―第81試合 邪神戦線 2―

第642話「会議は戦う」



「どうして、オレたちは〈ハイパーボリア〉に行けねえんだよ!!」


 怒鳴りついでにテーブルを叩こうとしてなんとか堪える明王殿レイ。

 その肩に同意という風に手を添える神宮女音子。

 珍しくイライラとした顔つきで舌打ちをする猫耳藍色。

 じっと黙って天井を見上げた刹彌皐月。


「いいから、少し落ち着きなさい、みんな」


 関東最大の退魔組織〈社務所〉において最強の闘士である〈五娘明王〉の本気の怒りを受けてもたじろがないのは、彼女たちの統括をしている不知火こぶし。

 他にも何人か、組織においては有能と言われるものたちが会議室にひしめき合っていた。

 彼らは現在の状況をよく理解している。

 ただ、どう動くべきなのか上層部からの指示がまったくないことから、ほとんど手の打ちようがないのだ。


「こんにゃところに雁首並べていても仕方にゃいでしょう。こぶしさんは―――いや、たゆう様はどういうおつもりにゃのですか。わたしたちは、まずそれをききたいのです。―――ことと次第によってはいくら先輩と師匠であったとしても弓を引くぐらいの覚悟は我々はもっていることをお忘れにゃく」


 生真面目な性格の藍色が、挑戦的な物言いで目上に立てつくことはあまりない。

 しかも、今回に限っては挑戦を通り越して恫喝が混じり始めていた。

 彼女も指針すら示さない現況にただならぬ不満を覚えている証拠だった。


「藍色ちゃんも落ち着きなさい。さっきから私にガンを飛ばし過ぎよ。言っておくけど、こんな事態じゃなかったら私をそんな目で見るだけで折檻ものなんですからね」


 こぶしは冗談交じりに応えたが、少なくとも〈五娘明王〉のうち四人の発する〈気〉を一人で受けても平然としているのだから彼女とて並大抵ではない。

 戦えば負けるかもしれないが、後輩兼教え子に怯むような鍛え方は一切していないということであろう。


「だがのお、こぶし殿。わしらをただ待機させるためだけに、新宿くんだりまで呼びつけた訳ではないのだろう? わしもそろそろ静岡に帰らねばならんのだ。おぬしはどうなのだ、那慈邑なじむら

「私は別に。もともと、この件にちょっとだけみんなより関わっていたから、ここにいるのは必然かな」

「なんだと? ほお、甲州の守りであるはずのおぬしがどうして東京湾の〈ハイパーボリア〉に関わっているのかは知らんが、なるほど、わしらが知らんところでやはり色々進んでいたのだな」


 会議室の隅で壁に寄りかかっていた、十七歳の女の子とは思えぬマッチョで漢らしい顔つきの豈馬鉄心は、久しぶりに会った普段は遠方にいる親友の一人の肩をぽんと叩いた。

 基本的に地味で個性のない那慈邑ミトルはそのせいで室内中の視線を独り占めしてしまったことを恥じて赤くなる。

 巫女の中で随一のファッションセンスの持ち主でありつつメガネっ子であるミトルは、普通に街中を歩けばもっとも声を掛けられやすいタイプである。

 大人になれば化けると誰もが太鼓判を押してくれる美少女であり、政治家の娘であるにもかかわらず恥ずかしがり屋の本性はあまり変わらないので恥ずかしくて仕方なかった。


「それだ。……鉄心やミトルまで集めて、何かあったら困るのは〈社務所〉なんだぜ。それなのに、オレたちに指示もださずにだんまりを決め込んでいる。はっきりいうぜ、こぶしさん。これ以上、オレたちを遊軍化させるってんなら、どんな手を使ってでも〈ハイパーボリア〉まで行かせてもらう。止めるというのなら、例え、尊敬するあんたでも潰していく」


 本心とはいえわざわざ尊敬するという言葉を無意識に付け足してしまうのが、レイの素直なところであった。

 この言葉に同調するものは一人や二人ではなく、こぶしでさえ無言の圧力に眉をしかめずにはいられなかった。


(さすがに頃合いね)


 こぶしはやや姿勢を正した。

 聞く体勢から議論をする体面を作り上げたのである。

 すると、戦いの中のやりとりや流れを読むことに長けた歴戦の闘士たちもそれを理解して同じようにする。

 煮え切らない議論の時間は終わった。

 これからが本題だ。

 のらりくらりの相手をここまでに持っていくのがまず難しいのである。


「……で、あなたたちはどうやって、東京湾の端にあるメタンハイドレート採掘基地まで行く気なのかしら」

「船で、だ」

「残念ね。現在、〈ハイパーボリア〉を中心にして吹きまくっている嵐にはどんな船も近づけないと海上保安庁からお墨付きが出ているのよ。海上自衛隊のもっとも頑丈な船でも厳しいというのも防衛省からでているわ」

