第617話「御子内さんと、……僕」



 夏休みの最後の一日。

 明日からは高校が始まるという一日に、僕は久しぶりに御子内さんと遊びに出掛けた。

 とはいっても、僕んちの近所のちょっとした懐かしいスポットを巡るだけの散歩のようなものだ。

 この町で生まれて育ったとはいえ、高校生ぐらいになると近寄らなくなる場所とか、記憶も薄れているような場所とか、そういうところは山のようにある。

 そう言ったところを久しぶりに観て回ろうということにしたのだ。

 言い出しっぺは御子内さんである。

 どういう風の吹きまわしかと尋ねたら、


「ボクらも来年には大学生だ。そろそろ名実ともに子供ではなくなる。その前に、ボクとしては京一の育った町を見物しておこうと思っただけさ」

「論理が繋がってないよ」

「そりゃあ、わかっているよ。でも、そんな気分ってだけさ。これから人生の荒波に飛び込む前に、キミの人生を追体験してやろうという趣向な訳だ」


 さらに訳わかんないよ。

 でも、まあ、僕もそんな気分になっていたし、ちょうどいいかもしれない。

 ということで、わりと朝から僕らは町の周囲を歩き回った。


「このマンションがあったところは、僕が小学校に入る前は空き地でね。管理も緩かったからよく遊んだんだ。友達の一人がバレーボールを持っていてね。ドッチボールとかキックベースもまだできたな」

「ほお。意外と子供がいたんだね」

「涼花もあの頃は男の子みたいだったし、人数はわりと揃っていたかな」


 キックベースというのは、バットの代わりに足でやる野球みたいなもので、サッカー要素もあって意外とポピュラーな遊びだった。

 この頃は色々とおおらかで、人が足りなければ透明ランナーとかそういう変わったルールを工夫して遊んでいたものだ。

 僕はサッカーが好きだったが、子供の世界ではどんな遊びもこなすマルチプレイヤーだったのでキックベースも楽しんだものだ。

 今はもうただのマンションの敷地でしかないけれど。


「ふーむ、東京は子供のための場所が少ないもんだねえ」

「そんなもんだよ。御子内さんは?」

「ボクが小学校に入る前の話を聞きたいのかい? それは酔狂だね。―――リョナとかは好きかい?」

「もうその単語だけでお腹いっぱいだよ」


 御子内さんの過去がどれだけハードなものだったのか、僕はもう薄々勘付いている。

 今の彼女はのんびりとして過去の忌まわしいだろう記憶なんて克服しているようだが、実際、聞いてみたら僕の方にどんなトラウマがでるかわからないぐらいの酷さなのは想像がつく。

 気にならない訳ではないが、少なくとも昼間からこんな場所で雑談程度の感覚で聞けるものではない。


「なんだ。そろそろ話してもいいかなと思っていたのに」


 なんでつまらなそうに頭の後ろで手を組むかな。

 君にだってあまり気持ちのいい話じゃないだろうに。


「いやあ、もう慣れちゃったんだ。楽しい話でもないから、どんどん忘れていくし。よくさあ、。いつまでも嫌な思い出を反芻している人っているよね。ああいうのは、きっと思い出して苦い思いをするのが楽しいからやってるのかな。ほら、同じ物事を長く続けられるのはやること自体が愉しいからっていうだろう」

