第632話「希望の基地の終焉」



 突然、猛烈な震動と銃声が響き渡った。

 壁や天井が小刻みにブレ始め、頭上の鉄骨からゴミと埃が落ちてきた。

 いくつかの照明が激しく点灯する。

 何人かが悲惨な形相で壁際ににじり寄り、きょろきょろと見渡してから叫んだ。


「なんだ!? 地震か!?」


 関田医師も立ち上がる。


「先生、落ち着いてください。〈ハイパーボリア〉は海の上なんですよ。地震なんてありません。あるとしたら、―――津波です」

「もっとやばいだろうが!? おい、トシさん、なんだかわかるか」

「先生、気持ちはわかるが座った方がいい。今のは、俺の記憶が正しければ……銃の音だぜ。しかも、マシンガンとかの類いだ」

「マシンガンって……おい、どういうことだよ!!」

「知らねえ!! 俺にわかんのは、この〈ハイパーボリア〉がやばい状況かも知れねえってことだ!! ソータ、ユーヘイ、いるか!?」


 トシに呼ばれて顔を出したのは、ニメートル近い長身でBブロックで最も背の高い平井と坊主頭のユーヘイ―――徳田だった。

 どちらも鈴木寿郎の班で長い間組んで仕事をしている。

 トシからすると弟子の様な若者たちであった。


「なんすか、トシさん」

「おまえら、Bうちの連中をこっちまで集めろ。下手に勝手に動き回ると何があるかわからねえ。どのみち、出口は魚ヅラの奴らに塞がれてんだから、みんなやってくるだろ」

「でも、おやっさん。食堂ここには幾らなんでも全員ははいれねえぜ。三分の一もいればキツキツだろ」

「だったら、余っているやつらには自分の部屋で鍵でも掛けて閉じこもっているように言え。とにかく何が起きているかわからねえんだ。固まっている方がいいだろう」


 と、トシが言うと、再び、今度ははっきりと上からタタタタタタという銃声が聞こえてきた。

 食堂に集まった二十名の誰もがはっきりと悟った。

 ここはまるで戦場だと。


「おやっさん、今の……」

「たぶん、間違いねえな。上の方―――上部甲板からAブロックあたりで銃をぶっ放しているバカがいる」

 

 すると、関田医師が言った。


「もしかすると、さっきの怪我人を殺した奴か」

「かもしれねえ」

「いや、あの男が殺されたのはおそらく拳銃だよ。上でぶっ放されているサブマシンガンのものだから、たぶん別人だ」


 全員の視線が発言者に向けられた。

 看護師の鉢本いすゞであった。

 女性の発した内容とは思えないものだったからだ。


「おめえ、なんでサブマシンガンだとわかる?」

「あたし、24トゥエンティフォーとか沈黙シリーズのファンでね。銃の音とかには詳しいんだ」

「……シュートといい、24といい、女らしくねえ奴だな。まあ、いい。なんでそう思った?」

「9mmパラは拳銃だけでなくてサブマシンガンでも使えるけど、さっきの遺体の様子を見るとサブマシンガンを至近で撃たれたにしては弾の数が少なすぎるし、全弾命中している。これは機関銃によるものではないと断定できるよ」

「そうかい。もういいぜ」


 不機嫌な様子で話を打ち切ったものの、いすゞの意見をもっともだとトシは判断した。

 彼にもそのぐらいの推測はできたからだ。


「て、ことは拳銃とサブマシンガンが暴れているってことか」

「それだけじゃすまねえだろ、おやっさん」


 徳田が言った。


「この変な―――銃声?みたいな音がしてんのに、バリケード作っている魚ヅラの連中、まだ塞いでるんだぜ。まるで、誰かに命令されて俺たちを閉じ込めているとしか思えねえ」

「なんのためだよ」

「……考えられるとしたら、俺らに通信させねえためだろう。本部と」

「―――まさか」

「殺しを隠蔽しようってことかよ」

「その程度だったら、まだマシなんだけどよ……」


 そのとき、またも血まみれの作業員が食堂に飛び込んできた。

 ひと目でさっきまでとは必死さが違うということを皆が理解した。

 

「逃げろ!! 軍隊が俺たちを殺そうとしていやがる!! みんな、逃げるんだ!!」


 男たちはさすがに顔を見合わせた。

 すぐには意味がわからなかったのだ。

 今までとは違うとはわかっていたとしても、それがどの程度の脅威であるのか想像が及ばなかったのだ。

 

