―第76試合 過去を電撃で打ち破るとき―

第598話「猫耳藍色と升麻京一」



 猫耳藍色は、盆に迫ったオタクの祭典に向けて忙しい日々を送っていた。

 約一名の男子を除いて友人たちには秘密にしているコスプレ趣味のためにである。

 今回、彼女は珍しくたわわな巨乳を活かした某艦隊ゲームのキャラクターを演じるために、かなり無理な肉体改造をしていた。

 おへそ丸出しのスタイルのため、腹筋をシックスパックに鍛え上げ、いつもとは違い鎖骨を綺麗に見せるトレーニングを一月欠かさず続けたのだ。

 おかげで仮縫いの段階でほぼ100%の再現度といってもいいできばえだった。

 後はどのぐらい艤装の出来がいいかだが、こればっかりは彼女だけの工作技術ではなんともならないので臨時に雇ったアルバイトの腕にかかっている。

 このアルバイトは色付きのプラモデルぐらいしか組んだことがないというのに、なかなかどうして裁縫技術も器用にこなし、去年の冬コミの段階から有力な助っ人として認知されていた。

 冬コミ合わせのコスについては、ちょっとした事件に巻き込まれていたせいで最後まで頼めなかったが、それでも春のイベントにはこっそりと協力してもらい、今回は本格的に手伝ってもらえる段取りをつけたのである。

 ラッキーなことにこの手のオタク的イベントについては、いつも口やかましい親友たちがあまり興味を示さないということもあり、下手な勘繰りをされにくいという特典もあった。

 つまり、こそこそと陰で動いていたとしても、オタ系の素養のない同期は誰も口を挟んでこないということだ。

 藍色としては、アンラッキーではあったといえ、自分の趣味を知られてしまった以上、臨時雇いのアルバイト―――升麻京一も巻き込んで楽しくやるという選択肢しかなかったのである。

 ……それが酷い欺瞞であるとわかっていたとしても。


「こんなに見事にゃ41cm連装砲は見たことにゃいです。さすが、京一さん!!」


 とはいえ、用意されたコスプレの部品はもう本物と見間違うばかりの完成度であり、重度のコスプレイヤーである藍色は思わずクラクラしてしまった。

 前から器用ではあると思っていたが、これほどまでとは!!

 ちょっと前まで意識したことさえなかったはずの彼について独占欲が出てしまいそうになる藍色である。

 わざわざ中野の於駒神社までコスプレ衣装の部品を届けに来てくれた少年をじっと見つめる。

 よくよく考えてみれば、藍色の第一の属性である〈社務所〉の媛巫女という立場も、合戦場という賭博場で賭けボクシングをしていた裏の顔も、コミケットなどでコスプレに興じているさらに裏の奥の顔もすべて知られている相手というのはそうはいない。

 しかも、正確は極めて誠実で、御子内或子や神宮女音子というまっとうな異性なら生態を知った途端に尻込みしてしまうような癖の強い女たちと自然な関係を築ける器の広さを誇る。

 なるほど、後継者―――というよりも巫女ならぬ婿不足のギョーカイとしてはあれほどうってつけのたまはないということか。

 そういえば於駒神社うちも婿の成り手に苦戦していたっけ。

 ……ということは、猫耳家としてもちょっといい物件かもしれにゃい。

 同期たちから数歩遅れてレースに名乗りを上げた藍色であったが、その大本の動機といっていいのは「コスプレに理解がある」という部分であったことは本人も気が付いていない事実であった。

 えてしてオタクに含まれるものは、男女問わず好きなものに対しては近視眼的になるということの見本であったのかもしれない。

 ともかく、2016年8月の時期において、形式的にはフリーである升麻京一にアプローチを掛けようとする新勢力は確かに存在していたのである。


「材料費までだしてもらっているからね。結構、いい出来だとは自負しているんだよ」


 褒められて気を良くしたらしい京一が得意げな顔をした。

 自分のことを平凡な人間だと思っていたいらしい彼は、こういうごく普通なことでとても喜ぶ。

 それを可愛いと思い始めているのが藍色の現状であった。


「いやあ、いいですねえ。京一さんの造形って凄くセンスがあると思うんです。MIKAさんもこの前褒めてくれたじゃにゃいですかあ」

「手先にはちょっと自信があるんですよ」


 京一がこんなに照れくさそうに自慢することはそうはない。

 いつも自信なさげな顔をしている少年であるから尚更だ。


(わたしだったら、いつでも自信満々にしてあげられるかもしれませんよ)


 意識し始めたら、藍色も自分が止められなくなりそうだった。

 親友たちがこの少年にゾッコンなのは知っていた。

 ただ知りあって一年以上も経って、藍色でさえ何かに囚われてしまったのかもしれない。

 例えば、それが恋という魔法であったとしても。


『巫女ヨ! 於駒神社ノ巫女ヨ!! 一大事ダ!!』


 次の瞬間、開閉可能なガラス窓を通って、一匹のカラスが部屋に飛び込んできた。

 漆黒で足が三本、しかも口を利くカラス。

〈社務所〉の使い魔である八咫烏であった。

 関東における妖魅事件を、天の高みから人間とは別の視点で発見し、媛巫女たちに伝えるのが主な役割を負っている。

 助けを求めるものたちのSOSを発見するという闇の世界のセーフティーネットといっていい存在だ。

 ただ、京一だけは顔をしかめる。

 基本的に彼は巫女にくっつく害虫として八咫烏たちに嫌われているので、あまりいい感情を抱いていないのだ。

 八咫烏の個体は何匹といるが、ほとんどのカラスたちに「間男」呼ばわりされているのが嫌なのである。


「また、大袈裟に語りすぎなんじゃないのかい」

『黙レ、間男。オマエニハ関係ナイ』


 やはり〈社務所〉の八咫烏たちは京一に対してけんもほろろである。


「どうしたのですか、こんにゃに急いで」

『大変ナノダ、巫女ヨ!!』

「だから、何が……」

『ウルサイ、匹夫メ!!』


 とりあえず京一の意見は聞いてもらえないらしかった。


『奴メガ、奴メガ、マタヤッテキタゾ!!』

「―――奴って何さ」

『於駒ノ巫女ヨ、闘イニ備エヨ、奴ガマタキタノダ!!』


 藍色の顔色が変わった。

 八咫烏の伝えたいことがわかったのだ。

 それは―――


「来タゾ、来タゾ、〈ノヅチ〉が来タゾ!! 町ヲ呑ミ込ミニ、コノ関東ニ再ビヤッテキタゾ!!」


 ……そして、これが猫耳藍色とそのトラウマとなっていた妖怪との決着の時の幕開けであった。


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