第634話「往くべき場所は……」


「〈ハイパーボリア〉は、我が国にとって希少な天然エネルギーであるメタンハイドレート採掘のための基地だ。プロジェクトそのものは十年以上も前から始まっていて、今年の頭から試掘が始まっている。メタンハイドレートについてもわかっているな」

「はい」


 エネルギー資源として利用されている天然ガスは、その主成分がメタンガスである。

 そのメタン分子、水分子が籠のように囲む構造がメタンハイドレート―――化学用語で「水和物」という意味―――である。

 この分子構造は高い圧力と低い温度で保たれることから、その条件を満たす海底に賦存している。

 このメタンハイドレートは、圧力を下げるか、温度をあげるかすれば、水とメタンに分解でき、このメタンを天然ガス火力発電所で燃やすことで発電が可能になる。

 また、都市ガスとしても応用が可能らしい。

 現在存在する火力発電所の最小限度の改修で、このメタンハイドレートから採れたメタンを利用できるということで、すでにインフラ設備も整っており、日本の未来のエネルギーとして期待されていた。

 日本の周辺海域には、このメタンハイドレートが天然ガス国内消費量の百年分はあるだろうと試算されており、うまくいけば日本が天然ガスの輸出国になるかもしれないという希望が産まれたのだ。

 輸出国の言い値で買わされていた天然ガスがこれによって日本でも安く消費できるようになり、高い経済成長の起爆剤になるかもしれない。

 原子力発電所に完全に依存せずとも、エネルギー問題が解決できればそれも可能だろう。

 その最先端の採掘施設が東京湾の出口にあるということは、さらなる画期的な発展が期待できるということであり、政府は3000億の巨費を投じて海上基地〈ハイパーボリア〉を建設し、さらに1000億を使って必要な第三セクターを用意した。

 日本の未来を支えるための基地という位置づけであった。

 僕がこれから向かうのはその〈ハイパーボリア〉なのである。


「全長が2km、幅が1.25km。海面には三層のブロックがあり、その下に推型の下層部がくっついている。まあ、わかり易く言えばMACステーションだヨ。シルバーブルーメにやられてしまったアレだと思えばわかりやすいカナ」


 と、ララさんが解説をしてくれるのだが、一瞬、何を言われたのかわからなかった。

 しかし、隣にいたホークさんが、


「小僧、司令官マムは特撮オタクでもあるんでたまに訳わからん事を言うが多めにみてやれ」

「マムの年齢でそのネタはちょっと……」

「俺らおっさんでもわからんわ」


 全員からツッコミがはいったが、ララさんは気分を害した風でもなかった。

 それだけこの部隊はチームとして仲がいいのかもしれない。


「うるさいヨ。私がわかりやすく説明しているだけなのだから、貴様らは黙って聞いていればいい。上官に逆らうんじゃナイ」

「……Yes.マム」


 そんなに長い付き合いではないけれど、〈S.H.T.F(特殊聖力戦略部隊スペシャル・ホーリー・タスク・フォース)〉の人たちはきさくな人ばかりだ。


「いいですか、マム? 続けるぞ、ボーイ。〈ハイパーボリア〉の真下には一番でかい鉱脈があるが、その他のメタンハイドレート層採掘のためのドリルシップが一隻常に停船していて、母港の役割もしている。ドリルシップの名前は〈サイクラノーシュ〉。土星って意味だ。これ以外にも常に連絡船が行き来しているから、ある意味では海上港ともいえる。たまに、漁船なんかも台風のときに避難してくるらしいしな」


 それだけ大きな施設ということだ。


「あと、メタンハイドレートの研究施設という役割と、ドリルシップが掘り出したメタンガスを溜めておく貯蔵地という側面もある。色々とあることから、〈ハイパーボリア〉には常に1400人前後が生活している。そのため居住区もかなりある」


 結構、大勢住んでいたりする。

 ちなみに女性はいないらしい。

 セクハラよりも別の生々しい理由があるのだろう。


「上部はAとBの二つのブロックが存在し、下層はXブロックがE1~3に分かれていて、それぞれ作業員が働いている。―――問題は、このブロックに詰めている連中だ」


 タイガーさんが手にしていたたくさんのファイルをテーブルと図面の上にぶちまけた。


「……上層Aブロックには500人、Bブロックには100人。Xには600人。基本採掘班と呼ばれる研究者の集まりが150人。ドリルシップ班が150人。これらが手の付けられない化け物揃いということだ」


 ララさんが〈ハイパーボリア〉を横から見た断面図―――地形も含めてだ―――を広げて、一点を指さした。


「少年にはすでに教えてあった通り、この〈ハイパーボリア〉の真下にあるメタンハイドレート層には我が国のためのエネルギー源があると同時に―――


 すでに、〈S.H.T.F〉の皆さんには冗談の欠片もない。

 本題に入っているのだ。


「研究者たちが見つけ出したメタンハイドレートとほぼ同化するように龍脈―――レイ・ラインが重なっている。その龍脈の先はとある古代都市へと繋がっているのだ。わたしたち〈社務所〉のみならず、世界中の国家も軍隊も退魔組織もずっと脅威と認定しているとある都市にね」


