第646話「ブロウアウトの中で」
「で、なんで戻ってきた? 私の知っている少年は、意外とやるべきことがあるときはシビアに物事を運ぶ人間だヨ。しかし、時に他人を見捨てることもあるが、勝算がある限り、決して細い蜘蛛の糸を見逃さないことも知っている」
「もちろん、ララさんたちを助けに来た訳じゃありません。別の人たちを助けるために〈
「私が聞きたいのはおためごかしじゃない。貴様が戻ってきた理由だけだ」
さすがはララさん。
感傷とかそういうものとは縁もゆかりもない。
僕が自分や仲良くなった〈S.H.T.F〉の隊員たちのために戻ってきたなんて欠片も思っていやしないのだ。
「中央部にバルブがあるはずです。海の底に繋がっているポンプとの」
「……ドリルで掘削したものを吸いこむためのものカネ?」
「はい、それです。わかりますか」
「たぶん、あれだろう。ついてこい。ただし、私はさっきの邪神モドキとの対戦で少々負傷している。完調時とは程遠いとりかいしたまえヨ」
こちらの返事を待たずにララさんは歩き出した。
歩きながらも声と僕も知っているハンドサインで念入りですれちがう隊員たちに指示を出していく。
みんな無事のようだった。
さすがは〈S.H.T.F〉である。
全員トップガンといえる部隊なのだから。
「よお、小僧。ビビッて帰って来ちまったのか」
「雨が酷くて一時帰宅です」
「そりゃあ仕方ねえ。だが、一度濡れちまえばあとは一緒よ。穴が開いちまえば処女にはもどれねえのと同じだ」
ホークさんの下卑たジョークに思わず笑ってしまった。
思ったよりも僕はハイの状態らしい。
「残念ですが、僕はまだ童貞なんです。処女を奪ったことはありません」
「そうか。うちの司令官と一緒だな!!」
「―――殺すゾ、貴様」
ララさんの仇でも殺すかのような睨みを受けてすごすごとホークさんが引き下がる。
だって、どう見たって鬼の顔なんだからわかるよ。
「行くぞ、少年。ホークはそこで死んでいろ。イーグルはついてこい」
僕とララさんはまるで自分の家の庭のように〈サイクラノーシュ〉を進んでいく。
一度も邪魔をされずに中央の最新部にある管制室に辿り着いた。
実に殺風景でありながら、重要な場所だとわかる雰囲気のある空間だった。
その真ん中に巨大なバルブがあり、下方へと繋がっている。
ここがマサさんのいう自動制御を操作するための施設に違いない。
「それでこいつをどうするんだ?」
「バルブを解放して、ブロウアウトを起こします」
ララさんは少し考え、
「海底の泥を撒き散らしてどうするつもりなんだネ」
と、聞いてきた。
最低限のことはわかっているらしい。
「この〈サイクラノーシュ〉で働いていた人に聞きました。この船のホールでかき集めた海底の泥は本来メタンハイドレートだけを残すために制御装置がついています。それを切れば無制限に勢いよく巻き込んだ泥は、制御できずに反対側の太めの排気口のホースから噴出してしまうそうです」
「噴水のようにか?」
「はい」
「だけど、それで何か状況が変わるとは思えないが」
「いえ、噴き出した泥の勢いは〈ハイパーボリア〉の半分を埋めるそうです。そして、その勢いはホースをぶら下げている施設のクレーンにまで及びます。そうすれば、ただでさえ、ドリルシップのものと絡みあって限界となっているもう一つのクレーンとのギリギリの均衡を崩し、倒壊します」
マサさんから聞いた情報をそのまま伝える。
多少の希望的感想はあるが、間違ったことは言っていない。
すると、ララさんは、
「そのギャンブルの勝算は?」
「いっぱい」
「……幼児じゃないのだからきちんと数字でだしたまえヨ。まあ、いい。〈一指〉の持ち主が命がけで掴んで来た勝算だ。ただの馬券の三倍は確率が高いだろうサ。―――聞いていたなイーグル、パンダ」
振り向いた先には二人がすぐに丸いバルブに飛びつく。
