―第80試合 邪神戦線 1―
第633話「京一を待つものたち」
「最上階までの直通のエレベーターはまだ開通していないんです。45階で一度降りてから、別の棟のエレベーターで70階まで上がります。そこから上は階段をつかわなくてはなりません」
「未完成だからね」
「なんでも屋上の部分だけを先に作っちゃったみたいです。春にはほとんど出来上がっていたって姫さまが言っていました」
「……まあ、そうだろうね」
このビルを将来的に都庁よりも高くしようとした理由は様々だが、その後押しをした団体の一つは間違いなくその屋上部分を欲していたのだ。
他のテナントなど興味はなく、屋上部だけが必要だったという訳である。
「屋上へと続く最上階のあたりには姫さまが結界を張っていますので、許可を得ていない人は誰も通り抜けられないようになっています。巫女のお姉さんでもたぶん無理だと思います」
「そっか。さすがは高層建築の伝説の主だ。君のお姫様はさすがだね」
「はい。姫さまは凄いんですよ」
かつてこの男の子と天守閣を棲家とする妖怪の問題に僕と御子内さんは巻き込まれたことがあった。
だが、この子と妖怪は相思相愛の関係になっており、その真心を感じ取った御子内さんは悪事を働かないことを条件に見逃してあげたのだ。
その妖怪がこのビルの最上階に結界を張り、誰も寄せ付けないようにしていてくれる。
僕の依頼だった。
分福茶釜や〈犰〉とともに僕が味方として拝み倒して助けてもらった妖怪の一体である。
彼女の力ならばそう易々といかに〈五娘明王〉であったとしても突破はできないだろう。
ただ、巻きこんでしまってすまないということだけは重しとなって心に残っていた。
「大丈夫です。ぼくも姫さまもいつかはお兄さんに恩返しをしたかった。それが今日だったんだと思います。それにぼくの姫さまは凄いんですから」
惚れた女の人を自慢して男の子は笑った。
それを浮かばせたものを羨ましいと思わせてしまうような、そんな微笑みであった。
あれから一年程しか経っていないが、この子はきっと一生を幸せに生きられる。
この世界が続く限り。
そうあって欲しかった。
「……上には?」
「日焼けした巫女のお姉さんたちが待ってます」
「そっか。じゃあ、大丈夫だ。―――健司くん。もし、僕を追って他の人が来てもすぐに譲ってくれてもいいよ。〈オサカベ〉もね」
「でも、それじゃあ……」
「いや、もうすぐに追ってこられる人たちはいないから。僕もすぐに出るしね」
すると、健司くんは一転して心配そうな顔をした。
僕を気遣ってくれているのだ。
細かいことは何も話していない。
ただ、ここ数日、このビルの最上階を〈オサカベ〉の結界で誰も近寄れないようにしてくれと頼んだだけだ。
夏だとはいえ平日のビルの工事現場全体に誰もいないのは〈オサカベ〉ではなく別の団体の力なんだろうけど。
「心配しなくていいよ。ちょっと段取りが変わっちゃっただけで、いつもの僕らの妖怪退治だから。御子内さんは来れないけれど、僕だけでなんとかできるからね」
「……お兄さんは普通の人なんだよね? どうして一人なの?」
「話せば長くなるけれど、簡単にいうと僕だけの方がやりやすいってことかな。パーティー組むよりもソロプレイ向きのシナリオってことだよ」
うん、わかりやすい例えだ。
マルチプレイゲームではなく、キャンペーンモードのようなものという意味で。
健司くんには難しかったらしく、首をひねっている。
帰ってきたらこの子にもギアーズ・オブ・ウォーを薦めてあげよう。
最近、御子内さんもやたらと上手になっているのでチーム対戦もできそうだ。
「意味、わかりません」
「そのうちわかるよ」
僕は彼の肩をぽんと叩いた。
頭を撫でるのはもう男にすることではないと思ったからだ。
この小さな彼はきっと見事な奴になるから。
「今日はありがとう。じゃあ、行くね」
「お兄さん―――ご武運を」
「はは、ありがとう」
およそ小学六年生のいう台詞ではなかった。
今の僕には相応しいけれど。
「〈オサカベ〉姫と仲良くね」
僕は彼が案内してくれた階段を昇って、最上階から屋上へと向かった。
◇◆◇
屋上に出ると、風がやや吹いていた。
強すぎるということはない。
特に屋上の中心部に着地しているあの大きな三枚のプロップ・ローターという回転翼がエンジンと共に固定主翼の両端に備えた威容をもつ機体にとっては。
少し前にエラブ島という離島まで〈護摩台〉を運んできてくれた垂直離着陸機―――オスプレイであった。
それが二機、ひっそりとカモフラージュ用らしい網をかけたまま停止していた。
間近で見ると本当に大きい。
これが二機も着陸している光景はなんとも興奮するものだった。
