことのある場所なので目を閉じていても目的地に辿り着くことができる。
暗く一切の光の差さない場所であるから、この少女以外ではまっすぐに歩くことも叶わないであろう。
もし何かが隠れていて襲ってきたら等と考えようもなら一歩も歩けなくなるような暗やみであった。
だが、少女は気にもしない。
彼女に不埒を働く者がいたとしたら、斬って捨てればいいだけのことだからだ。
戦い―――いや斬りあいで負けることなど彼女に限ってはあり得ない。
「だって、あたしってば史上最強の女だもん」
構造物の最下層にまで辿り着くと、何の変哲もない扉があった。
そこが目的地だ。
彼女の友達がいるはずの場所である。
そんなに間をあけた記憶はないが、随分と久しぶりのような気もする。
がたりと頭上で音がした。
彼女はすっと両腰に佩いた双剣を抜き、上に掲げる。
その切っ先は彼女を喰い散らかそうと大口を開けていた巨大な一つ目の男の鼻先に突きつけられていた。
正確に一センチ。
もし一つ目の巨人が本気であったのならば完全に眼が抉りだされていたに違いない。
この期に及んで視線すら向けもしない少女の剣気に圧倒されて、挑みかかろうとした巨人はすごすごと闇の中に再び消えていった。
巨人が遊びで彼女を食おうとしたからこそ、彼女も真剣にはならなかったことがわかる程度の知能は有しているのだ。
もし少しでもその気になっていたら―――巨人はただの肉片と化していたであろう。
「―――あれ、おかしいな。なんか、呼ばれたような気がしたんだけど。気のせいかな」
双剣を持ったまま、腕を組む少女。
自分の愛剣で怪我をするなど考えたこともない。
しかも、闇の中からあのよあな化け物に狙われたことも歯牙にもかけない。
見た目とは裏腹の怪物であった。
しばらくしてから、
「気のせいかもね。じゃあ、帰ろっかな」
双剣を腰の鞘に納めると彼女は回れ右をした。
次の瞬間、もう一度回った。
顔は構造物の奥に鎮座する扉に向けられていた。
扉が、ギイと音を立てて開いた。
今年の春から一切動くこともなかった扉がようやく開こうとしていたのだ。
彼女はそっと微笑んだ
あの春の凄絶な戦いからずっと待っていた瞬間であったからだ。
あれから何度もやってきては、様子を見るだけで帰らなければならなかった開かずの扉がついに解放されたのだ。
思わず口から出たのは、
「おかえり」
の芸も捻りもない挨拶であった。
ただ、そんなシンプルなものの方がきっと良かった。
だから、相手も単純に応えた。
「ただいまですよー」
能天気で悩みのなにもなさそうな明るい声だった。
その声がこの数か月味わっていた孤独に比べてなんと陽気なことか。
「ヒキコモリは終わりなのかい?」
「えー、飽きてきてはいましたけど、これはこれで楽しかったので問題なかったんですよー」
「そっか」
まるでずっと誰かと語らっていたかのように。
自然体で喋っていた。
「じゃあ、どうして出てきたのさ。おまえはわりと出不精に見えるけど。家でポテチ食べながらゲームばっかりやってそうだ」
「ぶー、酷い誤解ですー。ゲームも好きですけど、外で遊ぶのだって大好きなんですからねー」
「そうは見えないな。で、どうしてなんだ?」
すると、扉から出てきたお団子二つの髪型とミニスカの紅白の礼装を纏った女の子は言った。
「パイセンが困っているみたいなんで、助けに行くことにしましたー」
「―――パイセン? 或子のことかな?」
ミニスカの巫女装束の女の子は首を振った。
「違いますよー。グレート或子先輩とは違って、誰かが助けてあげないといけない情けない男の先輩のことですよー」
双剣の少女は誰か思い当たったように頷いた。
「あの子だな」
「そうです、さすがは尤迦パイセンです。なんでもお見通しですねー」
闇の奥、地の底、地獄の入り口から笑いながら生還してきた十五歳の彼女は言った。
そこらのコンビニに買い物に行くように。
「待っているといいですよ、京一先輩。すぐに行きますからねー。―――てんちゃんに任せるですよー」
かつてと変わらない朗らかさと稚さを満面に讃えたまま―――
〈五娘明王〉が一人熊埜御堂てんが、この世界に帰還したのであった。
孤軍奮闘する少年の手助けをするために。
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