二人の鍛え抜かれた肉体と膂力がぎゅっと堅い絞め口を開いていった。
ぐぐぐぐぐ……
僕一人では絶対に動かないだろうバルブが音をたてて動いていく。
傍にあったモニターに電源をつけて見守っていたララさんが言う。
「動いているヨ。そのままだ」
「おおおおおおおおおおお!!」
イーグルさんとパンダさんの力が一回転して、バルブを解放した。
だいたい50%というところだろう。
でも、それで十分。
あとで戻さなければならないのだから。
同時に今まで感じていた海鳴りとはまったくちがう揺れが足の裏の底から響いてくる。
何かが近づいてくる感触。
しかも、それは巨大な何かであって、莫大な質量でもある。
さらに言えば強い波でもあった。
僕らからそう遠くない場所を何かが昇っていった。
わかる。
音と震動で。
その正体は―――泥と水だ。
本来、強引に吸い上げられた水と泥は途中で攪拌され、必要なメタンハイドレートと分離されて、いらない部分は海中へと戻されていく。
だが、その制御をわざとはずしたとしたら、巨大なホースを荒れ狂う質量が圧力と共に噴き上げられていき、地上に達すると雨のように―――文字通り土砂降りのごとく〈ハイパーボリア〉を覆っていく。
凄まじい質量だろう。
それが嵐の豪雨と風と共に吹きすさぶのだ。
丸い窓から〈ハイパーボリア〉を見た。
とてつもない光景が広がっていた。
土砂崩れが天から降ってくるような異常な背景だった。
あの中に居たら、例え〈深きもの〉どもでも無事ではすまないだろうし、不死身の妖魅とて五体満足の保証はない。
どれだけの重さがかかっていたのか、ホースの発する重量のせいで絡みあっていた二つのクレーンが揺らぐ。
二回、ぎゅうと沈み込んだ後、ばたりと倒れた。
スローモーションのように海の中へと落下していく〈ハイパーボリア〉の巨大クレーン。
同時に〈サイクラノーシュ〉に装備してあるクレーンも割れた。
こちらは大きさといい、耐久力といい、〈ハイパーボリア〉本体のものとは比べ物にならないほど脆弱だったのか、根元からぽっきりと折れてしまい、船が正常に戻ろうとする復原力にさえ負けて海中へと消えていく。
凄まじかった。
まるでパニック映画の一幕だ。
ただ、それを指示したのも図面を描いたのも僕であった。
まるで空から何十もの雷が落ちたかのような轟音のあと、メタンハイドレート採掘基地〈ハイパーボリア〉の見た目の大きなウェイトを占めていたクレーンは完全に折れ曲がって落ちていった。
「バルブ閉じてください!! もうブロウアウトは終わりです!!」
「了解だ」
二人の〈S.H.T.F〉の隊員がしばらく二人がかりでも〆られなかったバルブを、ララさんが簡単に逆回転で捻る。
剛気功の〈気〉の力だろう。
細く見えても室伏広治以上の馬力を誇るのが〈社務所〉の巫女たちなのだ。
そして、数分後、コンピューターが制御を取り戻したせいで海水と泥の逆流は終わり、再び世界はただの嵐の中に戻った。
さっきまでは世界最悪の気候だと思っていた数百パスカルの風雨がまだましなものだったと安堵できる珍しい体験をさせてもらった。
「行くのかネ?」
基地に戻ろうとする僕の背中にララさんの声が当たった。
「ちょっと出かけます。あとで、六人ほど来ますので面倒見てあげてください」
「―――貴様を含めてか?」
「いえ、僕抜きで」
「了解した」
それ以上、ララさんは何も言わない。
彼女にはこのドリルシップで生き残りを逃がすという使命がある。
だから、無理して僕についてこようとはしない。
僕だって、これからが本番だ。
足手まといはノーサンキューである。
「じゃあ」
僕はハシゴを伝わって再び地獄の採掘基地へと戻っていった……
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