第622話「殺気の裏表」



〈江戸前の五尾〉。


 自分たち〈五娘明王〉と同様に選ばれた妖狸族の猛者たちだということは知っている。

 とはいえ、皐月自身には〈五娘明王〉なんて呼ばれ方にも括りにも一切の興味がない。

 もともとフリーダムすぎる性格の持ち主であるからだ。

 思うに、実父であるところの師匠も自由さ―――というか身勝手さにおいては比肩する相手のいない男であったから、単に血筋だろうと皐月は結論付けていた。

 ただ、愛染明王という仏法の守護神の現代の依代が彼女だという結論だけを知っていればそれでいいことだと深く考えたりはしなかった。

 他の四人をみても、五大明王の化身だからどうしたとも考えていないようだし、特段増長することも偉ぶることもなかったので、どれだけ特別なのか想像さえもしなかった。

 逆に、現在敵に回っているタヌキたちのヤバさだけは感じていた。

 とてつもなく強い、ということだけは。

 勿論、報告書には目を通している。

 仕事に対して真面目に向き合わず、労働は恥だ、と公言してはばからない皐月だが、事前にいつか敵としてぶつかるしれない妖魅に関する過去のレポートだけは熟読するように心がけていた。

 使命感からではない。

 三年間、修行場で叩き込まれた妖魅との戦場における作法として、情報共有を無意識に叩き込まれているだけではあった。

 決して真面目ではない皐月であっても、敵の研究は怠らない。

 これが彼女たち〈社務所〉の媛巫女にとっては骨の髄まで叩き込まれた強迫観念にも似た生き方なのだ。


「幻法〈偽汽車〉。明治に鉄道が全国的に普及したときに、縄張りを荒らす奴らとの戦いだと挑んだ狐狸たちが編み出した術だったっけ。しかも、この八ッ山のタヌキの〈偽汽車〉はほとんど蒸気機関車そのものにまでなっていると来ている訳ね。妖怪って質量保存の法則無視したりするから面倒くさーい」