「……でっかいなあ」
「やあ、来たかネ。こっちだ、少年」
オスプレイの脇に大きな仮設テントが建てられていて、そこからおかっぱ頭の褐色の巫女が顔を出した。
神撫音ララさんだった。
〈社務所・外宮〉という〈社務所〉とは微妙に外れた外郭組織のリーダーという御子内さんたちの先輩だ。
僕はいつまでたっても好きになれない人である。
おいでおいでをしているので近づいた。
テントに入れということなので、中にお邪魔する。
「おお、来たな、坊主」
「本当に来やがったぜ、小僧が」
「ボーイ、久しぶり」
中には十人ぐらいの黒い戦闘服を着た体格のいい男の人たちがいて、僕に対して笑顔を向けてくれた。
全員が全員、獰猛な虎のような笑顔で、こんな出迎えをされるならヤクザいっぱいの暴力団事務所の方が百倍怖くない。
もっともこちらに対してやたらと親しそうなのは、僕がある意味では彼らの弟子にあたるからだろう。
でなければ、もっと恐ろしい殺気をぶつけられていたかもしれない。
「お久しぶりです、みなさん」
「なんでえ、三日前にも訓練したばかりじゃねえか。改まってんじゃねえよ。なんだ、本番前に仕上げと行くか? 俺らはそれでもいいぜ」
「おい、ホーク、やめとけよ。せっかくリラックスできたのにここで緊張させてどうすんだ。小僧の本番はもう少しなんだ。今は楽にさせておけ」
「俺はジョークで坊主をにこやかにさせてやろうとしているだけだ。あったま堅いなあ、一尉は」
「……階級で呼ぶな。俺は〈S.H.T.F(
「わお、自衛隊のエリートも砕けたもんだ」
「そういうホークだってSATじゃないか。警察にいていいのかわからん人材だけどな」
「ほっとけ。おめえら、わざわざ表向きは内緒にしてんだからばらすなよ。なあ、坊主」
ホークさんは別に鷹のように鋭い顔つきをしている訳ではない。
単にソフトバンクホークスのファンなだけだ。
小さいころからあぶさんに憧れていたらしい。
だが、この陽気なおじさんはいざ狙撃となったら本当に鷹のように鋭い眼差しでターゲットを射抜く怪物的な狙撃手であるのだ。
明るく見えるのは
僕にとって厳しい
この人も恐ろしく強い。
ここにいる人たち―――〈S.H.T.F〉の中でも最強だろう。
基本的にララさんがいないときの指揮をとるのはこの人だということだ。
確かにリーダーシップをとりやすいタイプといえた。
他の十人はどちらかというと職人に近く、指揮する能力というのはあまり高くないから、自然とタイガーさんが仕切らざるを得ない。
ただ、この二人以外にもテントの中にいる〈S.H.T.F〉の隊員はすべてが優れて秀でた兵士ばかりであり、銃弾が効く相手ならば並みの妖魅では歯が立たないぐらいである。
〈社務所・外宮〉が日本中からかり集めた精鋭中の精鋭だ。
もし、媛巫女、〈八倵衆〉がいなければ日本で最強の退魔部隊といえることは疑いの余地がない。
で、どうして僕が彼らとこんなに親しいのかというと……
「おい、おまえたち、いつまでも少年とじゃれているんじゃないヨ。そいつとは打ち合わせがあるんだから」
「「Yes、マム!!」」
全員が同じ台詞を唱和する。
彼らにとってララさんは指揮官であるのだ。
どんなに年下で女の人であったとしても、命令には絶対服従する義務がある。
もっとも階級と立場だけでこの猛者たちをララさんが従えている訳ではない。
彼女にはそれを納得させるだけの武力もあるのだから。
「よし、では始めよう。パンダ、さっきまでの状況の確認を少年にしてやりたまえヨ」
「Yes、マム!!」
パンダさん―――本来のネームはジャイアントなのだが(すでに話の流れでわかると思うが、この人は巨人ファンだ)、ジャイアントだと動物ではないので、「ジャイアントパンダ」略して「パンダ」というコードネームにされた可哀想な人だ。
おかげで比較的丸い貌がパンダに見える。
なお、眼が小さくて殺し屋風なのでさらにパンダそのものなので、みんなに死ぬほど揶揄われている。
「―――ボーイ、何度も検討しているからわかっているだろうが、これが〈ハイパーボリア〉の図面だ。どうだ、頭に叩き込んでいるな」
「はい、頭痛が出るほど」
「よし、ならばまず簡単なおさらいだけをするが、そのあとで今の〈ハイパーボリア〉がどういう状況になっているかを説明する。決行する作戦については、次にタイガーがするから質問は考えておけ」
「はい」
ざっとテーブルの上に広げられたのは、巨大な工場のような施設の図面だった。
地図に書かれた名前は〈ハイパーボリア〉。
それが僕がこれから向かうことになる地獄の名前であった。
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