第640話「どうあっても、彼は彼」
〈ハイパーボリア〉は戦場に墜ちていた。
正確に言うと、激しい戦闘が一通り終わったあとの戦場だった。
ヘリ発着場のように視界のひらけた場所はいわずもがな、廊下も階段も室内もどれもこれも銃弾と信じられない馬鹿力で破壊されまくっていて、足の踏み場もないとはこのことだ。
しかも、あたりかまわず噴きだしている煙のせいで見通しが極端に悪いうえ、下にはたまに死体と死骸が転がっている。
死体の方はまだ人間味が残っているが、死骸の方は間違いなく〈深きもの〉―――半魚人の連中のもので、まるで築地のようだ。
美味しそうではないのはさておく。
人間大の巨大な魚がまさに冷凍マグロのごとく横たわっていてとても足場が悪い。
かなりの数の犠牲者がどの陣営にもでているのだろう。
それでいてたまにタタタッタタタッという自動ライフル銃の音が聞こえてくるので、戦闘は収縮もしておらず膠着状態に入っていることがわかった。
海の邪神を崇めるC教徒と〈深きもの〉。
アメリカに一大勢力を築いているというヨグ・ソトト教団の魔術師と信徒。
あとは何を信仰しているかもわからない連中と、やはり妖気に惹かれてよってきたのだろう海の妖魅ども。
そいつらが三竦みというか、みつどもえというか、とにかくララさんの予測通りに殺し合っているのだ。
どの勢力も並みの化け物ではなく、しかも千人を超える人数がいる。
こんなヤバいバトルロイヤル会場はほとんどないだろう。
確かにララさんが言っていた意味がわかる。
例え〈
しかも、彼女たちの性格上、影で隠密行動をとりながら目的地に向かうというのは不可能に近い。
一騎打ちと一騎駆け用の性能すぎて乱戦には向かないのだ。
なにより、彼女たちはきっと考えるよりも身体が動いてしまうだろう。
この光景を見たら。
「……僕はどうして耐えられるんだろう」
図面では、確か上部Bブロックの作業員たちが食堂して使っているやや広い室内は、ほとんど血の海と化していた。
さすがに乾きかけているが、ねちゃっとした水溜りがあちこちにある。
数人を除いて、五体満足な亡骸はほとんどない。
狂気を感じるほどに腕や足、そして首を捥がれた格好で乱暴にうち捨てられていた。
どれだけ力のあるものに蹂躙されたのか。
そして、どれだけの弾丸が跳ねまわったのか。
無意識のうちに十人まで数えてやめた。
その五倍は食堂で殺されているのを確信してしまったからだ。
「……よく考えたら弔いの言葉って知らないや」
室内には〈深きもの〉もケープ姿もいなかった。
ここにいる人たちは全員、Bブロックで作業をしていた一般の人たちなのだ。
C教徒もヨグ・ソトト教団も政治家やら財団やらの圧力で自分たちにとって有利な人材(バケモノかな)をここに送り込んだが、やっぱり対外的にはメタンハイドレート採掘のための基地である以上、まともな人間の作業員は必要だった。
Bブロックはそのための場所だった。
裏を返せば、100人前後いれば〈ハイパーボリア〉の運営そのものはできたということだろう。
狂信者も怪物も余計だったのだ。
かわりに他の陣営には内緒で武器を揃え、戦闘員を集めて、備えていたのだろう。
今日という日みたいな、終焉の刻に。
ただ、そんなことは夢にも思わず、日本がエネルギー大国になり、活気ある国になると信じて〈ハイパーボリア〉で働いていた人たちはいて、彼らの最期はこんな無残なことになってしまったのだ。
僕は屈みこんで、無念に顔をしかめて泣いている顔の人にタオルをかけてあげた。
自己満足にもならない。
彼らのもう閉じない目つきが怖かっただけかもしれない。
胸がむかついて、鉄でも飲みこんだような吐き気がした。
でも、ゲロは少しも出ない。
もしかしたら吐くほどショックを受けていないだけなのか。
これだけの亡骸を前にして、僕は少しむかつくだけで平然としているのだろうか。
人間としてすでに壊れているのかもしれない。
「危ない……かな」
僕はあまりに集中しすぎていることに気がついた。
こういう風に感傷に囚われているときがなにより危険だということを教わっていた。
その教えのおかげで、僕は食堂の外を通り抜けようとしていた一人の男に気がついた。
椛色のケープを着た男だった。
右手には拳銃、左手に分厚い本を抱えていた。
僕の背負ったカバンにも似たような本が入っている。
〈サイクラノーシュ〉から乗り移ったときに邪魔をしてくれた男がもっていたものを拝借してきたものだった。
タイトルは―――読めない。
国会図書館の地下で見た『惨之七宝聖典』みたいな魔導書にくらべると重みが足りない。
おそらく写本のさらに写本とかなのだろう。
魔導書は活版印刷されたものでは力が劣ることになると土御門さんがいっていたから、一応は手書きだ。
そのはずなのにこれだけの雨にぬれても湿気っているだけで文字化けもしないってのは普通じゃない。
インクとかもまた不思議製法なのだろうな。
あの男は武装からしてヨグ・ソトト教団だろう。
どこに行こうとしているかは知らないが、かなり急いでいる。
いや、逃げているのか。
次の瞬間に僕は納得した。
男を追って廊下に現われたものを見て。
(サメっ!!)