 後楽園ホールでの戦いでは、明王殿レイの〈神腕〉との正面からの激突によって巫女側が勝利している。

 だが、この〈偽汽車〉は明らかにパワーアップしていた。

 同じ近接パワー型のレイならばともかく皐月では勝てない。

 そして、大きさも兼ね備えていることから刹彌流では投げきれない。

 では、どうするか。


「愛染明王聖転弓は使うと疲れるからやりたくないので、別の手段を使わせてもらうよー」


 何も構えない状態から使うのが刹彌流だが、この術技だけは構えをとることが必要となる。

 右手首を左手で掴むだけではあるが。

 それだけでも不自由さを感じてしまうのが皐月の天衣無縫さではある。


『シュポオオオオオオーーーーーーーー』


 巨大な蒸気機関車が走り出した。

 幅員の狭い道をこんな大質量に通られたら普通なら避け切れるものではない。

 しかも、幻法とはいえほぼ実体と変わらない高密度だ。

 仲間ごと吹き飛ばされるかもしれない。

 それを避けるために、皐月は塀を駆けのぼってなんとかやりすごす。

 なんと躱されたとわかった瞬間に、八ッ山は一度幻法を解除し、反転すると同時にもう一度〈偽汽車〉を発動する。

 その間、ほんの数秒。

 かつては時間のかかった変化の時間が二秒までに時短されていた。

 明らかに読んだレポートから成長している。

 ただ鉄道の真似をしていた明治のタヌキとは違い、完全に個人との戦闘をするにも適したやり方へと進化していたのだ。


「二回目がすぐに勃つのって大事よん」


 構えを崩さず、しかし、本人にとって最大限の賛辞を贈る。

 図体に似合わない機動性を獲得していた。

 なるほど、京さまがうちを相手にさせた理由がわかる。

 よくまあ把握しているったら。

 蒸気機関車が跳んだ。

 本物には絶対にできない。

 幻だからこそできる奇想天外さだ。

 ニメートルを越す住宅の塀に立つ皐月を追って迫る蒸気機関車。

 幻以外にはありえないとわかっていても、実体に近いほど具現化している変化ともなると危険極まりない存在であった。

 皐月の眼に殺気が視える。

 刹彌流の使い手だけに見える色のついた歪みだった。

 普段ならば掴んで投げるところだが、八ッ山のタヌキのそれは大きすぎて何かをする前に轢き殺されてしまうのは予想できた。

 なんとか道路に逃れることで九死に一生を得る。

 かつて殺気のある妖怪にここまで防戦一方になることはなかった。

 人間相手でも、まさに達人レベルの相手でさえなければ皐月は無敵に近い闘士なのだから。

 そして、生きているものの放つ殺気に詳しい皐月だからこそ、わかることがある。


「まったく。うちを殺せる攻撃をしてくるくせに、殺す気はないってのがわかるのも面倒なものだねえ。……やりにくいし」


 苦笑しながらごちると、皐月は五本の指の先に必要な〈気〉が溜まったのを確認した。

 これからすることのためには十分な量であった。

 あまり気功術が得意ではない彼女だからこそ、全身からこれだけをかき集めるのも時間がかかったが、それだけの時間を稼ぐことは刹彌流にはどうということもない。

 肉体強化のための〈気〉さえも五指に集めたのだから、もし〈偽汽車〉の攻撃が掠りでもしたら大ダメージになるのをわかってのバクチである。

 だが、それでもいい。


 シュシュ ポポ シュシュ ポポーーーーーーー!!


 煙突が黒煙をぶち上げ、三度進行方向を変えて、しかも速度も勢いも落ちないバインバインと撥ねる〈偽汽車〉が追撃を仕掛けてきた。

 逃げ続けるにも限界はある。

 これ以上はさすがの皐月でも躱せそうもない。

 しかし、皐月は不意に笑いたくなった。

 戦いの最中だというのに。

 右手に溜めた〈気〉がこの攻防に決着をつけることができるからではない。

 やってくるD51の先端のぽっちに不埒なセクハラめいた感想を抱いてしまうという、実にどうしようもなくくだらないことのために。


「やっぱりシリアスには向いていないよねえ、うちは」


 そのまま右手を構えた。

〈偽汽車〉が黒い雷のように迫る。

 殺気を視て、さらに眼を眇めて、もっと奥を観る。

 皐月にしかわからない小さく白い光を発見した。

「コロシテヤル」とすべての生き物が叫ぶその後ろにある燻んだ心の色を。

 何かを殺すと決めても、誰かを憎みきっても、どうしても一欠片だけは残ってしまう小さな逡巡の曇った輝きを。

 それは慈悲という。

 悪しき心を加持して善因へと転換し、衆生に善果を得せしめる、愛染明王の化身だからこそ強く発現する慈悲の一片を見抜くことができるのだ。

 八ッ山のタヌキが持つ闘志の裏に秘められた優しさの光を皐月は見逃さなかったのである。


「刹彌流〈具徳指壊波ぐとくしかいは〉あああああああ!!」


 日本古武術に伝わる技―――指で壊し破ると書く〈指壊波〉。

 刹彌流柔の奥義であり、それに〈気〉という退魔巫女の闘法を加えた皐月のオリジナルがこれであった。

 膨大な殺気の中に潜む慈悲の心は、その位置に敵の心があるといってもいい。

 そこを打つことで殺気そのものを消すことができる。

 槍のごとく伸びた皐月の右手は、過たず〈偽汽車〉に触れる直前の空間を抉り取った。

 八ッ山のタヌキの殺意の源を善因へと切り替える一撃であった。


『!!!!!!』


 その一撃だけで、八ッ山のタヌキは気絶した。

 一度も触られず、一度も命中させずに。

〈社務所〉に属するものすべてが「刹彌皐月はあんなだけれど、誰よりも優しい戦いをする」という評に相応しい、どちらも傷つかずに終わる激闘であった。




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