第596話「友達の資格」
くるみのスマホから物理法則とかそんなものを無視して飛び出してきた人の躰が、まるでウナギのように持ち主の口の中に吸い込まれていく。
大口を開いたとしても直系10センチにもみたないだろう女の子の口に、成人の全身が呑み込まれていく光景は信じ難く不気味だった。
これは映画のCGではない。
生々しい現実であることは、あたしの耳と目が訴えていた。
じゅるじゅると粘質性の液体が流れていく音とこの世界のものでしかありえない緑色に濡れた光沢。
平べったいスマホのどこにもこんな人間大のものが入っていられるスペースはない。
これが、妖魅。
かつてあたしを襲った〈高女〉と同じように、闇の世界に巣食う化け物。
もしも、あたしが駅で偶然にくるみと出会わなかったら、もしも、あたしが神宮女音子を呼ばなかったら、遅かれ早かれ、こいつはこうやってあたしの親友を乗っ取っていたに違いない。
『ぎゃぎゃぎゃ、こうなってしまえばもう手は出せないだろう、退魔師! けったいな格好をしているが、てめえの放つ聖なる神通力は隠せやしねえ。俺なんぞまともにやったら即祓われちまうに違いねえ。―――だがよ』
「……ヴヴヴ」
『俺をこいつから引き剥がす手段はねえぜぇぇぇぇえ、退魔師よぉぉ!! 何と言っても、俺らは友達だからなあ!!』
くるみの声で誰かが叫ぶ。
男か女かもわからないが、ただ一つ言えるのは、こいつは邪悪な存在だということだけ。
何が友達であるものか。
耳孔や鼻孔から緑色の液体を垂れ流しながら、くるみの眼は哀れにも助けを求めていた。
あたしと。
神宮女音子に。
だから、あたしは何も考えずにくるみの肩を抱いた。
「ふざけんな!! 人を孤立させて、自分だけがいい奴ヅラをするやつが友達であるもんか!! そんなの自分が満足していればいいだけの勝手な人形遊びだ!! あたしたちは人形じゃない!! 人間だ!! 想いや感情を大切にされてはじめて友情を感じられる生き物なんだ!! おまえなんか、くるみの友達じゃない!!」
『悔しいのかよ、人間。だがよお、てめえはもうなにもできねえだろ? 無力なんだろ? ―――だったら、黙ってろや!!』
「汚い言葉で脅せば誰もが引っ込むと思っているみたいだけど、あたしには効かない。誰かを下に見てマウントとっていい気になっているようだけど、それもあたしには効かない。―――あたしは升麻京一の、お兄ちゃんの妹なんだよ!! もういちいち化け物になんてビビッてはいられないんだよ! くるみ、意識を保って!! こういうときに気を失ったら化け物に完全に乗っ取られるんだ!! だから、どんなに苦しくても痛くても目を覚ましていなくちゃダメ!! いい、自分をしっかりと保つんだ!! くるみ、桐木くるみ!! 聞こえている、くるみ!! あんたは桐木くるみだ!! あたしの友達なんだよ!!」
『無駄なことをやめやがれ!! 俺とこいつはもうすぐ一緒になるのさ!!』
「させない!! 絶対にさせない!! そのためにあたしはくるみに呼びかけているの!! 邪魔すんな、バカあ!!」
『てめえに何ができるってんだ、この役立たずが!! 黙って大人しくみていやがれ、絶望ってやつをよ!!』
「できる!!」
あたしは断言する。
例えあたしにはできなくても―――神宮女音子にはできる!!
すごく性に合わないけれど、絶対に信頼できる相手でなければ、
それに、こんな状況程度、簡単に引っ繰り返せなくてうちの兄の彼女候補になんてなれるものか!!
「神宮女音子ならできる!!」
「シィ。当然。あたし、失敗しないから」
声はすぐ後ろ、肩口のあたりから聞こえた。
じっと機会をうかがっていた神宮女音子がついに動いたのだ。
だが、あたしの後ろから何をするつもりなのか。
「〈大威徳音奏念術〉―――朧撃ち」
神宮女音子の掌があたしの背中に触れたのがわかった。
同時に凄い力で胴体をくるみに押し付けられ、ぴったりと肉体同士が触れ合った。
その瞬間、
びくん!!
あたしのお腹が無くなったかのような喪失感を覚える。
感覚があるのは両手の先ぐらいで、お腹から下が切断されてしまったかのように感じた。
そして、その虚無を通じて別の何かがあたしの腹部を抜けて、くるみへと伝播する。
波、といえばいいのか。
衝撃、の方がいいのか。
とにかく体験したことのない不思議な感触が抜けていった。
その波が到達したのか、くるみにも異変が起きていた。
なんとさっきまで体中の穴から流れ出していた緑色の汁が、一気に滝のように噴きだし始めたからだ。
色が気味悪いので緑色のゲロのようだった。
しかも、耳孔や鼻孔、口だけでなく、一部の汗腺からも噴きだしたのか、くるみが緑色に染まってしまう。
何が起きたというのか。
『バ、バカな、俺が押し出される!! 呪法や儀式もなしに!! 霊体のこの俺がああ!!?』
流れ出た緑色の汁はその一部が合流し、人のカタチに固まっていく。
よくよくみると、胸の膨らみの様なものがあるので、「俺」という一人称を使う癖にじつは女性だったようである。
あたしにもこの緑色の人型がくるみに憑りつこうとした悪霊の本体だとわかった。
どうやってあんなスマホに入っていたかなんてもうどうでもよくなるぐらいに異次元だ。
『てめえ……』
這いつくばった先から神宮女音子を睨みつける。
顔だちもはっきりとしてきた。
やはり女の人だったようだ。
「あたしの〈大威徳音奏念術〉は原子の動きまで止める。だから、生き物を仮死状態にすることもできる。必殺技だから、直接人に使うのは危険だけれど、もう一人の身体を通して使えば、人の生体活動に必要な部分だけに及ぼすこともできた。仮死状態にしてしまえば、おまえは人の躰を乗っ取れないだろう。だから、強制的に
どういう理屈なのかは不明だが、やはり神宮女音子の技がこの悪霊をくるみの躰から追い出したのだろう。
「おまえの敗因は涼にゃんをいつまでも払いのけず嬲っていたこと。だから、あたしの朧が使えた。―――いや、最初からクルミンの傍に涼にゃんを寄せ付けてしまったことかもしれない。つまりは、おまえの押しつけがましい友情は、涼にゃんとクルミンの友情に負けたんだ」
『そんなことあるわけねええええええ!!』
飛びかかった緑色の額に神宮女音子の立てた肘が突き刺さった。
「
技名を告げる間もなく、緑色の悪霊は跡形もなく消滅していった。
あっという間のことであった。
しかも神宮女音子は平然としていて、息一つ荒げていない。
さすがはお姉さまの親友にして宿敵。
並大抵の女ではなかった。
「後片付けする?」
とりあえず、悪霊の吐いた緑色の粘液のせいで汚くなってしまったくるみの部屋を見渡して、神宮女音子はかったるそうに言ってきた……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます