―第78試合 裏切りの未来基地 1―

第616話「採掘基地〈ハイパーボリア〉」



 食堂に入ってきたベテラン作業員の一人が、隅でスプーンを使ってカレーを食べている看護師に言った。


「おい、どうして女が〈ハイパーボリア〉にいるんだよ」


 周囲の男たちが空気を読んで誰一人として口にしなかったことを言い放ったのだ。

 おかげで食堂にいた人数と同じだけの視線が、看護師に向けられた。

 ベテラン作業員の言う通りに、その看護師は女だった。

 まだ、若い。

 二十代半ばといったところだった。

 美しい女という訳ではないが、男からすれば魅力的な厚ぼったい唇と垂れた目元が魅力的な女だった。

 来ているケーシーの白衣がなければ看護師とは思われないだろう。

 年頃らしい化粧ッけがまるでないところが、現在の職場の環境の過酷さを思わせる。

 自分のことを問われていることはわかっているからか、ベテラン作業員の方に向き直った。


「看護師が足りないってんで、あたしが派遣されたのよ。それでいい?」

「よくねえな。ここは女がいていい場所じゃねえんだ。そいつを食ったらさっさと陸に戻れ」

「……あたしのこと、心配してくれてんの?」

「ちげえよ。誤解すんな。―――だいたい、ここにゃあ女用の施設なんか一つもないんだぜ。おまえなんか長居できねえ」


 看護師は肩をすくめて、


「トイレだけは医務室前のをあたし専用にさせてもらうことになっている。風呂は……まあ、適当にシャワールームを借りるよ」

「面倒が起きたらどうすんだよ」


 すると、似たような年頃の別の作業員が言った。


「おいおい、トシさん。その看護師の姉ちゃんが心配だってんなら、そんな絡むような言い方やめなよ。それじゃあ、ただの嫌な奴だぞ」

「うっせーな、俺はそんないい奴じゃねえよ。男だけの職場に女はいらねえってことがいいてえだけだ。俺らあ、硬派なんだ」


 だが、周囲の馴染みの作業員たちは大声をあげて笑い出した。

 鈴木寿郎―――トシと愛称される五十代の作業員が面倒見のいいお人好しだということは皆がよく知っていたからだ。

 特に〈ハイパーボリア〉上部のBブロック中心とした作業員たちにとって、彼はベテランとして中心人物であり、性格もよく把握されていた。

 この五十絡みのベテランならば、男だらけの職場に入ってきた女性の身を心配しての発言だということはお見通しであった。

 荒々しい男たちが支配する現場に、女が一人でいることは絶対にトラブルを引き起こす。

 性的なトラブル以外にも、この〈ハイパーボリア〉も、そもそも女性のためのスペースがない現場だ。


「看護師の姉ちゃんも許してやってくれよ。トシさんよお、あんたぐれえの娘さんがいるし、心配してんだよ」

「そうそう、パパさんは余計な気を回すのが好きだよな」

「トシさんさあ、顔に似合わねえんだよ、あんたはどう見ても極道面なんだからさ」


 同僚たちが次々にイジりはじめる。

 トシは確かに言われる通りにいかつい顔面の、暴力団員のような風体の上、髪型もパンチパーマで首にネックレスを巻いている。

 万人が万人、一人残らず悪人だろうと断言される彼は仏頂面に変わった。


「……うるせえよ、バカどもが」


 指摘が事実だということを本人も自覚している。

 ゆえに自然と仏頂面になるのだ。


「だから、いいか、姉ちゃん。……もういい」


 トシは居たたまれなくなったのか、そのまま手にしたトレイとカレーライスをテーブルにおいて食べだそうとした。

 だが、看護師は自分のカレーを食べ終わると、トシの横に立ち、


「ありがとう、オジサン。でままあ、心配しなくていいよ。あたし、シュートやってるから立ち技も寝技も得意だし、集団で襲われない限りたいていのことは処理できるんで」

「シュート? へえ、そうは見えねえな。俺も空手やってんだ」

「いいね。今度、トレーニングしようよ。―――あたしは看護師の鉢本はちもといすゞ。じゃあ、何かあったら医務室に来てよ」


