第618話「友達たち」



 あえてそれ以上は御子内さんを見ないようにして居間から出ようとすると、少しドアが開いていて誰かが覗いているのがわかった。

 これが隙間女とかなら怖くて仕方のないところだけれど、残念ながらすぐに誰だかわかる。


「涼花、見ていたんだ」

「……お姉さまになにをしたの!? お兄ちゃん!!」


威勢は良かったが、涼花はぺたんと廊下に座り込んだまま立とうともしない。

おそらく腰が抜けている。

 僕と御子内さんのさっきの会話を覗き見していたショックだろう。

 好奇心丸出しのピーピングトムのせいなんだけど、今日に限っては責める気はしない。


「どこから、見てた?」

「お、お姉さまがやってきたあたり……」

「そうか」


 御子内さん大好きなこいつがすぐに居間にやってこなかったのは、気を利かせたからだろう。

 そもそも涼花がやってきていたら僕は涼花のものにも毒を盛らなければならなかったわけで、場合によっては中止していたかもしれない。

 いや、それはないか。

 僕が御子内さんたちを裏切るチャンスは今日しかなかったのだから。

 なんとしてでも死ぬほど知恵を絞って、僕は大切で大好きな友達に毒を盛ったことだろう。


「何をしたの!!」

「……毒を飲ませた。聞いていただろ。だから、急いで救急車を呼べ。でないと、いくら御子内さんでも再起不能になるかもしれない」


 それでもいいか。

 二度と戦えない躰になれば、さすがの彼女も諦めるだろう。

 僕の不安の種は一つ消える。


「なんでよ、お兄ちゃん!! お姉さまはあたしたちの恩人だよ!! 友達なんだよ!! お兄ちゃんにとっては……」

「おまえがいたから、電話をする手間が省けたよ。あとは頼む。僕はもしかしたら帰らないかもしれないから、そうしたら父さんと母さんによろしく。僕の貯金はおまえの進学にでも使ってくれ。この家をリフォームしてもいいぞ」

「どこに行くの? 待ってよ。ここはお兄ちゃんの家なんだよ……」

「帰れたらまた僕の家だ」


 僕は愛している妹の髪を撫でた。

 こいつを〈高女〉から護れた時が僕のピークだったなんてことにならなきゃいいけど。

 でも、裏切る対象には当然こいつの信頼も含まれているのだ。

 あまり情報は落とせないか。


「じゃあね、僕の涼花。おまえみたいな妹がいてくれて楽しかった」

「―――待って。待って、待って」

「時間だ」

「待てっつってんだよ!! 升麻京一!!!」


 もう僕は振り向かない。

 妹とも、大切な御子内さんともお別れはすませた。

 行かなきゃならない。


 ガチャリ


 玄関を開いて外に出た。

 後ろ手に閉めた家の中から身を引き裂くような泣き声が聞こえた。

 ばか。泣いている暇があったら御子内さんのために救急車を呼べよ。

 僕はそのまま、大通りへと向かう。

 目的地まではタクシーでいけるはずだ。

 ただ、そうは問屋が卸さない。

 そんなに広い訳ではないが、6メートルは幅員のある住宅街の道を通せんぼされた。

 完全に前には進めない。

 四人いた。

 みんな、よく知った顔だ。

 友達ばかりだった。


「京一くん、どこにいくんだ」


 疑問文じゃない。

 問いただすという感じだ。

 さすがにレイさん。

 最初から臨戦態勢。

 決して友達だからといって盲信はしない。


「こんなところにどうしたの、音子さん、レイさん、藍色さん、皐月さん。僕、ちょっと出掛けなくちゃならないから家で待っててよ。涼花がいるし、御子内さんもいるよ」

「……京いっちゃん。声が上ずっているよ。あたしらに出会ったのが相当驚きだったの?」

「いや、凄いものだと思います。ほとんど五感に変化がにゃい。京一さん、あにゃたは本当にただの高校生にゃんですか」

「気の乱れもないし。うちからすれば、いつもの京さまといったところだね。いやはや、驚きだよ」


 神宮女音子、明王殿レイ、猫耳藍色、刹彌皐月。

〈社務所〉の切り札である四柱の〈五娘明王〉がずらりと勢揃いだ。

 しかも、ご丁寧なことにしっかりといつもの改造巫女装束を纏っている。

 つまり、プライベートではないということ。

 試合か―――仕事か、だ。

 僕の家に向かっていたところを偶然出会ってしまったのだろう。

 ……そんなことはないか。

 戦国時代の武将並みに勘の働くこの女の子たちは、時に予知能力じみて未来を視ることができる。

 その力が働いた、とみるべきだ。


「どうしたの、みんな。珍しいね。四人―――ああ、御子内さんも含めれば五人もこんなところに集まるなんて。夏休み最後だから遊びに来たの?」

「ノ, 珍しくない。或ッチに呼ばれたから来た。だから、偶然でもない」


 御子内さんが……か。

 さすがは僕の巫女レスラーだ。

 勘の良さは折り紙付きという訳だ。

 通りで親しいみんなが初っ端から僕を怪しんでいる。

 僕をここから先に行かさないようにする結界を張っている。

 正直、生半可なやり方では突破できない壁だ。

 さて、どうする?


