第608話「年下のヤンキー巫女さま」
私の車には残念なことにカーナビはついていないので、スマホのナビ機能を使うしかなく、やや精度の悪い案内を頼りに、目的地に向かった。
お使いの相手の名前は、竹里さんというらしい。
候補者先生があそこまでいう程なのだから、このあたりでは相当の名家なのだろう。
味方にすれば、こんな選挙中盤の不利なビハインドを引っ繰り返せるぐらいの。
もと大地主とか御殿様の類いだろうか。
普通の議員や社長クラスではそんな真似は不可能なのは、世間知らずの女子大生でも理解できるので、もうちょっと大物なのは確かである。
「それにしても遠いなあ」
私たちのいる選挙区から、その竹里さんちへの道のりはやたらと遠い。
千葉県、特に房総半島にまでくるとほとんど東京都はケタの違う田舎なイメージがあるけれど、竹里さんの家のあたりはもっと酷い。
例えば、選挙が公示されると、すぐに各運動員が選挙管理委員会の設置した掲示板にポスターを貼りに動きだす。
掲示板は各集落の入り口とか、公民館の脇、公園の傍などに設置してあるので、慣れればすぐに特定できるようになるのだが、数か多い上に面倒なところにあるので貼るのは大変だ。
しかも、GPSはたいてい建物を基準としているので、掲示板そのものにまで案内してくれることはない。
ネットで細かく指定しておけばいいが、普通のカーナビでは時間がかかって仕方がないというものである。
今回の私たちの陣営のように、地元の出身者がまったくいない環境では、そのポスター貼りやチラシ撒きでさえ時間がかかる。
1000枚をポスティングするのに朝9時から初めて夕方6時近くまでかかるなんてざらであった。
千葉県のこんな辺鄙な場所では、選挙だって大変なのである。
(そうなると、私一人でお使いに行くのもわかるかなあ)
いかに大有力者といえども、政策秘書や候補者本人、または目端の効く対策本部長などを一日かけて送り込むのは無駄に思える。
そのために、私のようなたいして役に立たない女の子を使者にするというのはわからなくはない。
さっきのおばさんのような口だけの人をだして、下手にご機嫌を損ねる訳にもいかないし。
……生贄の羊のようで怖さを感じるのは仕方のないことみたいだけど。
竹里さんの家にほど近い、おそらくは山の麓あたりで喉が渇いた。
もしかしたら最後のお店かも知れない個人商店があったので、車を止めてコーヒーを購入することにした。
小さな、まさに個人のお店といった場所には、私ともう一人しかお客さんはいなかった。
路上に止めてあった、でっかい緑色のバイクの持ち主である。
レジで店員らしいおばあちゃんと親しげに話をしていた。
でも、背中を見ただけで私の足は止まる。
だって、白衣と緋袴、それに紫色のボンタンみたいなニッカズボンを履いた、土建屋なんだか巫女何だかわからない格好の女の子だったからだ。
工事があるのか神事があるのかさっぱりわからない。
しかも、肩に背負っているヘルメットを見る限り、あのバイクの持ち主は彼女だった。
腰まで伸びた長い綺麗な黒髪のおかげで、凄く美人のように思える。
あれで十人並み以下だったら裏切られた感半端ない。
「……ありがとよ、婆ちゃん。ちょっと道がわからなくてさ」
「いやいや、構いませんよ。色々と買ってくれたし、成田さまの巫女様に親切にしておくのは善いことですからね」
「へえ、さっきもそうだったけれど、オレが成田山の出ってのまでわかんのかい?」
「そりゃあわかりますよ。このあたりにまでは成田さまの御威光がきているしね。将門公の領内でもありますしね。……まあ、もっともその有難いお情けも、巫女様の行かれる山にまでは届いていませんから、行かれるというのならばお気をつけてくださいね」
「大丈夫さ。オレには仏さまの加護まであるしさ。じゃあ、あんがとうな」
振り向いた土建屋みたいな巫女ははっとする美しかった。
こんな美人間近で始めて見た、というぐらいに。
私の方を一瞥することもなく、すり抜けていってしまう―――はずだった。
こんな謎の美女との接触なんて私の平凡な人生では起こりえない出来事であり、何の接点もなく終わると思っていたからだ。
だが、彼女は過ぎ去るとき、私の着ている服に眼を落した。
「おまえ、選挙の手伝いしてんのか」
「え、あ、私のことですか!?」
私は事務所のスタッフジャンパーを着ていることを思い出した。
黄色なので、もしかしたら時期的に24時間テレビと誤解されたのかもしれないものだった。
ただ、背中にはしっかり候補者の名前がプリントしてある。
何をするにも身分はしっかりとしているということだ。
「はい、無所属の○○をお願いします!」
実際には無所属ではなく、公認も推薦ももらえなかっただけなのだけれど、それはどうでもいいことか。
でも、そのおかげでこんな美人に話しかけて貰えたことがうれしかった。
「ふーん、公職選挙法は大丈夫なのかよ?」
「……?」
何を言われたかわからなかった。
公職選挙法違反って、そんな悪いことをした覚えはないのだから。
賄賂とかもらったりあげたりしたっけ?
