第645話「突っ走れ、海を行け」
トシさんたちが立て籠もっている燃料室は、Bブロックの一階の隅にある。
実はドリルシップ〈サイクラノーシュ〉からわりと近い。
僕がそこに行くのに苦労したのは、空飛ぶサメやら〈深きもの〉やらから逃げ廻っていたからだ。
ピンポイントで見つけられたのは、実のところ、以前から施設の図面を検討していた〈S.H.T.F〉の隊員が「逃げるならここだな」と推薦してくれた場所だということがある。
一見、奥まったところにあるので逃亡先としては問題がありそうに思えるが、燃料からの火災を外に出ないように封じ込めるため頑丈に作られているためにもし籠城するならロケーション的には最高だ。
ただ、相手は邪神絡みの妖魅である。
分厚いだけの壁など何の意味もないかもしれない。
けれど、他の居住性の欠片もないうっすい壁では力で破壊されない以上、丈夫というのはなによりも大事な選択肢だ。
……あそこに辿り着くまで多くの人の遺体を見た。
助かったのは、以前どこかで見たように噛まれたものがあっても、喰われたものがいないということだ。
いかに僕が不感症でも、何かに食べられた人体なんてものと山のように遭遇したら発狂しかねない。
戦場ってのは筆舌に尽くしがたいほどに汚くて冒涜的な場所だけど、尊い命が喰い散らかされた光景はもっと最低だ。
人の死に貴賤はないかもしれないが、見る方からすれば絶対に差はある。
少なくとも、僕が活動できる範囲ということでは、まだマシな地獄の方がいいということさ。
それに結局、この残酷な時間が僕の心を病むトラウマとして残ったとしても、僕がずっと苦しめられるとは限らないし。
明日の朝日を拝めるかもわからないのだから。
「―――ララさん、聞こえる? オーバー!!」
『……ツッ……』
通信機は返事を伝えてこない。
いかにとんでもない嵐の中だとしても、これは僻地でも戦争ができるように自衛隊とアメリカ軍が開発したもので、アラスカでの演習で使われたものである。
連絡がつかないということは、ララさんの持っている受信機が壊れているかどうかというところだ。
僕が命がけで〈サイクラノーシュ〉に戻ったとしても、彼女があの〈ブフレムフロイム〉という邪神に倒されて〈S.H.T.F〉のみなさんが全滅していることだって十分あり得る。
では、どうするか。
「まあ、普通は走るよね」
〈社務所〉の媛巫女・神撫音ララという女性を信じていくしかないは当然である。
あの人が強いのは知っている。
〈吸血鬼〉も邪神〈グラーキ〉も退けた、御子内さんたちの先輩なのだ。
残酷で気を許せない相手だけど、強さと任務に対する真摯さだけは本物の輝きを持っているヒトなのは知っている。
そして、僕はどういうわけか頑張る女のひとを信じてしまう性分なのだ。
ちらりと右の部屋を見ると、僕がゴージャスな机を傾けてぶっ潰したサメがまだジタバタしている。
あの手の化け物は再生したりするからトドメをさしておきたいところだけど、今は無視だ。
腰の痛みの報復もあとにしよう。
タタタン タタタン
少し前方で発砲音。
まだ、〈深きもの〉と魔術師どもが小規模な交戦をしているようだった。
さっきまでの僕なら迂回してなんとか避けるところだったが、もう時間がない。
〈サイクラノーシュ〉がいつまでも沈まずにいられるとは限らない。
早くいかないと。
そこで、僕は右手に入って、机と壁に挟まれたサメの妖魅に向かっていった。
「おい、サメさん。君をそんな目に合わせたのは僕だけど覚えているかな?」
サメがじろりとこちらを見た。
人の言葉を解するってだけでもうまともなサメではない。
空を飛んで人を襲うだけジョーズでもないけれどね。
そういやさっき思いっきりバックもしていたけど、「ディープブルー」か!とツッコミを入れたくなった思い出がある。
「まったく恐ろしい悪魔のような妖魅のはずなのに、僕程度にやられて身動き取れないなんて滑稽だね。キミ、もしかしてサメじゃなくてコバンザメあたりの妖魅? 拍子抜けだよ」
御子内さんたちに比べると僕はあまり挑発がうまくない。
「サメさんこちら、手の鳴る方へ」
ちょっとした替え歌をしたら、眼が黄色く変化した。
妖魅の特徴である黄の眼光のことを、昔から人間は警戒色と呼び、今でも多くの名残りがある。
一説では妖力とか神通力も黄色であって、神も魔も力の根本は同源だということだ。
そして、今まで白かった眼がこうなるということは……
ガシャアアアアン!!!