「そんなマゾっぽい。……でもまあ、わりとそうかもね。無意識的に自虐的で被虐的な人っているから」

「もっと楽しいことで上書きするしかないんだけど、そういう人間に限ってさらに悪夢とかトラウマを見つけてしまうんだよね。稀によくあることさ」


 少し離れたところに小さな商店街があり、本屋の横に簡単なプリクラがあった。

 おそらくどこかの潰れたゲーセンの中古品を格安で買ってきたのだろう。

 近所の子供たちぐらいしか使わないので、だいぶガタがきている。


「よし、いい記念だから一枚撮ろう。なんだかんだいって、ボクらは二人では撮ったことがないからね」

「なかったっけ?」

「音子やレイに強引に引っ張られたことはあるけれど、京一とボクだけのはないはずだよ」

「そっかあ。でも、もう少し新しいのにしない? 駅前のゲーセンならあるんじゃないかな」

「変にデカ眼にしたり美肌にするのは邪道だろう。みんながそう言っていた」


 この場合のみんなは、退魔巫女の仲間たちのことではなくて、武蔵立川高校のクラスメートたちのことだ。

 千灰さん、豹頭さん、鵜殿さん、鳩麦さんといった変人そのものの御子内さんを優しく見守っていてくれる女の子たち。

 その中には桐子さんや蒼さんもいるだろう。

 多くの優しい子たちが、この時代錯誤な戦国武将みたいな巫女さんをフォローしていてくれている。

 彼女たちの助けがあったからこそ、今でも御子内さんは戦っていられるのかもしれない。

 戦いを傍で見守ることだけが支援ではない。

 御子内さんのご両親も、その他の知人たちも全員が彼女を護っている。

 守られているだけでなく、心で支えている。

 それが彼女と―――〈社務所〉の媛巫女の強さなのだろう。


「では、撮ろうか」

「はいはい」


 僕らは並んでプリクラを撮った。

 古い機械なので発色とかはたいしたことない。

 印刷技術だって大雑把で、新製品とは比べ物にもならない。

 ただ、懐かしかった。

 そして、嬉しかった。

 女の子と二人だけで撮るこの手の遊びが楽しいってのは、リア充でもない男からすればどうしようもなく否定できないことだけれど、それ以上に温かった。

 ちっぽけなことのすべてが愛おしい。

 例え、明日には忘れてしまうことばかりだとしても、この一瞬があるからどんなことでもできそうな気持ちになれた。

 僕はやっぱり単純な男なのだろう。


「ほお、泣くほど嬉しいか。よし、あとで音子たちに写メ撮って送ってやろう」


 手ごろな悪戯を思いついたらしい御子内さんはニヤニヤと笑っていた。

 まったく、この女性はいつまで経っても少年っぽい。

 しばらく歩いていると、売り家があった。

 かなり大きな家なのだが、残念なことに草がぼうぼうだし、建物自体が旧い壊れかけみたいな雰囲気なのでとてもじゃないが売れそうにない。


「あ、ここか。結構、京一の家の近所だったんだな」

「知っているの?」

「まあね。たいしたものじゃなかったんだが、涼花に頼まれてね。ちょっとした妖魅退治をしたんだ」

「初耳だなあ。〈護摩台〉はどうしたの?」

「結界が必要なほどの相手じゃなかったからね。ほとんど一発でぶっとばせたから手間もかからなかったよ」


 妖怪とか幽霊とかを軽く素手でぶっ飛ばす女の子って、多分、世の中にはそんなにいないよね。

 僕だって最初に見た時は随分と驚いたもんだ。

 世の中は広いってホントに思ったもんだ。


「ここにいたのは〈寝惚堕ねぶとり〉って妖怪でね。もしかしたら、京一も会ったことがあるかもしれない」

「え、本当?」

「……これだけ近所なんだ。すれ違っていてもおかしくないだろう」


 御子内さんにしてははぐらかすような言い方だが、まあいいや。

 いつか機会があったら涼花から教えて貰おう。

 そんなときが訪れたら、だけどね。


「とはいえ、この近所ではもうこれ以上の妖魅事件はなかったみたいだね。一番大きかったのは、涼花と〈高女〉の件か。あの神社はどこにあるんだい」

「……ここを右だよ」


 神社と言えば一つしかない。

 突然、希望を見つけられずに恐怖に憔悴しきった僕の前に現れた御子内或子という女の子が巨大な妖怪をプロレス技で退治したあの神社だ。

 僕が初めて〈護摩台〉を設置して、涼花と二人で御子内さんの戦いを実況したのもここだった。

 何もできずに僕が差し出した手紙を八咫烏が拾い、救い主に届けてくれた場所。


 思い出の地。


 ―――ここがなければ、涼花は助からなかった。

 今でもありありと思い出せる。

 妖怪〈高女〉の上から見下す感情のない視線と、掴まれたら終わりの枯れ木のように尖った腕。

 僕らを追い詰めたあいつの追跡。

 ただの人間は妖怪に魅入られたらまず助からない。

 自力で何とかなんてできない。

 誰かに縋るしかなく、その誰かがどこにいるかもわからない。

 そんな兄妹を助けてくれた、僕たちの恩人。

 御子内さん。

 君がいてくれたから、僕らはこうやって生きていられるんだよ。