そんなニュースで聞きそうな悪いことが頭に浮かんだけれど、身に覚えもないし心当たりもない。
だから、私はアホ面さらすしかしかたなかった。
口を開くとガテン系というよりもヤンキーっぽい美人の巫女は言った。
「おまえ、未成年だろ。選挙活動をしたら違反だぜ」
「……えっ」
誰が、未成年だというのだろう……?
何を言われたかわからなかった。
「巫女さま。この人は、さっき店の前に車を運転して横付けしていたから、少なくとも免許のある年齢ですよ。見たところ、高校生っぽいですけれど」
「そうなのか?」
それでわかった。
私のことを高校生だと誤解していたのか。
確かに、私はこの眼前の巫女さんに比べれば子供っぽいよ。
特に胸のあたりが。
……モデルのように身長があるだけでなく、胸もホントーにたわわな、この美人からしてみたら子供っぽいし、童顔だし、高校生に見えても仕方ないけれどさあ。
いや、おっぱいの有無で女を判断したのならさっそく切腹してもらいたい。
差別だ。
おっぱいヘイトだ。
「いや、悪かった。傷つけるつもりはなかったんだ。てっきり高校生だとばかり、さ。まさか、年上とは思わなかったんだ」
「年上?」
「ああ。あんた、車の免許があるってことは少なくともオレよりは一つは年上なんだろ。不躾なことを言ってすまなかった。育ちが悪いもんでさ」
そういうと、巫女さんは私の肩を叩いて、店から出ていった。
多少、苦笑いをしていたのは私のせいだろう。
バイクのエンジン音が響いて、まるで夏の蜃気楼のように。
しかし、何よりも気になったのは……
「もしかして、あの子、高校生なの!?」
である。
車の運転免許は十八歳からとれるものであり、「オレよりは一つ上」ということは、少なくとも彼女は十七歳。
高校生だということであった。
まさか……あの外見で……十七歳……
あの巨乳で―――
「負けたわ……」
私は敗北に打ちひしがれた。
◇◆◇
「ふんふんふん~♪」
候補者先生から貰った一万円は節約したいので、コーヒーとあんぱんだけで簡単に腹ごしらえを済ませ、私は車を走らせた。
竹里家のあたりは千葉の何を考えて住宅地開発をしているのだかわからないデベロッパーでさえ手を出さないような場所にあった。
なんと畑道らしい横道さえほとんどなく、整備された県道と町道から脇に入ると、舗装されていない道路が延々と続くのである。
千葉県らしく、標高の高い山がほとんどない景色も、こうまで何もないと首をかしげたくなる。
普通の農家もないのだ。
それなのに、途中にぽつんと選挙用の掲示板があったりしてなんともちぐはぐだ。
あの掲示板を見る人なんて片手の指よりも少ないのではないだろうか。
それともこの先にそれなりに大きな集落があったりするのか。
よく考えてみると、カーナビの目的地周辺には建物らしいマークさえ見当たらないのだ。
衛星からの画像でもはっきりしないような場所にいったい誰が住んでいるのだろう。
景色がいきなり竹林に切り替わった。
田舎によくあるほったらかしにされた竹林ではなくて、等間隔に竹が群生しているので、誰かが定期的に手入れしていることがわかるものだ。
つまり、ここから先は竹里さんの私有地ということか。
竹里という名前に相応しく、竹に囲まれた暮らしをしているということか。
竹林の手入れにはお金と手間がかかるそうだから、やはりお金持ちなのだろうと羨ましくなった。
そして、しばらく進んでようやくはっきりと敷地内と思われる場所に出た。
石畳とさらに竹林がつづく通路だ。
車ではこれ以上、いけそうもないので降りて隅っこに停めると、私はクリアファイルをとりだした。
ここに挟んである手紙を渡せばそれでお使いは終わり、なのであるが……
「でも、これって本当に大丈夫なのかなあ」
私は手の中の手紙を見た。
ついさっき、封を切られてしまった手紙を。
私からこれをひったくって勝手に中を覗いた、ヤンキーみたいな巫女の言葉を私は反芻した。
『―――なるほどな、おまえ、道理で運がなさそうな顔している訳だぜ。こんな手紙の運び屋をやらされるようじゃ』
と、言われたばかりなのである。
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