第637話「走れ、彼女のように」



「おい、あれを見ろ」


 窓の外から嵐の海上を見張っていた〈S.H.T.F〉の隊員が静かに指摘した。

 僕らも真似て外を見る。


「対潜水艦ソナーが海面から少しだけ深いところを動く何かを探知したんでな。目視してみようとしたら、アレだよ。どうみても尻尾と手がありやがる」


 風による揺れが強いのですぐには気が付かなかったが、雨の怒号と唸りの先に黒い巨大な影が泳いでいた。

 でかすぎる。

 20メートルは優にあるだろう。

 何も知らなければメルヴィルの小説に出てくる白鯨かと思ってしまうはずだ。


「……聞きしに勝る怪物だな」


 十分な知識のある僕たちには、海面すれすれを怪獣の正体を推測することは容易だった。


「ダゴン、いやハイドラかもしれんネ。とりあえず、この嵐を呼び出したのはあいつだろう」

「では、なぜこんなところに」

「邪神の眷属の考えることなど知らんヨ。ただ、腐っても神に近い化け物だ。嵐の中を強引に突っ込んで来た私らにただならぬものを感じたのかもしれない。私があいつらの天敵だということを人知を超えた力で悟ったのかもしれないヨ。もしくは……」


 ちらりとララさんが僕を見やったが、まさかそんなこともあるまい。


「まあ、いい。時速25ノット程度ではオスプレイには追いつけんよ。さっさと振り切って〈サイクラノーシュ〉に懸垂降下してしまおう」

「Yes.司令官マム


 ララさんの言う通りに高速飛行するオスプレイは簡単に海中の大怪獣を置き去りにして、先を急いだ。

 突入して数分が立つ頃には、ドリルシップ〈サイクラノーシュ〉の頭上に辿り着く。

 写真の通りに船首が〈ハイパーボリア〉に激突し、全体的に傾いている。

 ひと目見てこのままだと沈没するかもしれないとわかる惨状だ。

 とはいえ、空中で停止したオスプレイからロープでラペリングする余地はありそうだ。

 風が酷いので苦戦はするだろうが。

 もっとも〈S.H.T.F〉の隊員たちならば鼻歌交じりでこなしてしまうだろう。

 それだけ優秀な人たちばかりなのだ。

 少しの間だけでも僕が師と仰いだのはそういうとんでもない兵士なのだ。


「……いけるな」

「いきます」


 ホークさんに背後から抱きかかえられ、二人体制で僕らはロープを辿って甲板まで降下した。

 オスプレイのハッチが開いた途端に雨でずぶ濡れになりつつも、僕は何度かやった通りの訓練通りに身体の力を抜いてホークさんに身を任せる。

 初心者にできることはベテランを信頼することだけだ。


「……坊主は本当にうめえな。リラックスってのは口では言えてもなかなか実践できないもんだ。基本ができている。やっぱりいい兵士になるぞ、おまえ」

「ありがとうです。でも、なりませんよ」

「あたぼうよ、おめえは今作戦限りで引退だ。それだけ普通なら絶対に達成不可能な難易度が高い作戦ミッション・インポッシブルだということを忘れんな。行くぜ」

「はい」

「降下よし! 降下!!」


 僕らは二組が先行した後に続いて降下した。

 飛び降りる寸前、足元の方からタタタッ! タタタッ!というSMGの発射音が聞こえてくる。

 先行した二組が〈サイクラノーシュ〉の甲板の上で戦闘に入ったのだ。

 ララさんの予想は裏切られ、まだ船内に残っているものがいたようである。

 しかも会敵即射殺行動に出たということは、一瞬で敵か味方か判別できる様態だったということだ。

 ならば、甲板に待ち構えていたのは……


「ち、魚類どもが生意気に!!」


 僕を抱えたまま、ホークさんがミネベア 9mm機関拳銃―――通称M9をぶっ放す。

 身体のすぐ傍で撃たれると怖くなるが、それでも着地直後に襲われるよりははるかにましか。

 足元ではまだ射撃音が聞こえていたが、僕らはなんとか無事に風に煽られながらも着地した。

 すぐにロープを外し、ホークさんから外れる

 この作業は意外とスムーズにいった。

 練習のときはだいぶ緊張したけれど、実践の方が気楽な感じだった。


「……言い度胸しているヨ、少年」


 すぐに降りてきたララさんと他の隊員に連れられて〈サイクラノーシュ〉の甲板の物陰に隠れた。

〈S.H.T.F〉の決死隊が全員降下すると、オスプレイは飛び去って行った。

 凄まじく腕のいいパイロットだということが本当によくわかる。

 ただ、もうオスプレイはおらず、僕たちには逃げ場もない。


「司令官、敵はまだ銃は使ってきていません。ただし、〈深きもの〉は十匹前後確認できました。そのうち、半数は仕留めたので敵損耗率が40%を越す全滅といえます。ただ、奴らには全滅の概念は意味がなさそうです。最期の一匹まで向かってくるでしょう」