「だったら、飛行機だろ。その嵐の上を飛び越えていけばいい」

「どうやって着陸するの? 飛行機が侵入できたとしても、そこからあなたがたが見事に着地できるなんて奇跡はまず起きないわよ。それでも行くというのなら、ただの自殺ね」

「やってみなくちゃわからないだろうが!」

「―――質問」


 手を上げたのは皐月だった。

 少し口を利いてみたくなった程度のさりげなさだ。


「テレビでもすこしやっていたけれど、この嵐って台風じゃないし、収まる気配がまったくないって話だけど、本当にただの異常気象なの?」


 何人かスマホの映像を片手に会議に臨んでいたものから頷きが続いた。

 みな、気にはなっていたのだ。


「止む気配はないわ。おそらく、これは自然災害じゃなくて、邪神―――またはその眷属が起こしている人為、いえ怪異なのよ。だから、いつまで続くかわからないし、五分後にも止むかもしれない。こればっかりはわからないの」

「邪神は、ダゴンですかハイドラですか?」

「それもわかんないわ。ララちゃんからの最期の連絡でも、海中に巨大な影在りとまでしか報告されていないからどちらかだということはわかるけど」

「……それ」


 音子はいらいらしているのか、普段はまず外さない覆面を脱いで手で弄びながら言った。


「どうして、神撫音ララだけが単独で動いているの? 〈社務所・外宮〉はなにをしていたの? はどうしてあいつらを黙認していたの? わかんない。説明して」

「あと、これだ。―――京一くんが或子に盛ったらしいこいつだ」


 レイはごく短時間の間に分析されたケーキの成分表が印刷されたコピー用紙を叩きつけた。

 完璧とまではいえないが、重大な問題らしいという部分は十分に報告されていた。

 曰く、


『……当該ケーキの残骸から採取された毒物と思われるものは、妖怪〈ちん〉の毒であると90%の確率で保証される。なお、〈ちんの毒は現在日本中で保管されているのは当〈社務所〉の本殿・宝物庫のみである』


 とあった。


「伝説の〈ちんの毒といやあ、史記の頃にゃあ絶滅寸前の妖怪のものだ。日本でも現存しているのは〈社務所〉ぐらいしかない。それがどうして京一くんの手に渡り、しかも或子が飲んだんだ? ……あれで死なねえあいつも大概だが、或子を瀕死にするにゃあぴったりの毒薬でもあるの確かだ。ヒ素や青酸カリで死ぬ女じゃねえからよ」

「さっき確認したら、宝物庫には誰も入れにゃいようににゃっているらしいですね。……〈社務所〉の誰かがあそこから〈ちんの毒を盗んで京一さんに渡したんじゃ二ャいのですか? しかも、宝物庫に入れるのはごく少数の主幹だけ。……もしかして、〈社務所〉の意思として或子さんに毒を盛ったのですか? 答えてください」

「……京いっちゃんが自分から或ッチを傷つけるなんてありえない。だったら、これは誰かの描いた図面通りのことのはず。京いっちゃんになにをさせようというの? どうして、あの人は〈ハイパーボリア〉になんか向かったの?」


 怒りで箍の外れ欠けているレイと音子と藍色の三人は、思わず掴みかかろうとしてしまう。


 シュン


 だが、三人を制したのは、なんといつもは非常識の塊である皐月であった。

 三人が放つ殺気を掴み、逸らすことで一触即発の事態を回避する。

 支えを失ったようにテーブルに突っ伏す親友たちを冷たい目で見つめた。


「敵でないものに牙を剥けるな。―――血が頭と海綿体に登りすぎて勃起しているよ」


 この期に及んで下ネタを言わなければならなかったのは業というものであろう。

 しかし、殺意を視て殺気を掴む刹彌流の使い手である皐月だからこそ放てる、冴え冴えとした月光のような鋭く―――煌めく〈気〉が三人の背筋を貫いた。

 いつもはあんなでも、この少女も紛れもなく〈社務所〉最強の〈五娘明王〉の一柱なのだ。

 この三人と並ぶ使い手にして、怪物なのである。


「悪かった。……だが、こぶしさんにゃあ謝らねえ。しっかり説明がない限りな」

「シィ」

「同意ですにゃ」


 うまく丸まったとはいえなかったが、最悪の事態は免れたとみて室内の緊張はやや薄れた。


「……そろそろ説明します。升麻くんが何をしようとしているのか。そこに行くまでの我ら〈社務所〉がどういう道筋を辿ってきたか。それを聞いて、さらにその先の戦いを解決した後でなら、あなたたちの怒りをすべて引き受けてあげましょう。私と―――たゆう様が」


 不知火こぶしは言った。


「あと少し待ちなさい。もうすぐ、あなたたちの出番は来ます。―――あのクソッタレな嵐が止む時が来ます。おそらく、その時から日本政府、外国の干渉が起きるわずかな隙にあなたたちは〈ハイパーボリア〉に行くことになるでしょう」

「なぜ、言いきれんだよ」

「―――知っているからです」

「なにを、だ」

「もちろん、あなたたちも知っているはずです」


 次に、口から出たのは信頼の厚みであった。


「足掻いて姥貝て絶対に諦めない人間の強さというものを、ですよ」


 机の上に置いてある、何の変哲もない一人の少年の写真に指を添えて。


 

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