第611話「竹里家の先生たち」
あとで考えると、まったく事の恐ろしさを理解できていなかった私は、執事を名乗る背広の男性に連れられて、竹林に現われた和風の屋敷の中に案内され、のこのことついていった。
執事という漫画やアニメにしかでない肩書の持ち主に好奇心を刺激されたということもあるが、基本的に明王殿レイとの対面のときのように警戒しつつ、今いち危機感の足りない心構えのようなものの隙を突かれたのだろう。
本来ならば、もっと警戒してしかるべき話なのに、私は本当にどうしょうもなかった。
案内された屋敷の大きさに動転していたのもあるかも。
千葉にはそれなりに地主みたいな大金持ちがいるけれど、その中でも飛びぬけて大きな屋敷だったからだ。
圧倒されて難しいことを考えなかったということみたいだ。
他人事のようだが、実際そうだったのだから仕方ない。
私とスマホで繋がっていて、現在、軽自動車に待機している明王殿レイのことなどすっぽんと忘れてしまっていた。
「どうぞ、黄山さん」
連れていかれた先は、また見たこともないぐらいに豪勢な応接間だった。
何しろ、絨毯がフカフカで並べられた調度品が高級感をばっちりと醸し出していて、すべてが「十万!!」「二十万!!」と札束の数を叫び出しそうなぐらいに贅沢品だ。
私なんかに審美眼がある訳はないから、つまりは貧乏人ですら意識できるほどに高級そうな品が所せましと並べられた豪奢な応接間、ということである。
執事の人に座るように促されて、ソファーに腰掛けたらふわりとし過ぎていて腰まで沈んでしまった。
なんだ、この軟らかさ。
とてもではないが態勢も維持できない。
「主人はすぐに参りますので、少々お待ちください」
執事が最大限に礼儀正しく消えてしまってから、私はようやくスマホと明王殿レイのことを思い出した。
慌てて連絡をする。
コールして数秒後、ようやく彼女が出た。
〔今、どこだ?〕
「応接間? 客間? でっかいとこ」
〔要領を得ねえな。まあいい。そういう手紙のやり取りをする場所というのはたいてい決まっているからな。……いいな、何もいわねえで手紙だけを渡せよ。それ以外はNGだ〕
「うん、わかった」
〔おまえみたいに返事だけが無闇にいい奴って信用しにくいんだが……まあ、いい。あまり変な選択肢は選ぶんじゃねえぞ。ゲームみたいにうまくいくとは限らねえからな〕
明王殿レイは心配してくれているみたいだけれど、口が悪いので悪態にしか聞こえない。
とはいえ、さすがの私もなんかおかしいということだけは理解でき始めていた。
何故かというと……
(このお家、人の住んでいる感じがしない)
つまりは生活感の問題だ。
誰かが住んでいれば絶対にそれらしい生活感というものがでる。
この屋敷にあるのは、新築のモデルハウスめいた無機質なたたずまい、だけなのだ。
住んでいなくても使われていればまだ温もりのようなものはでる。
会社のオフィスレベルでも、だ。
それなのにこの家には、オフィスぐらいの人の気配すらもない。
つまり、誰もここには棲んでいない。
それどころか普段使ってもいないというのが明白だった。
最高級の家具店でさえ、これほど酷くはないだろう。
自分の置かれた状況がようやく切羽詰ったものであることを悟った。
明王殿レイという女の子の性格は信用できたとしても、言っていることをすべて鵜呑みにはしていなかったということだ。
私は意外と疑い深い性質らしい。
とはいえ、ここに長居するのは危険だと生物の本能が危機を叫ぶ。
「……一度、あなたと合流しようかな」
スマホの明王殿レイに言おうとしたら、応接間に三人の影が入ってきた。
一人はさっきの執事。
あと二人は知らない顔で、中央に立っているのは和服を着た恰幅のいい丸い男。
悪い言い方をしたら、ガマガエルみたいな平べったい顔のおかげでシルエットが丸く見える中年男性。
まさに油ギッシュ。
てかてかと顔が光っている。
口もでっかくて眼がぎらついていて、もうすんごい目力。
逆にもう一人は眼が細くて、しかも口元に嫌な笑いを浮かべているものだから別の意味で目を背けたくなる。
こっちはなんと白い背広だ。
いくらなんでもあり得ないほどにモードだ。
夏なのに手袋をしていて、黒い革製だし。
「こちらが○×先生からご紹介のあった黄山千春さんです」
「ほお、そうか」
「手紙を持っているのだろ? 渡せ」
丸いのと細いのは正反対の対応をする。
ただ、どちらも威圧感バッチリで私にプレッシャーをかけてくるのが同じだった。
白い細いのはしかも命令口調で怖いぐらいだ。
とはいえ、男三人に対して抵抗するのは無駄っぽい。
明王殿レイにも「逆らわずに手紙を渡せばいい」とアドバイスされていたので、大人しくいうことに従った。
「さて」
丸いのが渡した手紙に目を通す。
明王殿レイがすでに封を切って中身を覗いていることについては気がついてもいないらしい。
手紙を一瞥し、何も書いていないはずの白紙に随分と時間がかかった気がする。
顔を上げた丸いのはいぶかしげな顔をしていた。
「これだけか?」
「はい。○×先生から私が渡すように言われた親書はそれだけです」
「嘘ではあるまいな」
「渡せばわかるといわれて……でも渡さないとわからないのは私でもわかりましたから」
「本当なのか?」
「先生の書いたものだとすぐにわかると言われていましたけど……」
「確かに、これからは○×の臭……いや字が書かれている。内容はともかく真贋に間違いはなさそうだ」
「いや、だが、事前にあった連絡とは違うぞ。この娘が嘘をついているのではないか」
「……竹里先生。この手紙は本物ですよ。間違いなく」
「だが、だからといって……」
「竹里。仕方ない。○×にはあとで弁明させよう。今日のところはこの娘を歓迎するしかあるまい」
「そうか、竹里。わかったよ。わしも大人げなかった」
……ん、竹里さんが二人?
丸いのも細いのもどっちも竹里さんなのか?
兄弟だろうか。
でも、兄弟がお互いを「竹里」と苗字で呼び合うはずがないから、同じ姓の他人だろうか。
さっぱりわからないぞ。
ただ、二人は手紙を持ったまま出ていった。
私のことはもう一瞥さえもしない。
一人残った執事さん―――この人が手紙が本物だと断言したが、私に向かっていった。
「どうぞ、黄山さん」
「え、どこに?」
「私は主人に命じられましたので、あなたに食事を召し上がってもらわなくてはならなくなりました。そのご案内をいたします」
「食事って……」
「こちらにそう指示があるので」
と、見せられた手紙はさっきの白紙とは違っていた。
字が書かれていたのだ。
しかも、さっきとは真逆の―――
『この手紙をもっていった者をどうか歓迎してやってください。お好きなように振る舞わせてもかまいません。毛の一本まで、手を出さないようにお願いいたします』
と、あったのである。
完全な改竄であった。
しかし、こんなことができるものは……答えは一人しかいない。
(明王殿レイの仕業なのかな。……でも、いったいなんのためなんだろう)
私はさらに煙に巻かれたように状況を把握できなくなっていった。
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