第615話「盤石の後ろ盾」



 それから先。

 元食堂であった場所の片隅から様子を窺っていた私が目撃した光景は、まさにこの世のことわりから外れた魔界の死闘といっていいものだった。

 現われた二人のは、すぐさま正体を現した。

 一人はぷっくりと顔の膨れた、例えるのならば毒蛇コブラに似た蛇人間。

 痩せている方は、黄色と黒の縞々の胴体をしたまるで海蛇。

 それぞれがさっきまで明王殿レイに叩きのめされていた連中とは明らかに違う不気味な蛇だった。

 どちらも蛇であることに変わりはないとはいえ。


『きしゃああああ!!』


 蛇の鳴き声とともに二匹が巫女に襲い掛かる。

 それは双頭の蛇を思わせた。

 コブラ型は右から。海蛇型は下から。

 ともに必殺と言っていいタイミングだった。

 しかし、明王殿レイはそれを左右の掌底で受けた。

 さっきまでの乱闘でわかっていたけれど、彼女の掌は普通ではない。

 例えば、ファンタジー小説にでてくる〈魔力〉を帯びた剣や念のこもったパンチみたいに、私たちが持つ固定観念を破壊するようなとんでもない力を秘めている。

 だから、二匹の妖怪の襲撃を完全に防いでしまった。

 これまでの蛇人間は、人間の躰に鱗がついたという姿をしていたが、二匹の竹里先生は手足がなくなり、本当に蛇の姿のまま飛びかかってきた。

 だが、明王殿レイはたわんだスプリングが限界まで引き伸ばされたように、眼にもとまらぬスピードの蛇の牙を受け止める。

 読んでいたのでもなく、当然のように。

 歩くために前に出した右足の次に左足がでてくるように当たり前に。


「おいおい、この程度の速さでオレとやり合う気なのかよ」


 ヤンキーみたいな巫女はやれやれと呟いた。

 その顔にはいささかの怖れもなかった。


「この竹林のような結界の中に潜んで、天敵から逃げ続けた結果、おまえら邪神の眷属は戦いというものを忘れちまったようだな。だったら、思い出すがいいさ。おまえらがいかにニンゲンたちにしてやられてきたかをな」


 くるりと手首を回転させた巫女の掌から発された波動が蛇の面を吹き飛ばす。

 やはり間違いない。

 明王殿レイの掌には異常な何かが籠っている。

 いや、神聖な力そのものかもしれないが。

 

『しぇええええええばばばば!!』

「甘いぜ!!」


 宙を一回転舞って再び襲い掛かる蛇の面にもう一度掌打を当てる。

 それだけで火花が散るように蛇は爆ぜた。

 私はその時泣きそうになった。

 何がどうしてかはわからない。

 一つ言えることは、すぐ目の前に無力な弱きものを救うことのできるヒトがいるという事実に感極まったからかもしれない。

 私―――黄山千春は何もできないただの女だ。

 おそらくほとんどすべての人がそうだろう。

 私みたいに一人では何もできない、ただ生活しているだけの人間。

 でも、さっき明王殿レイが言ったように、どうしても我慢できないことがあるのならば仲間の力を借りてでも政治の世界に飛び込んでしなければならないことをすることもできる。

 民主主義は、結果を出すのに時間がかかってしかも効果がすぐにはでないというまどろっこしい制度だし、自分たちの主義主張が誤っていたのならば別の意見を取り込んで別の方法を模索しなければならないという潔さを求められる困難な道だ。