「いつも通りダヨ。殲滅してしまえ。薄汚い邪神の下僕どもに海を好きにさせてたまるものカヨ」

「Yes.司令官マム


 タイガーさんは冷酷な指示を冷静に聞き取った。

 彼らは兵士である。

 侵して殺すのが本分だ。

 だから、殺戮の指令も迷うことなく受ける。

 ララさんが僕に向き直った。


「では、少年。君の番だ。……あそこに〈ハイパーボリア〉に渡るデッキが視えるだろう。そこから屋根のあるところに入るまで走るんだ。そこから先はどうにもならんが、そこまでは私たちが喜んで守ってやるヨ」


 二人の隊員がスナイパーライフルを用意していた。

 こんな嵐の中で命中精度が維持できるとは思えないが、わざわざ観測手まで用意しているということは本気なのだ。

 彼らが途中まで僕を護ってくれる。

 それにこの豪雨と大風も、だ。

 なんでもかんでも邪神の側の有利に働くわけではない。

 僕にも〈一指〉があるのだから。


「行ってきます」

「―――綺麗事はいらないヨ。邪神なんていう奴ばらをうんざりさせるほど未練たっぷりに戦ってやれ。じたばたとのたうち回り、人外どもの裏をかいて、狂ったように這いずり回ってやれ。少年の〈一指〉ってのはそういうだ。ヒトの生き汚さの究極の末路なんダヨ」


 ララさんはもしかしたら怒っているのだろう。

 憤怒というべきかもしれない。

〈ハイパーボリア〉という人間の希望の詰まった施設を邪悪な祭壇に変え、好き勝手に振舞う連中に対して。

 そんな奴らに力を持つにも関わらず手を拱いていなければならなかった自分と〈社務所〉の不甲斐なさに。

 僕なんかに大事な役目を託さなければならないことに。

 わかるよ。わかる。

 だから、僕があなたの無念を背負っていくよ。

 じたばたと足掻いて、姥貝て、這いずってやる。


「―――司令官マム!! 船尾から正体不明の妖魅が!!」


 振り向くと、無毛の黒っぽい頭と胴が一体化した身体と日本の脚らしきものを持ち、画面の器官が胸と腹部にぎゅっと絞られたように集中している不気味な怪物が〈サイクラノーシュ〉の船室から顔を出そうとしていた。

 どことなくジャミラみたいなのは、雨に濡れてやたらとぬめぬめしているからだろうか。

 だが、はっきりとわかるのは以前〈ラーン・テゴス〉という邪神を見た時と同じあまりにも恐ろしい妖気だった。

 断言できる。

 あれは邪神か―――それに準ずるものだ。

 御子内さんがあれほど苦心して〈護摩台〉の力を借りてようやく倒した〈ラーン・テゴス〉と。

 

「……行け、升麻京一」

「ララさん」

「クリスマスから一貫して貴様を試し続けたこと謝りはしない。だが、償いはさせてもらう。あいつは〈ブフレムフロイム〉と言ってな、ルルイエの海神の眷属と目されているやつだが、ここで足止めぐらいはやってやるさ」


 ララさんは命じた。


「〈S.H.T.F〉全隊員は少年を〈深きもの〉から護り、〈ハイパーボリア〉まで送りこめ!! その不細工の相手はわたしがヤル」


 嵐の中、敢然と桁外れの妖魅に立ち向かうララさんの背中を一瞥し、僕はターンした。

 色々あったけれどもう忘れよう。

 この雨の水ですべて流そう。

 孤軍、神に挑んだララさんの勇気を讃えるために。


「坊主! 行けよ!」

「しっかりな、小僧!!」

「ボーイ、ファイト!!」

「しょーま、きょーいーち、ララララ、しょうまきょういち、ラララララ!!」


〈S.H.T.F〉のみんなが声援を送ってくれる。

 まるで御子内さんを応援してきた僕のように。

 だから、この声援を力に変えて走った。

 かつて涼花と僕を助けてくれたあの強い退魔巫女の代わりとして。












 戦うんだ。

 


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