 そんな非現実的なことがあってたまるのか。

 ただの酔っ払いの戯言ではないか。

 彼らは大人の常識を持ってはいたが、そんな荒唐無稽なお話を信じてしまうほど想像力豊かな子供ではなかった。

 だから、何もしなかった。

 正確にいうのならば全員が棒立ちのまま突っ立っていた。

 唐突にすぐ近くで銃制が轟き、血だるまで警告を発した作業員が踏まれて死んだカエルのような断末魔を発して吹っ飛んだ。

 頭上のそう遠くないところで爆発音。

 廊下の奥からタタタタという人を殺すための武器の音が聞こえ、採光用の窓に穴が開いた。

 黒い作業服とガスマスクに身を固めた男たちが、明らかに本物とわかる銃器を片手に食堂に飛び込んできた。

 詳しいものならば即座に見抜いただろう、その銃器の名前はQBZ-03、又の名を03式自動歩槍と呼ばれる中華人民共和国の正式採用小銃である(歩槍プーチャンとは「小銃、自動小銃」の意味である)

 前採用の95式自動歩槍からブルパップ式を取り払って採用されたやや古いスタイルであるが、性能自体は格段に上がっていて、最初は人民解放軍のみだったが、最終的には全国に普及した小銃である。

 QBZ-03を手にしたものたちには殺人への禁忌はまったくなかった。

 自分たち以外の人影に対して、人差し指を簡単に引いた。

 槍の穂先の様な発射炎フラッシュが膨れ上がり、食堂にいた者たちを薙ぎ倒した。

 貫通した高速弾頭が肉をもぎ取り弾け飛ばす。

 突然の理不尽な死に作業員たちは為すすべもなかった。

 銃を持った男たちはたったの三人。

 あまりのことに恐慌状態の彼らには反撃する狂気さえ起きず、ただ逃げまどうしかなかった。

 入り口はたった一つであるので、反対側の壁にレミングのようにぶつかっていく。

 狭い室内を殺戮の嵐で血に染めた男たちは悲鳴を聞きつつ、弾が切れたら冷静に弾倉を変え、再び生き残ったBブロックの作業員たちを抹殺しようとする。

 すでに半数が完全に殺害され床に転がっていた。

 無残な光景だった。

 このまま全員が死に絶えると思われたとき、襲撃の瞬間に咄嗟に床に伏せ、テーブルの影に隠れていた二人が同時に飛びかかった。

 いかに強力な武器であっても弾倉チェンジマガジンセレクターをしている間は無防備にならざるを得ない。

 鈴木寿郎は手にしていたスパナでガスマスクごと顔面を砕き、鉢本いすゞの下から抉る蹴りは急所を完全に壊した。

 二人の奇襲に仰天したのか、最後の一人は慌てて替え終わったQBZ-03をいすゞに向けたが、その腰に組みついてきた平井のタックルによって潰される。

 背が高く大柄な平井に身体ごとぶつかられたら、同じレベルの体格でもない限り持ちこたえられるはずがない。

 襲撃者は背中から床に叩き付けられる。

 彼らがそこから起き上がることはできなかった。

 なぜなら、食堂にいた男たちが寄ってたかって殴りかかったからである。

 ある意味でパニックといっていい反応だったが、それもこれも自分の命を護ろうという緊急避難的な行為なのだから仕方がない。

 なんとか作業員たちの凶荒状態が鎮まったときには、小銃を持つていた男たちは死んでいないのが不思議という有様に成り果てていた。

 慌てて怪我の具合を診に医師と看護師が近寄る。

 だが、その間も頭上ではこの場と同じようなタタタタタタという音が続いていた。


「……まさか、マジで戦争なのかよ」


 男たちは恐怖のあまりに震えた。

 信じられなかった。

 いきなりこんな恐ろしい状態に叩き落されたことに反応ができなかったのだ。

 いや、反応のしようがなかったのだ。

 それほどまでに異次元の状況であった。


「俺たちの〈ハイパーボリア〉が……戦争になっちまったのかよ……」


 ……正確には違った。

 この施設は彼らの夢の未来基地などではなかったのだから。

 彼らは知らなかった。

 日本政府が東京湾に設置したこの国の将来を担うかもしれない天然エネルギー採掘のための施設の正体を。

 ここは地獄の門を開けるための煉獄であったということを。

 そして、煉獄を維持するための典獄として選ばれた者たちが、彼らを除いてみな悪鬼羅刹の怪物たちであることを。

 まだ、彼らは知らなかったのである……

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