第643話「海上保安庁の戸惑い」



 地下二階にある海上保安庁事故対策本部は揺れていた。

 首都・東京の出入り口といってもいい東京湾において、大規模な原因不明の暴風雨が発生し、しかもそれが一部地域に停滞したまま勢力が衰えようともしないからだ。


「現時点で投入できているのは?」

「巡視艇六隻、航空機五機、あと五課と六課があたっています」

「少ない。どうして東京湾のできごとにそれだけしか集められないんだ」


 海上保安庁長官の指摘に対して補佐官は、


「原因不明の暴風雨の中心にある〈ハイパーボリア〉のせいでしょう。米国、ロシア、中国の各大使館から口出しが入っています。あと、韓国からも」

「韓国? どういうことだ?」

「メタンハイドレートに出資している企業の中にお隣が含まれていたようです。事情は中国から漏れていると考えられます」

「そうか。……では、台風の最終進行予測をだしてくれ」

「算出できますが、あまり意味がないと思われます。少なくともあと十時間程度は」

「どういうことだ」


 補佐官が差し出したプリントを見て長官は眉をしかめた。


「……移動する気配がない、だと? 台風じゃないのか?」

「原因不明の暴風雨だとしか判断できません。しかも、勢力は一向に衰えることなく、どういう気象現象なのか現在気象庁と識者に当たっている状態です。うちのデータにはないのは確かです」

「なんということだ」


 本部の入り口があわただしくなった。

 廊下から多量の人が入り込み、幾つものコピー機、ノートパソコン、固定電話機、テーブルなどを設置し始めたのである。

 

「あれは?」

「〈ハイパーボリア〉を建築したレムリア興産の方たちです。ここで協力したいとの要請がありました。あそこも1500人の人員を抱えてますからね。救助できないと下手したら倒産ものです」

「ああ、官房副長官から聞いている。役人っぽいのもいるが」

「経産省の資源エネルギー庁の出向です。メタンハイドレートは我が国の未来のための大規模資源ですから、連中も必死なのでしょう」


 設置を手伝っていた職員の一人が、「データは10分単位でアップロードされていきます。共有しますか」「ぜひお願いします」などと情報交換を行っていた。

 いきなりの闖入者といっても過言ではないのに、事態の大きさを鑑みて即協力体制が取れるように動いている。


「官邸でも対策本部ができている。あと少ししたら私もそちらに行くことになるが、それまでに経過報告を整理しておいてくれ」

「わかりました」


 連絡をしていた通信士の一人がやってきた。


「長官。現場海域の暴風域は勢力が強過ぎてMHスーパーピューマ332では侵入できないそうです」

「……332が駄目では他の機体ではもっと無理か。巡視艇へのヘリによるピストン移送ができないということだな」

「はい。なお、〈ハイパーボリア〉の救命イカダの離脱は一つも確認されていません」

「最悪の状態だな。未曽有の災害時にただの一人も脱出出来ていないとは」

「―――長官、お耳を」


 補佐官が耳打ちをした。


(まだ未確認ですが、今朝から〈ハイパーボリア〉との通信は正体不明の暴風雨とは関係なく断絶しているようです)

(どういうことだ? 通信トラブルか)

(原因は不明です。ただ、後ろにいる連中はそのことを一切こちらに告げる気がないようです。少なくとも我々に対しては)

(わかった。国交大臣経由で経産大臣の……久保田さんに圧力をかけて貰おう。懐に入れてやったのにだんまりは気分が悪い)

(お願いします)


 海保長官はこのかつてない災害に対してどう対処するかを手早く考える。

 ヘリの離発着どころか巡視艇が近寄れないような暴風域では、さすがの海上保安庁も手出しができない。

 勢力が弱まるのを待ち続けるしかないが、それ以外にやるべきことはないのか。


「長官。官邸内に設置された危機対策管理センターからの出頭要請がきました。至急おいでくださいとのことです」

「わかった。あとは頼む」


 とにかく、彼にやれることは上への報告と叱られ役か。

 補佐官に後を任せて、長官は対策本部を出ようとした。

 そのとき、背広姿のミドルグレーの男性が供を連れて入ってきた。

 胸に約20ミリの金属製台座に赤紫色のモール、中央に金色の金属製11弁菊花模様を配したバッジをつけている。

 まとっている雰囲気からして間違い様もないが、国会議員だ。

 あまり知らない顔だったが、落ち着いた表情をしている。

 