思わず出そうになった声を慌てて抑える。
さすがに驚いた。
〈ラーン・テゴス〉やらの邪神とかを散々見てきたけど、船の中を泳ぐ巨大なジョーズというのはびっくりした。
まるで海の中を行くかのようにひれで泳ぐ姿は恐ろしいの一言だ。
かてて加えて、物凄く速い。
ヨグ・ソトト教団の男が必死で逃げているのもわかる。
完全にロックオン状態なのだ。
あのままいったら間違いなく彼は食い殺されるだろう。
サメがどんな妖魅なのか、それとも別の邪神の眷属なのかも知らないけれど、人間を頭からぱっくんするつもりなのは間違いない。
彼もあと数秒で餌になるだろう。
「ざまあみろ、だ」
と、僕は正直な感想を口にした。
振り向いた僕の背中の奥には無残にも殺された罪のない人たちの亡骸が重なっている。
あの魔術師もこの屍たちを産みだした元凶の一人なのだ。
サメに食われてしまうがいいさ。
そう考えたと同時に、僕はベルトに吊るしてあった円筒の栓を引っ張って、大きく振りかぶった。
野球は下手だったけれど、ゴールキーパーのスローイングは得意な部類に入る。
横に軽い回転がかかる投げ方のせいで、受けてもトラップしやすいのだ。
サメは当然トラップなどしてくれないけれど、この場合目の前に転がってくれればそれでいい。
十分に時間をかけて投げた結果、サメの鼻面に当たったとほぼ同時に円筒が破裂する。
たいした音はしない。
代わりに生き物であったのならば視神経を焼き切る光が迸る。
ズガガガガガ―――
派手にハードランデイングして腹を廊下の床にこすりつけるサメ。
ハリボテのような〈ハイパーボリア〉の壁に深い傷を刻みつけた。
だが、激突した衝撃で追跡が困難になったからか、魔術師はそのまま脱兎のごとく逃げ去っていった。
僕の投げた簡易閃光弾には気が付かなかったようだ。
正直、その程度の観察力だと長生きはできないと思うけど、目の前で誰かに死なれて欲しくはなかったので僕としては御の字だ。
どうして、あんな奴を救ってしまったのかは聞かないでほしい。
僕一人だったから良かった。
もし質問でもされたら何も答えられずにバカみたいに泣いてしまったかもしれないから。
「でも、まあ、おかげでピンチなんだけどね」
サメは魔術師と違って僕による被害を受けたからか、こっちの存在に気が付いたようだ。
そして、白濁しきった眼球で僕を睨む。
さっき狙撃された魔術師のものにどことなく似ていた。
復讐のために生き返ったのかと、思ってしまうほどだ。
「まったく、無駄な人助けをしてしまった僕はバカだ」
でも、そうしないと食堂で亡くなった人たちに申し訳ないと思ってしまったのだから仕方ない。
彼らを助けられなかった僕らにできることは、もし間に合っていたらあなた方を救えたのにごめんということだけの様な気がしたのだ。
そのためにいらないピンチを招いたとしても。
例え愚かだとしても僕の精神状態を保つためには必要なことなのである。
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