―第77試合 妖界選挙戦―

第607話「選ぶもの、選ばれるもの、選んだもの」



 チラシの一枚、一枚にシールをちまちまと貼る作業にいい加減飽きてきた。

 私は周囲に見つからないように小さく欠伸をする。

 他のボランティアたちは一様に真剣で、中には鬼気迫る人なんかもいる。

 確かに選挙は国民の権利であり、自分の支持する政治家の応援のために頑張る気持ちはわからなくもない。

 ただ、会社を休んでまで参加したり、小さな子供まで連れこんで家族全員でお手伝いをするほどのめりこむのはどうだろう、と思わなくもない。

 私が駆り出されている選挙事務所は、千葉の田舎ということもあり、かなりだだっ広いのだが、いかんせん運び込まれた椅子もテーブルも少なく、協力者がブルーシートに座って作業するという野戦病院っぽい雰囲気になっている。

 頻繁に出入りする選挙カーの運転手やら、チラシ撒きの協力者やらが汗水になって働いてはいるものの、私なんか夏の暑い最中をちんたらシール貼りに費やしているという具合だ。

 さすがに公示して一週間の選挙中盤ともなると疲労の色の見え始めた協力者も出始め、たまに帰ってくる事務所の主幹クラスはほとんど死にそうだった。

 まあ、そうだろうと思う。

 ちょっと前の都知事選挙では議会の与党が推す候補が大敗したうえ、来年の春に予定されている都議の選挙での敗北も予想されている。

 つまり「風が吹いている」状態なのだ。

 そうなると、これまでの従来型のやり方ではどう転ぶかわからない。

 だから、候補者も後援会も手段を選ばず死ぬほど一生懸命にやっているというわけである。

 でも、選挙の時だけ頑張っても普段から政策とかに精を出していないと片手落ち以外のなにものでもない気がするけれど、ボランティアの女子大生の身では何も言わないで黙っているのが正解だ。

 しかも、私はこの事務所に縁もゆかりも知り合いさえもいないので、特に話し相手もいないから口を閉じていても不便はないし。

 単に大学生の時分に間近で国政選挙を体験できる得難いチャンスだと思って、たいして親しくもない准教授の先生の誘いに乗っただけである。

 その准教授はここの候補者の友人であるという話なので、多少は単位をとるのに都合がいいという打算もあった。

 女子大生の夏休みの一週間ほどを、お金にもならない体験に使うというのもたまにはいいものかもしれない。

 おかげで、私は選挙の裏というものを(あくまで学生のレベルからでの話だけど)垣間見ることができた。

 選挙が始まるとアポなしでやってくる、手をポケットにいれたままで横柄に喋る同じ党の参議院議員。

 普段は国内を放浪していて、こういうときに呼びだされて雑用をこなす、どうやって生計を立ててるんだかわからない中年男性。

 選挙事務所にいていいのかも怪しい外国人の一家。

 選挙協力のためといって強面の男性を置いていくさらに強面の土建屋。

 しかも、後援会どころ事務所には地元の出身者は一人もおらず、誰の票を集めたいのかさえも明白ではないときたものだ。


(……落下傘候補どころの騒ぎでもないわよね)


 これでは地元に利益誘導するために立候補している、地元代表の方が遥かに政治家らしい。

 単に当選して代議士という就職活動をしたいだけのようにしかみえなかった。

 

(わかってはいたけれど、現実の政治の世界はどろどろしているわ)


 腐っている、とは思わない。

 やり方を少しは考えた方がいいと思うだけ。

 でも、色々と観察していてわかったことは、この国の政治の世界においてはこういうやり方が浸透してしまいすぎていて、もうマニュアル化しているらしいので変更しづらいということだった。

 また、典型的などぶ板選挙をやった方が、投票率の高い高齢者層には受けが良く、政策議論なんて誰も望んでいないという現実もわかった。


「なかなか難しいものね」

「なに、あんた。シール貼るのが大変なの? もう何日も手伝っているじゃない」

「……手先、ぶきっちょなんです」


 隣で同じ仕事をしていたおばさんが言った。

 彼女とは朝から晩までチラシにシールを張る雑用をしていたことがある。

 このシールというのは、選挙管理委員会が候補者に渡すもので、これが貼っていないチラシを撒いたりするのは違法であるから、多くの人がこのつまらない仕事に時間を費やさなくてはならなくなる。