「あなたが海保の長官ですか」

「はい、そうです。そちらは……?」

「私は外務省の副大臣補佐を拝命しております、神宮女震也です。官房長官に命じられて、ここの対策本部にお手伝いに参りました」

「外務省? 経産省や国土交通省ではなく?」

「ええ」


 長官はさっき関係各国から横やりが入っているという情報を聞いていた。

 もしかして、それ絡みか?

 だが、わざわざ海保に副大臣補佐を派遣してどうするんだ。

 しかし、派遣したのは切れ者と評判の官房長官らしい。

 それが直々となると相当なことだ。


「お役に立てると思います。


 アラフィフの男性とは思えぬ、端正でダンディな顔をした国会議員は誰でも安心できるようなにっこりとした笑みを浮かべるのであった。


「では、頼みます。自分は官邸に向かいます」

「頼まれました」


 神宮女震也―――とある退魔巫女の父親にして、現役の国会議員でもある元・退魔師は慇懃に長官を送りだした。


「……さて、海保の手助けは私でできるとして、海自にいった豈馬の爺様はしっかりやっているか。とても心配だ」


〈社務所〉の関係者はここでも動いていた。

 関東のみならず、日本と世界を邪神から護るために。



         ◇◆◇


「……これが〈ハイパーボリア〉の上部Bブロックだ。ほとんど、Aとも下層部とも隔絶している。だから、Aの様子とか、下がどうなっているかはだいたいのところしかわからない」

「確かに大きい施設ですけど、1500人も何をしているんですか?」

「俺らはメタンハイドレートから分離した天然ガスを定期船に移送するのがメインの仕事だ」

「質のチェックも俺たちだ」

「……Aブロックは?」

「ドリルシップとの連結やら、〈ハイパーボリア〉を拡張する現場の作業だな。あと、管制室都下通信室がある。ここの心臓部だ。ほら、西側と北側は工事していたろ? だいたいの連中はそこで作業している。ちなみに南には〈サイクラノーシュ〉が来て、東からは定期船がくる形になっている」


 僕は図面をもう一度確認した。

 南東のクレーン部分に、〈サイクラノーシュ〉のクレーンが引っかかっている。

 図面からすると、定期船と〈サイクラノーシュ〉の両方の甲板に荷卸しするためのクレーンなのだろう。

 さっきまでの様子だとドリルシップの復原力はまだ健在だ。

 逃げ出すとしたら、〈サイクラノーシュ〉しかないはず。

 ただ、問題は二つ。

 一つはあの船を支配していた邪神と〈深きもの〉の存在。

 あと一つはどうやってクレーンから解放するか、である。


「ここはララさんを信じるしかないか……」

「ララ? 神撫音ララのことか?」

「ええ、そうです」


 僕の独り言に食いついてきたのは元・退魔巫女だという鉢本いすゞさんだった。

 こぶしさんの同期ということなら、もしかして修行場でララさんたちの範士役を勤めていたのかもしれない。


「あのゲームマニアのドS娘がきているのかよ?」

「はい。〈サイクラノーシュ〉で一人で戦っています」

「そっか。分の悪いギャンブル好きはまだ変わらずなのか」

「知っているのですか?」

「少しね」


 すると、いすゞさんが言った。


「じゃあ、〈サイクラノーシュ〉を使って脱出しようか。外のとんでもない嵐で転覆するかもしれないが、いつまでも〈ハイパーボリア〉にいるほうがよほど危険だからな」

「そうですね」


 僕はここにいる六人が〈サイクラノーシュ〉に無事に辿り着けるような算段を巡らせ始めた。


「―――クレーンはこういう風に倒れていますけど、大丈夫でしょうか?」

「そこはだな……」


 時間がないのを承知で僕は作戦をさらに深く煮詰めていった。

 決して失敗は許されないから。


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