第621話「刹彌皐月VS八ッ山のタヌキ」
『シュポオオオオオオーーーーーーーー!!』
品川周辺を縄張りにしている妖狸族である八ッ山のタヌキは、一族中でも群を抜く巨漢である。
マッチアップした刹彌皐月と比べれば、上背で五十センチ、体重では二倍以上の差があった。
とはいえ出足は鈍重であり、動きは精彩に欠けた。
機動性に勝る皐月からしてみれば、なんということのない相手のはずだ。
だが、皐月の得意とする刹彌流柔の相手としては相性の悪い相手であった。
(やばいよなあ。確かに京さまのアドバイス通りなんだよ。うちはあまりに重い相手は投げられないんだよねえ)
敵の殺意を視て、殺気を掴んで投げるのが刹彌流だった。
殺気を出す相手ならばほとんどどんな敵でも触れられることなく斃すことのできる超・古武術には弱点が二つほどある。
一つは殺気のない相手―――動く死体や機械には通用しないということ。
このせいで皐月はアメリカで深手を負わされたことがある。
対策としては武器を持つなり、刹彌流に拘らない戦いを模索する必要があった。
皐月が〈社務所〉の訓練場であまり勝率が高くなかったのは、完全にこの弱点のせいであった。
殺気を込めずに拳を突きだす、「無意の拳」という武術家の奥義に近い高等技術を使えるものがやたらといたせいで、訓練の最期にはほとんど刹彌流は仲間に効かなくなっていたのだった。
ない袖は振れないとばかりに、他の格闘技、特に必死で柔道をやらなくてはならなかったのが、のちの彼女の成長につながったのではあるが。
もう一つの弱点は、あまりにも重いものは投げられないということである。
刹彌流柔は殺気を投げる技である。
〈気〉がそうであるように、当然「殺気」にも重さは存在しない。
ゆえに掴んでしまえば自在に投げることができるのが、刹彌流なのであり、殺気さえ出せればどんな巨漢でさえ触れられる前に倒せる。
しかし、殺気を塊として捉えるため、あまりにも大きな殺気を放ったり、それが広範囲にわたったりする敵には投げきれないのだ。
対人としては効果的であったとしても、やはり致命的な限界があるというべきである。
刹彌流はもともと禁裏の警護のための技であり、同じように朝廷の退魔師としての来歴のある〈社務所〉には術理がよく知られていたことから、御所守たゆうはその欠点を皐月本人以上に熟知していた。
だからこそ、彼女に刹彌流以外を指導させたのである。
今回のように弱点を突かれた時に備えて。
「だけど、それをしてきたのが京さまというのが皮肉だよねえ」
刹彌皐月はバイである。
実のところ、男もいける口である。
〈社務所〉の媛巫女であるというブレーキがかかっているから処女性は保っているものの、その気になったら女だろうと男だろうとノンケだろうとすべて喰っちゃう雑食性であった。
そんな彼女だったが、升麻京一だけは少し特殊だった。
友達の想い人であるということは承知しているので、後腐れを怖れて手を出したりするつもりはない。
顔が好みという訳でもないし、性格も冷静すぎて可愛さがないので面白くない。
どこが特殊かと言うと、立ち居振る舞いがどことなく兄弟子に似ているのだ。
彼女の代わりに刹彌流の道統を継ぐことになる兄弟子に。
(うちの
皐月の兄弟子は、一言で紹介するのならば、殺人鬼の出来損ない、である。
「
父親もだいぶ問題のある男ではあったが、「
ただ、幾つか致命的な欠落があり、人殺しとして機能できなかった。
とはいえ、純粋に透明な殺意と濁った殺気をばら撒ける特異な性質の持ち主であり、そのポテンシャルを活かして刹彌流の内弟子になったという経歴の持ち主だった。
皮肉なことに、殺意を視る刹彌流は真性の殺人鬼との親和性が高い。
ゆえに刹彌流の後継者としては理想的な後継者として選ばれてしまったのであった。
逆に殺しの出来ない実の娘は家から追い出される羽目になった。
それが父親なりの愛情であったことを薄々勘付いていても、皐月としては少しだけ納得のいかない部分があったのは致し方ないところであった。
自分が家を出される原因となった兄弟子に似ているということが、升麻京一を皐月にとって特殊なポジションにしていたのである。
(……京さまは人殺しはしそうにないけれど、
皐月がいつから京さまと京一のことを呼ぶようになったのか、本人は覚えていない。
だが、それはあのただの少年に畏怖を覚えたときからだとは思う。
自虐も込めての「さま」付けなのである。
彼女の相棒であるヴァネッサ・レベッカは産まれもあるし、FBIに育てられたことから、いざという時に奮い立てるのは当然だ。
だが、升麻京一はただの高校生だ。
それがおかしい。
ただの高校生にできる以上のことを二年近くもやり続けてきていることをいぶかしく思わないはずがない。
今回のことで皐月もようやく理解した。
「彼を逃がすために妖怪たちが徒党を組んで、うちらに仕掛けてくるなんて―――やっぱり異常でしょ」
あの少年をただの高校生と侮ってはいけない。
うちの勘は正しかった。
あいつは「
『シュポオオオオオオーーーーーーーー』
目の前の八ッ山のタヌキが汽笛の真似とともに一気に巨大な蒸気機関車に変化する。
幻法〈偽汽車〉。
陸を走る巨大で獰猛な鉄の塊になったカエルからの殺意を視た。
予想以上に大きい。
蒸気機関車そのものと変わらない重量があり、どれだけ本物に近づいた変化の術なのかが窺える。
これでは刹彌流は意味がない。
最初から狙っていたというのだから、升麻京一は油断のならない相手だ。
「だが、京さまはまだ甘いね。ラブジュースなみに甘いし、おっぱいの先っぽなみに甘い」
皐月は構えた。
本来、刹彌流に決まった型はほとんどない。
常に自然体だ。
それを捨てて構えるということは……
「うちは刹彌流だけじゃないことを、教・え・て・あ・げ・る」
ちなみに色っぽさは欠片もないことはよく自覚していた。
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