第630話「妖狸族の若頭」
分福茶釜は、纏っている茶釜の鎧のおかげで藍色の通常のパンチを完全に防ぐことができる。
全身を丸い茶釜ですっぽりと覆ってしまうせいで、足がよたよたとしてしまい、動きは鈍くなるのだが、他の巫女と違い足技のないボクサー型ということでそちらの下半身のガードはさほど考えなくていい。
もともとの基礎となっている猫耳流交殺法も表技と呼ばれる手のみで戦う体系であり、そちらの攻撃もなさそうだった。
問題は、研究済みの〈震打〉と、名称だけは伝え聞いている〈雷光牙〉と〈鯰牙〉の二つである。
ともに守護神である金剛夜叉明王の使う
彼にとって分福茶釜が友達であるように、猫耳藍色も莫逆の友なのだ。
いかに足止めを依頼したとはいえ、友達の秘密の核心を売ることはできない。
真剣勝負に挑む闘士にとって必殺技の秘密が広がることは死活問題だからだ。
すでに広まってしまっていて手遅れの情報とは比べ物にならない。
(名前がわかっているだけでも御の字かよ。……さて、使われている字からすると、〈雷光牙〉ってのは稲妻系の早いパンチか雷自体が飛び道具とかいう感じだな。〈鯰牙〉は“ねん”が鯰って話だから地震でも起こす技か。さて、どちらも原理が電気となるとワシの茶釜の防電コーティングを突破されるおそれがある。厄介だぜえ)
江戸前の妖狸族は、タヌキの妖怪でありながら妖術に最先端の科学技術を摂りいれることも意に介さない。
使えるものならばむしろニンゲンの発明の方が有効だとわかれば、即座に乗り換えることすらできる頭の柔らかい妖怪一族である。
実際、分福茶釜がガードに用いている彼の一族の代名詞ともいえる茶釜は、南部鉄器から配合を変えてさらに硬質の金属へと替えられ、軽量化すら果たされている。
さらに、塗装には何十もの薄いコーティングをすることで防弾・防音・防水効果をあげ、さらに音波吸収膜を備えることで幾つかのセンサーすら掻い潜ることができた。
ただの不格好な茶釜ではないのだ。
分福茶釜はまず接近してからその咥内から真っ赤な火焔を吐いた。
火を吐くタヌキなどは現実にはいない。
だが、彼は化けダヌキだ。
幻法を使い幾らでも火を吐ける。
藍色はウェービングをして躱した。
本物の火の恐れもあるから、下手な防御と回避はできない。
代わりに右に回り込み、左のボディーを突き立てる。
グローブは分福茶釜の金属鎧に跳ね返される。
金属を殴った痛みはない。
〈気〉で覆った拳はその程度でダメージを受けることはなかった。
ただし、ただのボクシングは通用しないことだけが一撃でわかる。
自明の理ではあったが、とりあえず試したみたのだ。
普通の薄手の金属ならぶちぬくこともできる藍色のパンチが効くかどうかを実験してみただけだ。
やはり効かないとわかったら、戦術を変えなければならない。
間合いを離して、背後に回り込み、猫パンチの構えをとる。
〈震打〉のための準備だ。
この技には一瞬の溜めが必要だが、分福茶釜の反応速度ならばいけると判断していた。
伊達に何度も戦いを目撃していない。
横や背後に回られたとき、分福茶釜は茶釜の鎧の防御力に頼り切りわずかに反応が遅れるのだ。
それは猫パンチ
あまりにも簡単だが、これでいけると藍色は踏んでいた。
今日はずっと悪い胸騒ぎがしていて、これから先にも何か善くないことが起きる予感がしていたので、体力の消費をできる限り防ぎたかった。
震動を相手の皮の内部に叩き付ける〈震打〉であればこの茶釜も無意味になると考えたのである。
しかし、その目論見は外れる。
分福茶釜の丸く巨大な尻尾が横に薙いだのだ。
かつて〈怪獣王〉と戦った記憶のある藍色だからこそ、この逞しい尾の一撃を受けきれた。
それでもニメートル近く飛ばされる。
運がいいことにダメージはなかった。
攻撃のためというよりも藍色を引き剥がすための一撃だったのだろう。
振り向いて反応できずとも獣らしい防御策といえる。
『猫の姐さんの動きは知っているぜ。そう簡単に背中は殺らせねえ』
「さすがは〈三代目〉ですにゃ。もう少しびっくり仰天してひっくり返るものだとおもっていました」
『……タヌキが素っ頓狂なだけの生物だとおもってねえか、あんた』
「わたしは猫にゃもので」
『確かに相いれねえな。タヌキと猫とではよお!!』
またも動いたのは分福茶釜だった。
今度はどこから出したのか、手にしていた紙の束をひっつかんで数枚をばら撒く。
藍色は警戒した。
紙から連想するものは、“札”である。
札は妖術・神通力を使うのに最適な道具立てだ。
この行動がタヌキ得意の目くらまし―――幻法だと見破ったのだ。
後楽園ホールでの団体戦でも〈火まんじ〉という火でできた卍に飛び乗って戦うという離れ術を見せた分福茶釜である。
これも何かの幻法の仕掛けである可能性は高い。
そして、それは的中した。
『幻法〈砂鉄陣〉!!』
ばら撒いた紙切れは黒い砂に変化した。
それはタヌキを中心にして黒い円の模様を作る。
(札を変化させた? 違う。札の裏からあの黒い砂が出てきたんだ。そして、彼は〈砂鉄陣〉といったということはあの黒いのは砂鉄ですか?)
技の名前から情報を読み取るということは、分福茶釜だけでなく藍色も、いや真剣勝負を行うものたちならば皆がやることだ。
少しでも敵の情報を拾うことが時として命を救うことになるということを彼ら彼女らは心身に叩き込まれている。
だが、今回ばかりはその一時の推理の時間が藍色の隙をつくってしまった。
彼女は敵が狐狸の類いであることを失念していたのだ。
なおかつ、この眼前の敵が化けダヌキ―――妖狸族の若き頭であることも。
『遅いぞ!! 猫の姐御!!』
分福茶釜の撒いた黒い砂が一気に爆発した。
タヌキが撒いたものは砂鉄ではなく、黒い火薬であったのだ。
騙し合いにおいてやはりタヌキは素直なニンゲンを上回るのであった。
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