 私だけで二万枚は貼っただろう。

 おばさんは要領よくサボっていたりもしたので私の半分ほどだが、その分舌の回りは二倍も多い。


「いいかい。うちの先生を国会に送りだせなけりゃ、日本のねえ、民主主義がねえ、終わるんだよ。日本の明日のためにもこの選挙に勝たないと」


 賭けてもいいけど、このおばさんはそんな高尚なことは考えていない思う。


「……そうですよね」

「ああ、政府の連中なんて役に立ちやしないんだ。ここは何としてでも政権交代を果たして日本を良くしないと」

「でよね」


 生返事が増える、増える。

 特に真面目に聞く気がしないとはまさにこのこと。

 ちょっと前に政権交代があったという事実を忘れちゃっているのも困りものだ。

 政治の話云々の前に、政治の知識がない人とお話しても辛いだけなのよ。


「―――黄山千春さん、ちょっといいですか」

「今はあたしが話してんのよ!! ……え、あ、先生!」


 おばさんの話を遮り、私に話しかけてきたのは、ここの主である衆議院議員補欠選挙の候補者であるとある男性であった。

 外で会うと物腰の優しそうな上品な紳士なのだが、事務所の中ではわずかに傲慢にところが見え隠れするので、初ボランティアのときから好きにはなれない相手だった。

 むしろ、嫌いなタイプだからこそ、興味があって事務所でのボランティアを続けていたといってもいいかも。

 スネーク気分というやつである。

 内部から探ってやろうという感じだった。

 そのぐらい、すでに私の中ではこの事務所での選挙活動は無意味なものに成り下がっていたのである。

 とはいえ、今は候補者とはいえ、かつては衆議院議員であったおじさんの放つオーラのようなものはわりと健在で、社会経験の足りない小娘では圧倒されてしまうのもしかたのないところだ。

 思うに、やはりどんな人でも国会議員レベルというのは国を代表できるだけあって相応の迫力があるものなのである。

 この銀髪ポマードもそうだった。


「佐藤さん、ちょっと黄山さんに頼みたいことがあるので、あとはよろしくお願いしますね」

「はい、先生。でも、このお嬢さんの代わりにあたしでもお役に立てますよ!!」

「有難い申し出ですけれど、ムードメーカーの佐藤さんを現場から外したら、事務所の雰囲気が盛り上がりませんからね。佐藤さんはここでお仕事、お願いします」

「まあ、そうですね。先生のおっしゃる通りだわあ」


 ……シールを貼るだけの単純作業にムードもくそもないだろうに、おばさんは尊敬しているだろう代議士のおべっかを真に受けて作業に戻った。

 私はというと、名指しで呼ばれたので仕方なくくっついて、裏に行った。

 

(いやだなあ、まさか可愛い女子大生だからって口説かれるのかなあ)


 そんな埒もないことを考えていると、元議員の先生は私にクリアファイルを手渡してきた。

 地図と封筒が入ってる。

 封筒は、事務所で使っている「○×後援会事務所 住所……」とかのものではなく、なんか豪勢な高級紙でできていて、しかも、厳重な封印がされていた。

 なんだか、安物のクリアファイルにはそぐわないような……


「これを地図にある建物のご主人に渡して来てくれないか」

「はあ……」


 何で、私が、と思ったので不審そうな声を出してみた。


「実はね、その住所はちょっと市街の寂しいところにあってね。車で行くしかないんだけれど、他の車はみんな出払ってしまっていてね。黄山くんぐらいしか残っていないんだ。君、確か裏に車できていたよね」