サメが机を弾き飛ばした。
どうやらブチ切れたらしい。
僕に対して派手に怒りを抱いたのだろう。
容赦なく限界の力で僕に襲い掛かるつもりなのだ。
「こちらにおいで!!」
ぎりぎりまで引きつけてターン。
トップでボールを受けた香川真司並みのターンを見せて、ここから先は一気にインザーギのごとく走り抜ける。
なんでインザーギかって?
タタタッとまだ射撃がなされている場所を僕は駆け抜けた。
通路を挟んで向かい合って戦闘を繰り広げていた拳銃を持った〈深きもの〉と小銃を持った魔術師たちはすぐには僕に射線を合わせられない。
エイムってやつは結構難しいのだ。
ゲームと現実では予測射撃のタイミングが違うし。
だけど、僕の後を追ってきたでっかいターゲットならばさすがに合わせられる。
『What's Happen!!』
『你说什么!? 不会吧!』
なんだか北京語が混じっている。
中国人までいるのか。
ただ、さすがにこれだけでっかいホオジロザメだと側面からの射撃が命中し派手にハチの巣になっていく。
サメも吠えるが、デカい分避けられない。
とはいえ、デカいということはタフということだ。
左右から挟撃されたサメは僕のことも忘れたかのように、まず魚ヅラの〈深きもの〉どもに襲い掛かった。
あっという間に数体が噛み殺された。
半魚人というだけであまり可哀想にならないのは、別にぼくのせいじゃないはず。
いい感じに怪物同士で共食いしてくれたので、僕はそのままさらに走る。
その目の前の空間が歪む。
何かいる!
でも避けている時間はない。
僕は腰のホルダーから桃の木剣を抜きはらって、歪んだ空間を切り裂いた。
手応えはあり。
あと、『ZZZZZZYYYYyyyyyyy!!』と人間の声帯では不可能な苦鳴をあげた。
やはり不可視の怪物か。
大きさはそれほどではない。
大型犬程度。
だったら、さっさとやりすごす。
僕は自分のでいうのもなんだか風のようにすりぬけた。
あとにそいつを取り残して。
そして、〈ハイパーボリア〉の甲板に辿り着いた。
〈サイクラノーシュ〉はまだ健在だ。
そのまま近づいて、ハシゴに足をかける。
さっき狙撃された男の死体はなかった。
視えるところにララさんも〈S.H.T.F〉の隊員もいない。
(やられたのか、みんな!!)
焦燥感に駆られながらハシゴを渡る。
不安定な足場を抜けなんとかドリルシップに辿り着いたというのに、誰もいない。
邪神の鳴き声も小銃の音もしない。
戦闘は終わったのか。
どっちが勝った?
「みなさ―――」
呼びかけようとしたとき、横から襟を引っ張られた。
乱暴に僕は船内に連れ込まれた。
「……なんで、戻ってきたんだい、少年ヨ」
「ララさん……無事でよかった」
ララさんは生きていた。
だが、全身に酷い傷を負っていた。
これでは雨に当たっただけで体力を消耗してしまう。
しかし、五体満足なままだ。
僕の顔を見てうんざりしたように、
「まつたく貴様ぐらいなものだよ、この私を心配するようなバカはネ」
嫌そうに呟いた。
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