第606話「〈社務所〉巨頭会談」



「―――藍色が例の技を習得したようです。これで猫耳流交殺法は、彼女に完全に伝授されたことになります。さすがは私のラブリー藍色。―――私の十七年にも及ぶ娘愛が実った瞬間ですな」

「……猫耳天侠てんきょう。おまえの父親が息子に奥義の全てを伝えなかった理由がよくわかりますよ」

「いやあ、私は才能がなかったから当然です。えへんですよ。だから、藍色にはばっちり全部を伝えることに集中して成功させたんです。妻にはそれがいまいちわからなかったようですが。すぐに実家に帰るし」

「猫耳先輩の奥様が逃げだすたびに、自分たち後輩に行方を探させようとするの、そろそろやめてくれませんか。結局、帰られるのはいつもご実家なんですから」

「いや、もしも妻がどこぞで浮気していたら困るじゃないか。安否確認はきちんとしないとね。我が家族の危機なんだよ?」

「それは先輩がボクシングに現を抜かすのを止めればいいだけなのでは? 奥様の最大の不満点はいつだってそこなのですから。だいたい先輩のおかげで、藍色ちゃんは〈社務所〉でも初めての退魔巫女なのにボクサーというもうどうしようもないぐらいに変な女の子になっちゃったのですから、そりゃあ奥様の不満もよくわかりますって」

「いや、素晴らしくない、それ?」


 猫耳藍色の父親にして、於駒神社の宮司であり、さらに歴史ある猫耳流交殺法の伝承者である猫耳天侠は、異論に対してまったくもって耳を貸さない狂信者のように目を輝かせた。

 不知火こぶしは、はあとため息をつく。

〈護摩台〉がまだ導入される前の、〈社務所〉の退魔師が男中心だった時代のメンバーであるため、こぶしにとっては十歳ばかり年上の先輩にあたる。

 初期の頃には、こぶしたちの範士役を勤めていたほどの腕利きなのだが、いかんせん性格が緩み過ぎていて一年も務まらなかったという過去を持つ。

 ただし、もと四宿である新宿周辺から江戸全域を護るという於駒神社の神主ということで退魔師としては際立って優秀なのは確かなので後輩たちにはよく頼られていた。

 逆に迷惑をかけることも多いのでもあるが。


「よく先輩みたいなちゃらんぽらんから藍色ちゃんみたいな真面目な娘ができましたね……」

「だって、私も真面目だから」

「たゆう様。自分、殿方に幻滅したのは久しぶりです」

「諦めな。男ってものは、女の幻想をことごとく踏みにじって生きているものなんだよ」

「……結婚するの迷っちゃいますね」

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。まるで私が男の代表みたいに言わないでください!! 世の中にはもっときちんとした男だっていますからね!!」

「―――自分がきちんとしていないのは理解しているんですね……」


 ここでようやく〈社務所〉の重鎮・御所守たゆうが迷走しかけていた会話を修正した。


「おまえたち、いい加減にしな。まったく、いつまでも子供気分でいるんじゃないよ。もうおまえたちは関東一の退魔組織の基幹であることを忘れるんじゃないよ」

「いや、自分は真面目にやっています。猫耳先輩が―――」

「私のせいにするなよ」

「大部分、あんたのせいでしょうが」


 平均年齢にすると四十絡みの男女の会話ではないが、子供の頃からの昔なじみと言うものは他人の眼がなければ案外このようなものである。


「それで、〈鯰牙〉の威力はどんなものなんだい? 確認はしたんだろうね」

「ええ、まあ。影を移動して死角から迫った〈ドールノヅチ〉を金剛夜叉明王の電で停止させて、最後は〈雷光牙〉で仕留めました。彼女の〈鯰牙〉ならば、これまでうちでも手を拱いていた〈ティンダロスの猟犬〉を斃すことができるでしょう。これで、もしも〈Y〉が我が国にやってきたとしても有効な手が打てることになります。あの猟犬の接近を阻むことができない以上、ことができる技の持ち手を得たのは大きいと思います」

「いやあ、さすがはマイドゥーター。まさか、本当に〈鯰牙〉を使えるなんてご先祖さま以来の快挙だよ」

「先輩は〈鯰牙〉は……?」

「使えっこないよ、あんな変態技」


 自分の愛娘に変態技を伝授した宮司は、わはははと笑った。

 普段は退魔巫女の統括として、後輩たちにきりっとした顔を見せるように心がけているこぶしが頭を抱える。

 この能天気な先輩の相手をするといつもこんな風に頭痛がしてしまうのだ。


「とにかく、だ。これで〈五娘明王〉は揃った。奥多摩で昼寝をしているバカ娘はともかくとして、わたくしたち〈社務所〉の予定を前倒ししてもいい速さだといってもいいだろうね。どうだい、こぶし、天侠」

「はい、たゆう様」

「そうですね、おかしら


 たゆうは手にしていた扇をぽんと掌で鳴らすと、


「……では、〈社務所〉のすべての人員は、一月後の星辰のときに備えるようにさせなさい。いいですね、いつまでも帝都の眼と鼻の先にあんな穢らわしい城を放っておく訳にはいきませんから。あの施設で行われようとしている儀式も、あそこに屯っている怪物どもも、残らず駆逐して帝都を守護します。それがわたくしどもの使命なのを忘れないように」


 指示を受けて、猫耳天侠はたゆうの部屋を後にした。

 昼行燈ではあるが、実のところ、都内の忍び以外の禰宜の束ねをしているのは彼であったのだ。

 神宮女音子の父や豈馬鉄心の祖父が政治の世界での妖魅退治を主としているように、やはり巫女たちの家族は〈社務所〉の仕事をするのが常であった。

 普段、ボクシングのことしか頭にないように見えても、天侠かれは不真面目そうではあったが仕事はしていたのである。


「こぶし」


 たゆうの飲む茶の片づけをしてから退出しようとしていたこぶしが呼び止められた。


「なんでしょう?」

「神撫音ララを呼び出しなさい。そろそろ形だけの蟄居を解いてもいいでしょう」

「……ララちゃんを本殿に呼ぶということは、〈社務所・外宮〉が勝手な振る舞いをしていて、たゆう様の逆鱗に触れたというお話をとりやめるということになりますが……」

「ララに好きなようにやらせたおかげで、本殿の態勢もかなり整いましたし、あの娘の私兵も充実したみたいです。あのやんちゃな娘のことですから、まだ手綱を完全に放すわけにはいきませんが」

「わかりました。しかし、或子ちゃんやレイちゃんたちと間に大きすぎる確執ができてしまっていて、すぐには私のあとを襲わせる訳にはいきませんが」

「統括をあの娘にやらせるという案は、おいおい様子を見て決めることにしましょう。ただ、今はあの城を落とすことだけを考えなければなりません。星辰の刻に、一部とはいえ〈螺湮城〉の主をこの世に復活させることなど断じて許してはならないのですからね」


 そして、たゆうは一言付け加えた。


「あの少年の―――命を勝手に賭けたとしても」



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