第631話「裏切りの舞台へ」



 砂鉄に模した黒い火薬が爆発する寸前、藍色はその正体に間一髪気がついた。

 だが、爆発というものは扇状に広がる。

 南部鉄器の茶釜の内部にすっぽりと潜り、亀のように隠れられる分福茶釜とは違い、完全に爆発の煽りを受ける。

 いかに彼女でも爆発の中心にいたら無事ではいられない。

 ただの一瞬でこの場を離脱しなければならない。

 しかし、走っても飛んでも間に合わない。

 では、どうするべきか。

 藍色は閃いた。

 両手のパンチを分福茶釜にぶつけたのだ。

 ボクシングに双拳はない。

 だから、ボクシングではなかった。

 しかし、最も彼女が信頼できる武器は二つの拳と金剛夜叉明王の電撃である。

 その二つに賭けるしかない。

 拳が南部茶釜の金属部分に触れた瞬間、彼女はすべての雷撃を変換し、茶釜と反発する磁気を作りだし、その力を利用して跳んだ。

 あまりに原始的なリニアモーターの仕組みを用いたものであり、茶釜自体が磁気を帯びていなければただのアイデア倒れで終わったほどのいちかばちかの行動だった。

 しかし、この咄嗟の思い付きが藍色の命を救った。

 火薬が完全に爆発しきる寸前に中心部から離脱することができたのである。

 当然、無傷とまではいかないが前面に張った〈気〉の防禦でなんとか凌ぐ。

 もし、この爆発に別の何かが仕掛けられていたらさすがの彼女もお陀仏だったろうが、そこは百戦錬磨の強者。

 持って産まれた運も並大抵のものではなかった。

 顔を覆った十字ガードが黒ずんだだけで、汚れさえもなく逃げ切ったのだ。


『なぬ!!』


 あまりのとんでもなさに分福茶釜までが唖然としたほどである。

 なにをやられたかさえさっぱりだからだ。

 だが、実際問題として、彼の渾身の騙しを噛み破られたのは事実であった。


『ちっ、やはりバケモノだな、姐御たちは!!』


 妖怪に言われたくないであろうが、その指摘通りに猫耳藍色をはじめとする〈社務所〉の媛巫女たちは人間離れしていることにかけては比類がない。

 罠を切り抜けたと確信するや否や、もう一度大地を踏みしめて、黒色火薬の煙が充満した地点に再び躍り込む。

 黒煙のせいで視界はない。

 だが、巫女たちには〈気当て〉という〈気〉を発して敵の位置を探る技がある。

 だから何も問題ない。

 右のパンチを叩き込んだ。

 いきなりのストレートに分福茶釜が怖気ずく。

 茶釜アーマーはこの程度の拳など意にも介さないが、それでも反撃をされたという驚きは彼の動きを鈍くさせた。

 やはり敵に回すととんでもない連中だ。

 一人一人がまさに一騎当千の万夫不当の怪物揃いである。


後楽園ホールあんときも洒落にならなかったが、まさかこれほどとは……)


 東京を巣とする妖怪の中でも間違いなく上位に位置する実力の持ち主であるはずの分福茶釜が、ここまで追い詰められるなど普通ならばあり得ない。

 あのときに彼を仕留めたのは覆面の巫女だったから、相性の問題とも思えなかった。

 つまり、この猫の巫女を始め、どいつもこいつもまともではないのだ。


『まったく、ワシの兄弟きょーでーも面倒な奴らに好かれてやがるぜ』


 自分を棚上げして分福茶釜はぼやいた。

 このバケモノじみた戦闘力の巫女たちは、揃いも揃いって彼の兄弟を止めようとしているのであり、その理由は多分情の問題だろう。

 悪女の深情けというか、巫女の鬼情けというべきか、どのみちまともにやっていたらいかに京一であっても逃げ延びることはできなかった。

 分福茶釜を初めとする足止め役がいなければならない理由ははっきりしているのだ。


『ちょいな!!』


 もう一度紙をばら撒く。

 この紙には特殊な幻法が施されており、何倍もの体積を持つものを包み込むことで収納できる札なのだ。

 現われたのは、Ak-47アサルトライフルであった。

 人間の銃器など本来ならば妖怪が使うのはタブーとされているが、そんなことを気にしている余裕はない。

 のだから。

 しかし、さすがのバケモノ巫女でも銃弾の雨あられを喰らえば出足程度は止められるだろう。

 このとき、すでに分福茶釜は勝つことを放棄していた。

 とはいえ諦めた訳ではない。

 捨て石になることを決めたのだ。

 地の塩、世の光―――少なくとも升麻京一に与することがそのためになるということを錆びついているとはいえ野生の勘で感じ取っていた。

 だから、タヌキの誇りである幻法にさえ拘らなかった。

 