 それだけを言うと、鉢本いすゞはそのまま食堂を後にした。

 狭い〈ハイパーボリア〉の中ではさらに室内は動線が限られる。

 女性とすれ違うというだけで作業員の男たちは緊張で身体が動かなくなった。


「あたし、ここの理事長に依頼されてきたんだよ。だから、まあ、よろしくね」


 いすゞがでていったあと、作業員たちは顔を見合わせた。

 この〈ハイパーボリア〉の理事長について彼らは色々と噂で聞いており、その理事長の縁故ということは下手に手出しをできないということに等しい。

 シュートボクシングをしているということもまた悪さをするには躊躇せざるをえない情報だった。

 とはいえ……


「〈ハイパーボリア〉が今まで女人禁制でやってきたのは、別に俺らが襲っちまう可能性があるってだけじゃねえんだよなあ」

「まあな。俺ら上Bだけならともかくよお。Aとか下層の連中はどう考えても普通じゃねえし」

「おまえら、この不況の時期にいい給料もらってんだ。文句言ってんじゃねえよ」


 愚痴りだす同僚に対して、トシが文句を言った。

 この辺の機微をきちんと把握するのもベテランの務めだ。

 だが、いかにベテランの作業員であったとしてもいかんともしがたい事態は存在する。


「でもよ、トシさんだって、下層E-3の奴らがキモイ連中だってのはわかってんだろ。なんつーか、魚みたいに顔しているし」

「俺さ、前にあの気持ち悪い連中が嵐の日にデッキで真っ裸でうろついているのを見たことあるぜ。ありゃあ、気持ち悪かったわ」

「あー、わしも見たわ。魚ヅラだから血が騒ぐんじゃねえのか」

「だろうさ。あいつら、ホント気味悪いし」

「不気味ってんなら、Aも同類だぜ。あいつら、金曜の夜とかに集会してんだよ。呪文みてえなの唱えてさ。ぞっとするぜ、あいつらの死人みたいな眼はよ」


 口々に他の部署の悪口を唱え始めた同僚を諫めることはもうできそうになかった。

 トシにしても思いは同じだったからだ。

 彼ら〈ハイパーボリア〉施設上部Bブロック班からしてみれば、他の三つのブロック―――上部Aブロック、下層Xブロック、基本採掘班とドリルシップ班はまったく話の通じない仲の悪い他部署でしかなかった。

 もっとも、トシたちBブロックは合計1500人の作業員が働く〈ハイパーボリア〉の部署の中では最小の100人しかいない。

 多数決で勝負するのならば、まったくもって相手にもならない勢力だ。

 Aブロック 500人。

 下層Xブロック 600人。

 基本採掘班 150人。

 ドリルシップ150人。

〈ハイパーボリア〉はこの類いの施設としては破格の人数を用いて運用されている、日本はおろか世界中でも類を見ない最大レベルの超ド級採掘施設なのである。

 トシたちはすでに三年間、この施設で仕事をしている。

 この〈ハイパーボリア〉が日本をエネルギー採掘国にすることがわかっていることが、彼らの誇りであった。

 ゆえに、他の部署の作業員の気持ち悪さなどなんとか我慢できる程度のものだ。

 愚痴を吐き散らすぐらいでうまくいくなら越したことはない。


「もうすぐ、俺たちの〈ハイパーボリア〉がメタンハイドレート採掘施設として完全稼働するんだ。おめえらも、多少のやりづらさは無視してなんとかうまくやっていけよ。あの姉ちゃんだって、俺らBブロックの担当なんだ。仲間として受け入れてやれよ」

「へいへい、トシさんは男の中のおとこだよなあ」

「さっすがトシさんだぜ。ヒューヒュー」


 いかつい顔のベテランを茶化す声と爆笑が食堂内に響き渡る。

 他はともあれ、ここ〈ハイパーボリア〉はメタンハイドレート採掘のための日本の最大基地である。

 ―――1500人の作業員と、2000億の公的資産が注ぎこまれた、日本の夜明けのための橋頭保といっていい施設なのだ。

 トシは同僚たちを見て愉快になった。


「俺はここで骨をうずめてもいいかな」


 そんな気分だった。



 

 

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