第635話「彼は普通の高校生」



「―――〈ハイパーボリア〉は昨日の夜から外部と連絡が取れなくなっている。こちらから通信を送っても応答がない状態だ。しかも、ヘリコプターも他の船も近寄れないという有様だ」

「……それは聞いています。でも、半日以上たっているのに何もわからないんですか?」

「ああ。海保のヘリコプターも連絡船も近づくことができない」

「どうして?」


 パンダさんがタブレットの画面を見せてくれた。

 それは海上を撮影したものだったけれど、正直、一瞥しただけでは意味が分からなかった。

 なぜなら、海に浮かんだ巨大施設がメタンハイドレート採掘施設〈ハイパーボリア〉であることはわかったけれど、その周囲が異常なほどに黒く荒れていたからだ。

 普通ならば、嵐に襲われているのだとわかる。

 しかし、画面に映っている中で黒い雲に覆われて雷雨が荒ぶっているのはたった一部だけだったのだ。

 ほとんどの光景は青い空と静かな波に満ちた穏やかな海だというのに、〈ハイパーボリア〉のある一部だけが嵐の中なのだ。

 異常すぎる光景だった。

 まるで黒いドーム状の黒煙の中に〈ハイパーボリア〉だけが閉じ込められているようなそんな有様である。

 望遠で撮影しているからこそ、まさに異状そのもの。


「……この嵐のせいでヘリも船も近づけない。だから、内部で何が起きているかはまったく見当がつかない」

「ただ、わたしらにはわかっているんダヨ」


 ララさんが話を繋いだ。

 さっきのファイルを叩き、


「星辰がやってきていないというのに、C教徒かヨグ・ソトト教団のどちらかが暴れ出したのだろうサ。どちらも自分たちがあの施設を好きにしようと仲間を送り込んでいた連中だ。チャンスとみたら即動く。その気配については報告を受けていたからネ。特に不思議ではなかった。もうあの中は手の付けられない地獄と化しているだろう」

「無関係の人は……」

「はっきりとわかっているのは上層部Bブロックの100人ぐらいダネ。あとはよくて人三化七の化け物しかいないはずダヨ」


 つまり、助けを求めている人たちが少なくとも100人いるのか。

 見殺しにはしたくないな。

 早く……行かなくちゃ。


「警察や自衛隊は行かないんですか?」

「……行けるはずはないとわかっているんダロ。どんなに優秀な軍人と部隊でも、300匹の深きものディープワン、300人のC教徒、Aブロックの200人の魔術師、山のようなヨグ・ソトト教団の信者。しかも、邪神が一柱や二柱がいるかもしれない中で、怪物たちが殺し合っている戦争よりも酷い環境に介入できるはずがナイ。生き残りの作業員たちを救出なんて不可能ダヨ」

「でも……」

「デモもストもないヨネ。あのメタンハイドレート施設はとうの昔に邪神とそれに群がる悪党どもの巣になっていた。わたしら〈社務所〉も薄々勘付いていた政府も手が出せない悪魔の巣窟にネ。なんとかして攻め込もうとしていたが、まったく攻め手も見つけられなかったぐらいに難攻不落の城なのさ」


 さすがの僕にもわかっていた。

 今の〈ハイパーボリア〉がどんな場所なのか。

 英陸軍特殊空挺部隊SAS、ロシアのアルファ部隊、米海軍ネイビーシールズが突撃したとしても制圧は不可能だろう。

 ただの人間の軍隊ではどんなレベルであったとしても生きては帰れない地獄だ。


「……それにな、ミサイルやら兵器で攻撃することもできねえ。あそこは日本の領海の中で、自衛隊でも武力攻撃はできないだけでなくて、下手なことをすればアメリカ・ロシア・中国がしゃしゃりでてくる。あそこにはその三つの大国が絡んでいるからな。政府もすでに政治的に手が出せなくなっているんだ」


 日本にありながら、日本が手を出せない治外法権的な場所になりかけていたということか。

 メタンハイドレート利権そのものは日本に帰属していることから、政府としても

 強引な手段にはでられなかったのだろう。

 ただ、政府はわかってはいたのだ。

〈ハイパーボリア〉が邪神復活のための祭壇と化していることに。

 だからこそ、すべての邪悪を許さない偏狂的な〈八倵衆〉は東京都を血の海に落としてもこの施設の行政権を利用しようとしたのだ。

 自分たちで攻め滅ぼすために。

 

「まあ、うちの最高戦力である〈星天大聖〉と〈五娘明王〉、それにわたしの〈S.H.T.F(特殊聖力戦略部隊スペシャル・ホーリー・タスク・フォース)〉のすべてを投入したとしても、制圧はおろか奴らが最深部で行おうとしている儀式を止めることもできないだろうサ。それだけ、危険極まりないというのに、今〈ハイパーボリア〉の周囲に発生している嵐は季節ものの台風なんかじゃなく、邪神の眷属ダゴンとハイドラによる結界なのも確認している。つまり、我々はもともと動きの遅延がひどすぎて打つ手がほとんどない状態なのダヨ。―――で、少年、君の出番となった」