 タタタタタタタタタタ


 Ak-47の古めかしい連射音が普通の住宅街の一角に流れる。

 どうせ巫女たちによる人払いの術が徹底されているはずだ。

 ど派手に行かせてもらおう。


『殺ったりゃあああ!!』


 ヤクザものらしい絶叫とともにアサルトライフルの引き金を一気に絞る。

 星泉も顔負けの情け容赦のない全弾発射であった。

 快感まで感じそうな射撃。

 この距離であったのならば、確実に死人が出ていておかしくない。

 しかし。


『―――やっぱり無駄かよ』


 煙が晴れたところに猫耳藍色はいなかった。

 奇跡的な勘を頼りに左手を振った。

 ちっ

 かすかに掠った。

 それだけが彼の必死の戦いに与えられた殊勲であった。


「金剛夜叉明王の菩提心に目覚めているときのわたしに命中させるとは、さすがは妖狸族の若頭です」

『ほっとけや。どうせワシ程度ではここまでだ』

「しばらく口を利けにゃくにゃります。言いたいことがあるにゃら今のうちにどうぞ」


〈三代目分福茶釜〉は一言だけ答えた。


『ふん、ワシらの負けだ。だが、あんたらも兄弟にはもう追いつけん。アヤカシもんは約束だけは守るものだ』

「お見事」


 巨大な落雷が発するような轟音が鳴り響き、たった一瞬で分福茶釜の意識は刈り取られた。

 自分を防護する茶釜アーマーの中央、最も硬い部分を貫かれたうえ破壊されたことだけはなんとか理解したがそこまでだった。

 死なずに済んだのだけが勿怪の幸いとでもいうべきやられ方であった。


「猫耳流交殺法〈雷光牙〉」


 かつてどんな攻撃でも受けて見せた盲目の仏凶徒・〈八倵衆〉一休僧人をもワンパンチKOした藍色の最強の必殺技を喰らい、分福茶釜は撃沈した。

 彼の敗北とほぼ同時に他の三匹の妖怪軍団も散った。

 おそるべきは〈社務所〉の媛巫女か、彼女たちを相手にここまで善戦した妖怪たちか、それともこの戦いの原因となった少年か。

 ただし、言えることはたった一つだ。


 この四つの激闘はこれから始まるさらなる盛大な戦争の緒戦にすぎないということを。


 学生にとって夏休み最後の一日はまだ終わらない。


 それが終わるとき、人類は滅亡してしまっているのか知れないのであった……






         ◇◆◇


「あれだね」


 僕は西新宿の三丁目でタクシーを降りた。

 すぐ目の前にまだ工事中の巨大な現場がある。

 もうすぐ―――といっても今年が2016年なので、二年後の2018年に超高層ビルが完成する予定だ。

 今日は何故かほとんど現場の作業員がいない。

 おそらく人払いされているのだろう。

 普通、この規模で一日でも進捗が遅れれば何千万も損害が出るのだから臨時休業のはずはない。

 聞いた通りの入り口から中に入ると、そこに一人の男の子が待っていた。


「京一のお兄さん」

「やあ、健司くん。面倒を頼んでごめんよ」

「いいえ、ぼくはかまいません、それに姫さまも、お兄さんと巫女のお姉さんにはお礼がしたいっていって張り切っています」

「ありがとう」


 前にある事件で僕と御子内さんが助けた男の子だった。

 少し時間が経ったからか随分と男らしくなっている。


「上で姫さまが結界を張っているので、お兄さんがそこまで辿り着けばもう誰も追ってこれません」

「そっか。ここの作業員たちは?」

「それはあの地黒のお姉さんたちが」

「やっぱり〈社務所・外宮〉が全面協力してくれているのか。まったくあとでみんなと喧嘩になっても知らないから」


 僕は上を見た。

 信じられないほど高いビルだ。

 これが完成したら、338m、77階の都庁を超えるビルになる。

 ちなみに都庁は243.40mなので100mほどの差ができることになっていた。

 僕の目的地はここだった。

 正確にいうと、このビルの屋上だ。

 屋上で僕を待っているものがいる。

 御子内さんに毒を盛り、みんなを敵にして辿り着いたのがここだった。

 

 そして、僕の裏切りの道はここからが本番となる。


 許されることのない裏切りの道の。

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