 だけれど、何の力もない一般人ではそれをするしか道はない。

 暴力で革命をして政権を打倒するより、テロリズムで政権を脅迫するよりもよっぽどマシで真っ当だ。

 例え十年をかけても法律を改正して既存の制度を改革するのが、正しい政治の在り方で、私たちにはそれしかない。

 人間の力で、人間の心で、できることは時間がかかったとしても一つずつ超えていくしかないのだ。

 でも、どんなに頑張っても越えられない悪夢―――人を苦しめる邪知暴虐な妖怪変化がいて、そいつらが私たちの日常を脅かしていたとしても問題ない。

 私が今、見つめている明王殿レイのようなヒーローがそいつらを排除してくれる。

 この世の誰もその命を懸けた死闘を知らなくても、彼女たちの様な勇気ある人たちが無力な私たちのために戦ってくれるのだ。

 ならば、私たちは日々を普通なりに過ごさなくてはいけない。

 私たちは守られているのだ。


「ふんがああああ!!」


 渾身の雄叫びが空を舞う蛇たちを弾き飛ばす。

 蛇たちにはそれぞれコウモリのような翼が生えていて、それを使って飛んだり方向転換をしたりしていたようだが、そんなものを使う暇もない力技だった。


「ちぇっ、てめえらは〈ケツアルコトアル〉かよ!! まったく、うちの国はどうしようもないぐらい神の廃棄場だぜ!!」


 翼あるコブラと海蛇を両腕で叩き落しながら、しかしそれでも攻撃を止めない二匹に対して明王殿レイは叫んだ。


「仕方ねえ、星辰の時まであまり切り札は使いたくねえが、てめえらが〈ケツアルコトアル〉だってんなら話は別だ。これ以上、生贄はだしたくねえし、完全に息の根を止めてやらあ!!」


 そういうと、明王殿レイの背負っていた何も燃えない炎がさらに囂々と燃え盛る。

 そして、その中に私でもわかる、一柱の神の姿が顕現した!

 一面二臂で降魔の剣を振りかざし、悪を縛る羂索けんさくを持った炎を背負った恐ろしい仏さま。

 両目を見開き、上唇で下唇を噛み、両牙を下方に出しているのは、仏教を外敵から護るための必死の形相だという。

 私でさえ知っている怒れる大忿怒尊チャンダ・マハーローシャナ―――不動明王であった。

 空飛ぶ蛇も巨大なガマガエルも何もかも消し飛ぶほどの驚愕をもって、現代に顕現した不動明王は憤怒の視線を蛇たちに向ける。


「〈不動明王神腕槌ふどうのあきらおうしんわんのつち〉!」


 利剣も羂索も持たないもう一対の腕が現われて振りかぶると、拳を二匹の空飛ぶ蛇に叩き付けた。

 何度も明王殿レイの打撃を受けても怯みもしなかった蛇どもとはいえ、この世界に顕わ垂れ明王さまの打撃には抗えなかったのか、そのまま床に貼りついたまま身動き一つとれなくなっていた。

 どれだけの破壊力があったのか、それは食らってみた側でなければわからないことだろう。


「ち、やっぱり崩れ出すか!? おい、おまえ、さっさと逃げだすぞ!!」


 私は明王殿レイに身体ごと持ち上げられ、肩に担がれた。

 まるでカバンのような扱いに抗議しようとすると、


「悪りいが、このままだとおまえもオレも死んじまうかもしれねえんだ。黙って担がれていてくれ」


 見ると、竹里の屋敷は突然巻き起こった地震のような揺れによって、豆腐のように脆く崩れ去ろうとしていた。

 さっきまで堅剛に思えた壁がサクサクの美味なるビスケットのごとく罅がいり、壊れていく。


「何百年も続いた結界の終焉だ。終わるときはあっという間だろうよ」


 そういって、明王殿レイは走り出した。

 また、私は彼女によって救われることになりそうだった。

 ただ、一つだけ、私は彼女に告げたいことがある。

 一つだけ、


「―――私、ここから抜け出せたら、政治関係について学びたいと思います。それで、自分には納得いきそうもない出来事があったら、なんとしてでもそれを良い方向に導けるように運動したいです。私でもできることを見つけて」

「……好きにしろよ。おまえがしたいようにすればいいさ。で、それを邪魔するような妖怪とかがでたら、オレが退治してやっから安心しろ」

「だったら安心です」


 私の返事を聞いて、明王殿レイは年下の癖にとてもお姉さんのように優しく微笑んでくれた。





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