 ……御子内さんや音子さんたちが攻め込んでも無意味な玉砕にしかならないという魔界に赴くのが僕の仕事なのだ。


「どんな軍隊も、仏法の守護神の化身たちも、孫行者そんのぎょぅじゃの魂を宿す決戦存在も、決して生きては帰れないだろう魔界のどん底に少年は行くんダヨ。―――〈一指ひとさし〉、まさかこれほどまでに選ばれた豪壮なる運勢とは思っていなかったから、さすがに未だにわずかな疑いはあるがネ」


 ララさんはもう笑ってはいない。

 冷徹にして冷酷な、退魔部隊の長としての顔を前面に押し出していた。


「普通の一般人、なんの力も血筋も、優れた知力も発達した教養もなく、まともな訓練も受けていないどうということもない男子高校生が、何百年もの歴史のある退魔組織の流れを汲む〈社務所〉の切り札だという茶番には笑わずにはいられないヨ」

「……だが、司令官マム。この小僧がたった一ヶ月程度だがオレらの訓練を乗り切ったのは事実だぜ」

「体力とかはともかく執念は認めるべきかと」

「追い込めば追い込むほど切り抜けるのがうまくなっていくってのが、その〈一指〉ってやつなんだろ? だったら、キッドは十分に使いこなしているだろう。まあ、実戦ハイパーボリアでどれだけやれるかは俺としても疑問だがな」


 懐疑的な発言に対して、〈S.H.T.F〉の隊員さんたちがフォローに入ってくれた。

 彼らの言う通り、実は僕はここ数週間、彼らによる訓練というしごきを受けていたのだ。

 それもこれも〈ハイパーボリア〉に行くための。

 僕の〈一指〉は万能の力ではなく、持ち主が限界まで足掻いて姥貝てジタバタした挙句にようやく少しだけ発揮されるような―――ゲームでいえば発動条件が難しすぎる運勢なのだ。

 だとしたら、それを引きだすために一分一秒も無駄にせずに、できる限りの準備をしなければならない。

 そして、今回僕がたった一人で行かなければならず、他の誰の助けも借りられないのであるのだから。


「……司令官マム。やはり、坊主だけでは不安です。自分たちも同行させてください」

「貴様たちは最初の想定通りに、オスプレイで〈ハイパーボリア〉に彼を降ろせばいいんダヨ。途中までの護衛はわたしがやるから」

「しかし」

「わかっているんダロ? あそこで生き残るために必要なのは武力でも、戦力でも、知力でもない。あるに越したことはないが、それ以上に求められるのは異常なまでの超・強運だけだ。この少年を〈社務所〉が選んだのは冗談でも偶然でもない。漢の高祖・劉邦が持っていたのと同等の〈一指〉という運勢だけなんダヨ。貴様らじゃあ、この少年の盾になって最初の数分でくたばってしまってもおかしくはない」


 ……そう、僕はこの〈一指〉という強運を持つがゆえにララさんに眼をつけられた。

 いや、彼女だけじゃない。

 直接言われたわけじゃないけれど、〈社務所〉の重鎮である御所守たゆうさんも同じように考えていたはずである。

 でなければ、こんなにスムーズに話は進まない。

 加えて、僕を利用しようとしているのは〈社務所〉の側だけではない。

 カバンの中の〈銀の鍵〉の感触を確かめる。

 これを僕に渡した奴らも、だ。

 おかげで僕は、護ってくれている友達皆を裏切り、ここにいるララさんや〈S.H.T.F〉のみなさんを裏切り、下手をしたら人類も裏切ることになるだろう。

 だが、それも運命だ。

 僕が〈一指〉という類いまれな運勢を使って、〈ハイパーボリア〉の最下層にまで辿り着ければの、限定条件付きの大博打に勝ってからの話だけれど。


「……いいかい、少年。貴様に対してわたしが期待しているのは、あの邪神とその信徒どもが団体で切った張ったを繰り返している釜の底をひっかきまわすことだ。その〈銀の鍵〉を回せるかどうかまではさすがに考えていない。だが、いいカネ。……貴様を散々観察して実験して試してきたわたしだから断言できることがある」


 ララさんが横から僕の目を覗き込んだ。


「貴様だけが、。巫女にも、妖怪にも、坊主にも、仏にもできない奇跡を起こせるのは、昔から只人のわざと決まっているんダヨ」


 歴戦の兵士たちが僕を見守っていた。


「神々の摂理を出し抜くがいい。悪魔の遊戯を打ち負かすがいい。邪神の支配を掻い潜るがいい。それがニンゲンではなくてヒトのやり口なんダヨ」


 少し溜めて、僕は頷いた。


「はい」

「いい返事ダネ。……貴様が死体になったら歌舞伎町のマッドサイエンティストにでも売って誰の目にも触れさせないようにしてあげるヨ」

「死なないようにしますね」


 苦笑して、僕は立ち上がった。

〈ハイパーボリア〉の地図は頭に叩き込んである。

 その他もろもろの情報も。

 もう時間がないから発たないといけない頃合いだ。

 早くいけばまだ生きている可能性のある上部Bブロックの一般の人たちを助けられるかもしれないし。


「では、行きます」


 そんな僕を十人の優秀すぎる兵士たちがなんともいえない目つきで見ていた。

 



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る