「この神社に来るのは二年ぶりだ」

「前は秋だったから、もう少し経たないと二年にはならないよ」


 懐かしい境内を歩く僕ら。

 見知った神主さんが礼をしてくれた。  

〈社務所〉を知った今ならわかるが、彼は妖魅事件についてそれなりに詳しいようだ。

 だから、僕にあの連絡法を教えてくれたのだろう。


「紅葉はだいぶ先だね」

「まだ、夏だから。九月になったらすぐじゃないかな。今週は台風もなさそうだし、ずっと暑い日が続きそうだよ」

「夏休みが終わるのが実につらい。ボクがJKでいられるのもあとわずかか」

「別に制服着るくらいならいいんじゃない」

「ボクになんちゃって女子高生になれと言うのかい!!」


 そんなことは言ってない。

 でも。まあ、JKにこだわりのある御子内さんらしいか。


「……うちに美味しいケーキがあるんだけど、食べにくる? 涼花がお姉さまの分だって確保していたんだ。おかげで僕のだけ一個という有様なんだけど」

「いくよ。京一の分が足りないようだったら、ボクの半分あげるさ」

「ありがとう」


 境内を抜け、石段を降り、わが家への道を進む。

 子供の頃から何度も歩いた道。

 あの頃に比べたら僕も大きくなった。

 隣の御子内さんは身長155センチくらい。

 僕の方が15,6センチ大きいけれど、器とか諸々で到底彼女には勝てそうにないな。


「お邪魔しまーす」


 升麻家に御子内さんは躊躇いなく入る。

 男の家だという警戒心はない。

 まあ、僕らが束になって襲っても御子内さんはびくともしないけれど。

 僕の部屋ではなくて、居間に案内する。

 その方が紅茶とかを出しやすいから。

 ソファーセットでさっき撮ったプリクラをカメラで撮影し、おそらく音子さんたちに送る作業で忙しい彼女のために紅茶を煎れた。

 会心の出来だ。

 彼女のために頑張ったのだから当然だろう。

 紅茶を置いて、ケーキも皿に乗せた。

 知人から貰ったものだ。

 こういう時のために用意したと言っていた。

 味は僕も承知している。


「いっただっきまーす!!」


 無邪気に御子内さんがケーキにかぶりつく。

 美味しそうに頬が緩む。

 なんだかんだいって、御子内さんはスイーツも大好物なのだ。

 僕も口にした。

 ビターすぎず甘すぎず、いい塩梅だ。

 確かに美味しい。

 あの女性の手作りとは思えない。

 一個を丸ごと食べ終えて、お腹を下品にポンポンと叩いて満足そうな御子内さん。

 そして、彼女は言った。


「それで、このケーキの中にいれたのはなんなんだい? 京一」


 彼女はまだ笑っていた。

 僕を信じていてくれるのだ。


「毒だよ。聞いた話ではマウンテンゴリラでも殺せるぐらいの致死性のものらしい。でも、御子内さんは死なないだろうとも聞いている」

「そっか」


 御子内さんは紅茶も口にした。

 そっちには入れていない。

 ケーキの甘みでないと誤魔化せないと思ったからだが、やっぱり気づかれちゃったか。


「どうしてわかったの?」

「なんとなくさ。ボクとキミの仲だからね。だいたい途中でわかった」

「……じゃあ、どうして食べるのを止めなかったの」

「京一がボクに薬を盛るなんて何か特大の異変があったからに違いないからね。それを聞きだすためには体を張る必要があると思ったからさ。―――で、何があったんだい? さすがに話してくれるだろう。ゴリラを殺す毒を呑んだボクに免じて」


 実は言えない。

 けれど、御子内さんに嘘を言いたくないので、正直に話すことにした。


「僕は。その場合、。本当に

「―――なるほど、京一らしい。でも、覚えておくがいいよ」

「忘れないよ。で、何を?」


 御子内さんは毒が効いてきたのか悶絶しながらテーブルに伏した。

 無敵で最強の彼女らしくない呆気なさで。

 普通の人間ならもうすぐ死ぬ量を呷ったのだから当然なのだけれど。


「……ボクは裏切者だろうと悪漢だろうとわりと寛容に誰でも許して見逃しちゃうけれど、京一だけは絶対に許してあげない。櫓櫂の及ぶ限り追い詰めるよ」

「せっかく毒を飲ましてまで足止めするんだから、そのままでいて欲しい」

「それこそ―――無茶さ。……ぐほっ」


 御子内さんが血を吐いた。

 毒が内臓を焼いたのだ。

 いかに〈星天大聖〉の彼女でも僕が飲ませた毒には敵わない。


「じゃあ行くね、御子内さん」

「……あとでぶっとばしてやるから出先で待っているがいいさ」

「待たないよ」


 僕は完全に意識を失った御子内さんをソファーに横たえた。


「小さいんだね……」


 彼女は小さい。

 こんな身体でずっと妖魅相手に戦い続けてきたのだ。

 そして、今度は邪神にまで挑もうとしている。

 ヒトの身で。


「さようなら」


 僕はそう呟いた。

 さりげなくいったつもりだけど、彼女に届いていればいいと思わず願わずにはいられなかった……




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