 都市。

 僕はその名を知っている。

 日本に住んでいる限り本来はまつたく接点のないその都市を。


「南緯47度9分 西経126度43分の海底に位置しする絶海の海域に沈んでいるその都市には一柱の最悪の神が眠っている。フングルイ ムグルウナフ クトゥルウ ルルイエ ウガフナグル フタグン。……死せるクトゥルー、ルルイエの館にて、夢見るままに待ちいたり、ダヨ」


 ララさんでさえ顔に高い緊張が漲っていた。


「かつて、地球を支配していた神々と呼ばれる怪物の中でも最悪の一柱が封印―――いや眠っているだけかもしれないケド―――されている都市の繋がっている龍脈が〈ハイパーボリア〉の真下にある。でも、ただ、普通に採掘しただけではまず影響はないだろう。しかし、その神の信者たちがまず間違いなく龍脈を通して神に強い刺激が与えられるかもしれない。寝汚い邪神を起こしてしまうような強い刺激が」


 タイガーさんがファイルを開いて該当ページを見せてくれた。


「我々の調査では、すでに〈ハイパーボリア〉はおぞましい狂信者たちにほとんど乗っ取られている。Xブロックの半分の300人はその神の信者である深きものと呼ばれる怪物であり、残りはまだ人間のC教徒。……Aブロックの200人は別の邪神の信者どころか、魔術師と呼ばれる連中で、あとは彼らの手足となるヨグ・ソトト教団の信者たち。研究員とドリルシップにはこちらでも身元調査の出来なかった連中がいて、下手をしたらこの前、坊主が目撃した〈イゴールナク〉とかいう邪神そのものが紛れ込んでいるかもしれない。……とにかく、唯一日本政府の眼の届くBブロック以外にはどんな不気味な奴らがいるか皆目見当もつかん状態なのは間違いないところだ」


 それだけを調べただけでもかなり大変なのはわかる。

 やはり〈社務所・外宮〉は独自に勝手に行動していわけではなくて、御所守たゆうさんたちのバックアップを受けていたはずだ。

 僕たちにはそれを悟らせないようにして。


「質問はあるカネ?」

「どうして、そんなに人種というか怪物の坩堝になるまで気が付かなかったんですか」

「簡単さ。〈ハイパーボリア〉は東京湾にあっても、日本のものではないからだ。最初は日本と協力する米国の二国での共同だったのだが、あの2009年の政権交代のときに、時の政府が融資国として中国を引きいれてしまったうえ、なんと今アメリカで大統領選挙をしているおばさんがロシアの関係会社とも契約してしまい、それが〈ハイパーボリア〉関連に食い込んでしまったんダヨ」


 このときはしらなかったが、このアメリカの女性政治家は国務長官時代に、国務省と他の複数の連邦機関が米国のウラン供給量の20パーセント以上をロシアの原子力エネルギー大手企業に販売することを承認し、その取引の少なくとも一人の関係者がおよそ235万ドルを政治家のための財団に献金したのである。

 その見返りとして、日本の新政権に圧力をかけて、〈ハイパーボリア〉関連の国家事業にロシアの会社が関わり合うことになったらしい。

 そして、日米中露という大国四つが関わることになったため、日本の国家プロジェクトとしての色合いは薄れ、各国の思惑が絡み合い、なんと〈ハイパーボリア〉の所管は政府や経済産業省ではなく東京都にまでグレードダウンしてしまうことになる。

 一月前、関西の仏凶徒が都知事選挙にちょっかいをかけてきたのは、結局、この〈ハイパーボリア〉絡みで東京都の行政機能をマヒさせ、仏凶徒と〈八倵衆〉のために資するためだったというのだから驚きだ。

 おそらく、彼らもここを攻めるつもりだったのだろう。

 今の僕たちのように。


「……いいかい、事態は変わった。まだ秋の星辰のタイミングがこないというのに、〈ハイパーボリア〉内のC教徒もヨグ・ソトト教団員も動き出した。予想はしていたとはいえ、少年の出番が早まったのは残念ダヨ」

「ええ、まあ今日か明日の可能性はあると思っていました」


 結局、今日中に御子内さんと会わなければならないというのは決まっていたのだろう。


「―――君の任務は簡単だ。〈ハイパーボリア〉の最下層まで赴き、その〈銀の鍵〉を使うことだネ。ルルイエの海神も多次元の邪神も、すべて出し抜いて、やるべきことをやりたまえ。例えそれが人類を捨て、御子内たちを裏切ることになろうとも、だ」

「わかっています」


 僕はカバンの中にしまっていた三角定規みたいな形状をしているが、「鍵」を取り出した。

 緻密そのものの意匠が施されていて、値段もつけられそうにない高価な工芸品のようだったし、一度見たら忘れることはできない幾何学模様をしていた。

 これを使うのが僕の使命だ。

 ただし、ララさんも〈S.H.T.F〉のみなさんも知らない別の依頼については黙っていた。

 とりあえず、僕はするべきことをするだけだから。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る