第610話「芝居と執事」



「ちょっと待ってください!!」


 私はヤンキーみたいな巫女に縋りついた。

 誰がどう呼んだって、私が目を通した手紙の内容はおかしい。

 普通ではない。

 これではまるで―――売買譲渡されているかのようだ。

 人身売買みたいな。

 その言葉で説明しきれるとも思わないが、少なくともニュアンスだけはわかるだろう。

 でなければ、悪質なブラックジョーク以外は考えられない。

 もしくはどこかですり替えられてしまったか。

 この厳重に封をした手紙を私に渡したのは候補者先生なのだ。

 どうしてもおかしい、理屈に合わない。


「もしかして、あなたが書き換えたんですか!?」


 すり替えられたとしたのならば、犯人は目の前の巫女しかないはずだ。

 そんなことが不可能だとしても、ありえる範囲での容疑者は彼女しかいない。


「オレがそんなことをして何の得があるんだ?」

「政治家になろうという人の手紙をすり替えて弱味を握って脅迫しようとする人はいると思う……」

「おまえはオレがそういう奴に見えるってのか?」

「見える見えないの前に、理屈で考えるとあなたはとてつもなく怪しいだけです」


 すると、巫女さんは噴きだした。

 笑いが止まらないようだ。

 こちらを無視して数十秒笑い続けてから、


「いいねえ。オレはおまえみてえに一見貧弱で子供ガキっぽいのに、トラブルの臭いを嗅ぎ取るととたんに冷徹に頭の回転が早くなる奴が好きだぜ。……もっとも、まだ甘いな。おまえ、今までの人生で修羅場は味わっていねえだろ。だから、読みが甘い」

「何が言いたいのですか?」

「簡単さ」


 巫女は手紙をもう一度私の手から獲ると、表面を撫でた。

 驚くべきことが起きた。

 紙に書かれていた文字が全て消えてしまったのだ。

 ボールペンで書かれた文字がまるで消しゴムで消されたかのように。


「え、え―――?」

「紙の表面に超薄い被膜みたいな幻覚を張った。これでこいつに書かれた内容は誰にも読み取れない。……幻法使いみたいに幻術に特化した術者ならばともかく、ただの人間や妖怪程度では見破れねえ」

「なに、そのドッキリテクスチャーみたいな真似は……?」

「そいつは知らねえが、まあ、よく会議や裁判で相手を引っ掛けるときに使う術さ。これで、相手方はおまえのことを獲物としては考えない。手紙自体に沁みついている候補者の臭いは本物だから、まず間違えることもないだろうしな」

「どういうことなのよ」

「おまえがこの手紙を届けてしまえば仕事は終わりってことだ。あとはオレに任せればいい」

「任せればいいって……」


 そういうと、巫女は私の軽自動車の後ろのトランクを開けた。

 鍵をかけていなかったのだ。

 中は何も入っていないので、空っぽのままだ。

 そこをじっくりと観察してから、


「よし、このサイズなら三十分程度なら隠れてられるな。……おい、おまえ。オレはあの〈竹取の翁〉の結界には入れそうにねえから、おまえが運んでくれよ」


 私は首をかしげたが、実のところ、言いたいことはわかっていた。

 巫女はトランクに隠れて竹里さんの屋敷に潜り込もうとしているのだ、と。

 まるでアルセーヌ・リュパンのように。

 そして、多分、そのために私を足止めしたのだ、とも。


「やめてください! あなたがしようとしていることは悪いことですよ!?」

「悪いってことはねえな。おまえはあのままオレが放っておいたら、この先の竹林の中の妖魅に食い殺されて終わっていたんだぜ。それを助けてやっただけで十分に善行だ」

「喰われたって、……そんな馬鹿なことが……」

「あるのさ。わざわざおまえが周囲に黙っているように釘を刺してお使いに出したりしたんだろ、ボスが」


 確かに私が竹里さんのところに行くのは、候補者先生以外誰も知らない。

 黙っているように口止めもされている。


「他にも事務所にはわりと役に立っていないのもいたけれど、口が軽いとか目立つとかそのあたりで候補から外されて、最終的におまえになったはずだ。だいたい、この手の使者に選ばれる奴は、使と決まっているんだ。おそらく、おまえは後者のグループだろう」


 トランクに足を半分掛けた状態で巫女は言った。


「いいか。おまえがここで引き返したとしても、どのみち今度は別の奴が送り込まれて食い殺されるのがオチだ。だから、今がチャンスなんだよ。だからさ。オレが妖怪を斃すのを手伝ってくれ」


 真剣な言葉は届くものだ。

 私程度の半端な人間にも、このヤンキーみたいな巫女の真面目な頼みは響いた。

 もしかしたら騙されているかも知れない。

 担がれているのかもしれない。

 本当だとしたら、物凄い危機的状況なのかもしれない。

 でも、私はどうしてだろう、この巫女さんのことを信じてしまった。


「変なことが起きても守ってくれるの?」

「当然だ。オレは〈社務所〉の媛巫女。救われぬ衆生を力づくで助けてこの世を平定するのが任務なのさ」


 迂闊にも、私は彼女のことを信じてしまったのである。



             ◇◆◇



「……聞こえてますか?」

〔おう、大丈夫だ。車はこのままにしておまえは先に行け。オレも少ししたらついていく〕


 スマホからはヤン巫女(ヤンキーみたいな巫女では長すぎるから略した)の声がする。

 番号は交換済みだ。

 人柄はさておき、彼女の言い分を百パーセント信じた訳ではないけれど、どのみち私は竹里さんの家にいかねばならない。

 お使いもできなければ選挙事務所からは追い出されるだろうし、そうなると准教授の覚えも悪くなるのは眼に見えている。

 来年からは就職活動だし、できればパイプは繋げておきたい。

 それに彼女―――明王殿レイと名乗ったヤン巫女のいうことを確かめてみたいという好奇心もあったのだ。


〔バッテリーはもつか?〕

「会話しっぱなしでは無理だと思う」

〔わかった。打ち合わせた通りに省エネのままサイレントモードで動かせ〕


 スマホを耳に当てずに喋っていると、独り言をしているようだけれど、最近はこういう人も多いのであまり気にはならなかった。


「……黄山様でございますか」


 突然、前から声を掛けられた。

 さっきまで誰もいなかったような気がするのに。

 もしかしたら、私のが聞かれてしまった?


「あ、はい。そうです。○×先生の使いできました。……竹里さんでございましょうか」


 普通の背広を来た中年男性だった。

 ただ、細っこくてキツネを思わせる。

 狡賢そうという訳ではない。

 私に深々と頭を下げる。

 ちょっと芝居じみていた。


「いいえ、自分はこの屋敷の執事を勤めているものでございます。あなた様をお迎えに参りました」

「それはどうも……」


 たかだか女子大生のお使いにする慇懃な態度ではない。

 こちらが戸惑う程だ。


「ご案内いたします。当屋敷の主がお待ちかねです」


 またも芝居じみた礼と手の上げ下げをしてから、執事と名乗った男性は歩き出した。

 ただ、私としては一言だけ言いたいことがある。


(執事というのならタキシードを着ていてほしいんだけどねえ)


 この時点ではまだ私はお気楽極楽の状態であったことは否めなかった…… 

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