第614話「妖魅〈イグの蛇人〉」
「ちぇっ、蛇神の信者どもの癖にやってきたのは、忍法ガマパックンかよ!!」
天井に頭を擦りつつ、のそのそとやってきたのは、巨大な茶色いガマガエルであった。
でっぷりとした白い腹部がいかにも鈍重そうなイメージを与えるけれど、こんな怪獣みたいなものに見つめられたから「逆・蛇に睨まれた蛙」状態になりそうだ。
ただ、咄嗟に文句を言っていたけれど、明王殿レイの方は驚いたり、ましては怖がったりしている様子はない。
度肝を抜かれたのは、これだけ巨大なガマガエル相手にまだ戦おうとしている姿に、だった。
さっきまでの獅子奮迅の戦いを見ていればわからなくもないが、それだってこの巨大な両生類とは比べ物にならないかもしれない。
だって、人間が敵うような化け物ではなかった。
体重だって最低でも300キロぐらいはありそうだし、下手なトラックよりも大きいのだから、まず立ち向かうという発想がありえないのだ。
なのに、明王殿レイはすっくと立って、首の骨を鳴らす。
怖れも震えもなにもない。
「こいよ、化けカエル。幻術か年を経たものかは知らんが、どのみち同じことだ。オレのビンタは超いてえぜ」
指で挑発をする仕草はもうヤンキーそのものだ。
その挑発に応えるように、カエルが口を開いた。
ヒュン、と何かが動いた。
次の瞬間、明王殿レイの腕に朱いものが巻き付いた。
先端はカエルの口の中に納まっている。
舌だ。
まさにカエルらしく舌を伸ばして獲物を絡め取ろうとしたのだろう。
巫女の右手は封じられた。
なのに、慌てる様子はない。
あんな気持ちの悪い長い舌に絡みつかれても顔色一つ変えないのはどうしてだろう。
「キメえのは百歩譲るとしても、臭えのは耐えきれねえな」
ぎゅっと締め付ける舌を、なんと明王殿レイは左手で引っ張って力比べを挑んだ。
しかも、その結果はすぐにでる。
引っ張られた方のガマガエルがのっそりと前に出たのだ。
抗ったのに勝てなかったかのように。
体重差がこれだけある女の子相手なのに。
「引き千切られねえうちに前に出てきたのは褒めてやる。じゃあ、今度はこれに耐えられるか!」
巫女が一気に間合いを詰めた。
そして、カエルの顔面に目掛けてビンタを叩きつける。
ビンタというわりに振り下ろす所作の美しさからして、なにか芸術的な百人一首でもやっているかのような一撃だった。
ただ、圧倒的に普通と違うのは、ビンタの当たった部分がどういう原理なのかぎゅっと捻じれた波紋のような跡をだしたことだ。
まるで独楽が回るように。
そして、その捻じれが引き起こしたのは巨大なカエルの腹がぶわんと凹むという結果だった。
どんな力が加われば、そんな異常な現象が生まれるのか。
しかも、浮いた。
300キロはあろう巨体の足が完全に床を離れた。
というか、飛んだ。
さっき人間大のものがボールのように回転していくところをみたばかりだったけど、それよりもさらに凄まじいものをまざまざと見せつけられた気分だった。
綺麗な女の子の皮を被ったブルドーザーがそこにいた。
動画投稿サイトでもこんな映像はない。
そして、巨大な両生類は無防備に腹をさらした体勢のままひっくり返り、ぴくりともしなくなってしまった。
「〈螺旋掌〉相手に腹を出す真似をするからだ」
ピクニックに行くよりも気楽にガマガエルを仕留めた明王殿レイ。
その視線はもう一つ別のところを睨んでいた。
「おそかったじゃねえか。〈竹取の翁〉―――いや〈イグの蛇人〉の長老といったほうがいいか」
『ついに我らの領域に潜り込んで来たか、外法の巫女どもめが。だが、我々に歯向かえば、どうなるかわかっているのか。おまえは我らの〈
竹里家の先生だった。
いや、どちらが本当の竹里さんなのはまだわからない。
丸い方なのか痩せている方なのか。
どちらもこの異次元の有様に戸惑いすら見せていないので、やはり蛇人間やら巨大ガエルの仲間なのだろうとは思う。
何十匹の蛇人間に怯まなかった明王殿レイが、戦闘モードというかやる気満々な態度を崩さないということはそういうことなのだろう。
おそらくあの二人がボスキャラ。
ここまでの連中は前座ということみたい。
「何言ってやがる。房総半島が広くて田舎なのをいいことに、今までてめえら化け物は散々好き勝手やってきたじゃねえか。―――311以来、野放しにしておいてやったのは慈悲からじゃねえぞ。オレらが無力でてめえらを見つけられなかっただけだ。だがよ……」
明王殿レイは大声で怒鳴った。
「人間を餌としか思っちゃいねえ化け物も、てめえらに何も知らねえ奴を差し出して力を得ようとする外道も、みんな許しちゃおけねえ!! 眷属に弓を引けば
彼女は私を一瞥し、
「こいつみたいなのが、二度と獲物として捧げられないようにな!!」
そう叫ぶと、彼女は真言を唱えた。
「ナウマク サンマンダ バザラダン カン!!」
渦巻き昇る灼熱の炎が彼女の背景を焼き尽くしていく。
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