「神宮女音子!! お兄ちゃんを止めて!! 絶対に止めて!!」


 玄関から出てきた涼花が叫んだ。

 いつのまに音子さんを呼び捨てできるようになったのかは知らないが、さすがにタイミングが悪い。

 もう少し打ちひしがれて黙っていてくれると思っていたが、やはり僕の妹と言うからにはもがくし、足掻くか。

 そうなると、四人の退魔巫女は絶対に僕を逃がさないだろう。

 僕なんかではすぐに制圧されるのがオチだ。


「涼花がなんか言っているので悪いけどそっちを採らせてもらう」

「そうですね。京一さんらしくにゃい雰囲気をさせていますし」

「さっきの或子のメールもだいぶおかしかったしな。ここは多少恨まれたとしても京一くんを確保しておくのが正しいだろう」

「いいなー、女子みんなにしんぱいされていいなー。腹が立つから、どさくさ紛れにあそこ触ってやろう。ウッシッシ」


 皐月さん以外はわりとマジのようだ。

 このままではせっかく御子内さんを足止めした甲斐がなくなってしまう。

 かなり前倒しになってしまうが仕方ないところか。

 切り札を……


「散って!!」


 完全に道を塞いでいた巫女たちが一瞬にして散らばった。

 なぜなら、天高くから舞い降りてきた影が竜巻の様な旋風を起こして、みんなの中央に着地したからだ。

 その竜巻の名は蹴り。

 空中というバランスのとれない場所で風のように舞い狂った恐るべき存在がやってきたのである。

 不意を突かれたとはいえ、〈五娘明王〉の四人が反撃もせずに散開させられたのは蹴りにこもった威力を見抜いていたからに違いない。


『あれれ、私の攻撃が全部躱されちゃった……。けっこー、ショックなんだゾ』


 上から突然やってきたのは、燕尾服やタキシードにウサギの意匠を取り入れたバニースーツと、上から羽織るバニーコートを纏った美女であった。

 丸い尻尾の飾りを付けたレオタード、蝶ネクタイ付きの付け襟、カフス、網タイツ、ハイヒールを履いていた。

 極めつけはうさ耳のカチューシャだが、これだけはどうみても本物のようにみえる。

 いや、確かに本物なのだ。

 あのうさ耳はこの美女の本当の耳なのである。

 そして、すらりとした網タイツを履いた脚から繰り出される変幻自在な蹴り技は御子内さんをも凌駕したことがある。

 僕の記憶にある中でもかなり上位の強さを持つウサギの妖怪―――〈キュウ〉であった。


『あんたらとは初めましてだけど、私、その巫女服にはいやーな思い出があってねえ。どうもムカツキが止まらないんだゾ。でも、今回は、まあ京ちゃんのためだから暴れまわったりはしないけどネ』

「てめえ、「山海経せんがいきょう」にある妖怪〈犰〉かよ……」

「すげえおっぱいだなあ」

「妖怪にゃんだから当たり前です」


 現われた〈犰〉は僕を背中に庇い、みんなと対峙した。

 四対一でも、〈犰〉だったらなんとかできるかもしれないと思えるほどに

 ただ、御子内さんが苦戦したのはもうだいぶ前のことだ。

 みんなあれから〈五娘明王〉として覚醒していて以前とは比べ物にならない。

 いかに〈犰〉でも一匹では……


「京いっちゃんを放せ、妖怪」

『ううううん、そうはいかないんだゾ。だって、私は京ちゃんに頼まれて護衛することになっているんで、あんたらの方がお邪魔虫なんだゾ』

「なんだと? 京一くん、どういうことだ。説明しろ」

「……する気はないけど、それでは見逃してもらえないよね」

「状況からして無理だにゃ」

「そうだよねー。京さま普段と違うだけでなく妖怪とつるんでいるってだけで、ちょっと見過ごせないよねー。おっぱい大きい妖怪なんか相手だし」

「……確かに」


 誤算とはいえ、これでは目的地に行けそうにない。

〈犰〉だけでは……


『妖怪とつるんでなんか文句あるってのかよ、巫女の姐さんたちよお』


 またも聞き覚えのある声がして、ドドドンと三つの地響きをたてて、今度もまた僕とみんなの間に降り立つ連中がいた。

 全員丸くてデカい。

〈犰〉やみんなとは正反対の肥満体をした連中だった。

 しかも、獣臭くて鼻が曲がりそうだ。


「おまえたち……〈社務所〉と一戦交えるつもりかよ。いいのか、いかに目黒の狸将軍でも、オレたちと正面から抗争するのは許さねえぞ」

『悪いが兄弟きょーでーの頼みとあったら、例えあんたら相手でも戦らにゃあならんのが都政の義理よ。ちげえ、渡世の義理よ』

「それは江戸の妖狸族の総意ですか?」

『違わあ。わしたちはこの升麻京一と五分の盃を交した兄弟だから、頭下げて頼まれたらやることやらにゃあならんのよ』

「―――理由は問わずなの?」


 僕の目の前に立った、南部茶釜のボディアーマーをまとったでかいのが取り柄のタヌキ―――三代目分福茶釜は言った。


『〈江戸前の五尾〉が、大恩ある升麻京一のために動くというのに理由なんぞいらねえ!! 誰が何と言おうと、わしらは熱き血潮の兄弟きょーでーなんだからよお!! ついでに後楽園ホールでのリベンジもさせてもらうぜ!!』

『シュポオオオオオオーーーーーーーー!!』

『面倒じゃが、お主らの泣き顔が見るためなら頑張るぞい、フギャー!!』


 八ッ山のタヌキ、浅草寺のタヌキの二匹も闘志をみなぎらせて、分福茶釜の口上を支持した。

 そう、かつて後楽園ホールで御子内さんたちと五番勝負を繰り広げた江戸前の〈五尾〉のうち三匹までが、僕の頼みを引き受けてくれたのだ。

 僕を〈社務所〉の媛巫女から護る、という無茶な頼みを。


「ありがとう、


 例え、妖怪でも僕には友達がいる。

 理由も聞かないで明らかに不審な行動をとる僕の頼みを聞いてくれる友達が。

 ただ、ありがたいと泣きたくなってしまった……






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