「親のものですけど……」


 確かに私はここのボランティアに自家用車で通っている。

 親のすねをかじっている女子大生のくせに生意気だが、私の家は特別裕福というわけではない。

 家族に数台、車が必要なあたりに住んでいるというだけだ。

 あと、夏にエアコンの効かない移動手段をとっていたらもれなく死ねるから、という理由もある。

 だが、おかげでこんなお使いを命じられるとは、悪目立ちしていたのかもしれない。


「えっと、私なんかで……」


 いいんですか、と言おうとしたら遮られた。

 よくよく人の話を遮るのが好きな政治家だ。

 朝まで生討論みたいである。


「実はね、この住所に住んでいるご主人はね、この地域ではけっこう著名な人なんでね、どの候補者も自分たちの陣営に引き込もうと狙っているらしいんだ。ただ、まだどこにもなびいていない。でもね、もう選挙も終盤だ。必勝を狙うというのなら、是非とも味方にしておきたい相手だ。そこで、その親書を君に頼みたいという訳なんだ」

「だったら、政策秘書の森さんや、先生ご自身でいかれた方が……」

「それができたら、苦労しないよ。僕だって何回か訪問したさ。でも、ご主人はね、どうも並み程度の政治家なんて相手にしてくれないんだ。他の陣営もけんもほろろだったらしい」

「なおのこと、私なんかじゃあ」

「いや、うまくいくかどうかは関係ないんだ。アプローチを続けることが大事だ。だから、こんな中盤なっても何度も手紙を届けて熱意というものを示していきたい。そうは思わないかい?」


 さすがに政治家は口というものがうまい。

 つい、うんと言ってしまった。


「良かった。では、頼むよ。……ただし、このことは内緒にしてくれ」

「内緒ですか?」

「ああ。ここまでご主人に追い払われていた他の候補者までがいつまでも同じことをしてくれると困るからね。僕らはあくまで悪い言い方をすると抜け駆けするつもりなんだから、黙って動かないと。……ただ、言っては悪いがここの事務所にも情報漏えいしたり相手の陣営のスパイがいるかもしれないからね。これは極秘のミッションなんだ」

「はあ」

「その点、君は一週間見ていた森君の話では、真面目で他とも余計な会話もしないで仕事に取り組む堅い人材だそうじゃないか。僕と森君の視る目は確かだからね。君に頼もうと決めたんだ」


 もともと車の有無で決めたはずじゃなかったかしら。

 あと、ぼっちのコミュ症気味なだけなので過剰評価は止めて欲しい。


「わかりました。他の皆には内緒で行ってきます」

「ああ、ご家族とかSNSにも上げないようにね。どこから情報が漏れるかわからないから」

「私の動向なんて誰も気にしていませんよ」

「念には念を入れてさ。もちろん、僕は君を信じているから、そんなことはありえないとわかっているけどね。じゃあ、そのまんまいってくれ。あ、これはガソリン代ね。多かったら途中でご飯でも食べてよ」


 ……念押ししておきながらよく言うわ。

 まあ、こんな話をネットに流しても得はないから別にやらないけどね。

 握りしめられた掌の中には一万円の札が入っていたのはちょっと驚いたけど。

 ガソリンとご飯代にしては多すぎて、利益供与なんかにあたらないのかな、これ。

 まあ告発する気もないし、儲けたと思っておくとしますか。


 そうして、私はクリアファイルとともに車に乗り込んで出発した。

 私が出発するのを後ろから確認していた政策秘書の森が、奥にいた候補者にたいして耳打ちをしたことも、その内容も知らずに。

 耳打ちした内容が、


「あの娘、出発しました。出掛けるまで誰にも接触していません」

「うまくいくといいのだが」

「大丈夫でしょう。かの竹取の翁は若い娘が大好物ということですし、簡単に喰いつくようにさっき車に例の膏薬を塗っておきました。ドライブしている間にいい具合に臭いが染みつけば、すぐにでもあの屋敷に招かれることでしょう。そうすれば、まずあのバケモノが先生のために動いてくることは間違いありません」

「そ、そうか。あの女一人のおかげで僕もまた議員に戻れるんだな。ありがたい、ありがたい」


 そんな聞きようによってはなによりも恐ろしいものであったということさえもまったく知らずに……

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