第595話「妖魅の正体」
くるみの首に絡みついたストラップは普通の既製品だった。
手首に回せる態度の輪っかがついていて、アクセサリーとして可愛いフィギュアがついているだけの品だ。
じゃらじゃらと色々とつけている訳でもなく、スマホケースもごくありきたりなものだった。
ただ、そのストラップがまるで生き物のように伸びて動き出したうえ、蛇のごとくに持ち主に襲い掛かるなんてありえない光景であった。
スマホを投げ捨てようと手を放したはずなのに、ぴったりと吸いついたようにとれなくなっていた。
こういう手品を見たことがあるけれど、くるみが演技でこんなことをしているとは思えない。
どう考えてもあのスマホに命が備わって暴れ出したようにしか見えないのだ。
「やだああ!!」
必死になって振り払おうとするくるみだが、状況も理解できていないので変な踊りをしているようだった。
とはいえ、彼女がどれだけ必死なのかはわかる。
自分のスマホが理解できない存在に化けてしまったことを受け入れられずにパニックに陥っていた。
喉に巻き付いたストラップが索条痕のように赤黒くなっていた。
しかもくるみがひっかいた吉川線もできていて、とてつもなく苦しそうだ。
あのままではくるみが窒息してしまう。
あたしは神宮女音子を見た。
こんな場面を看過する女ではないはずだ。
だが、〈社務所〉の退魔巫女はじっと覆面越しにくるみが姥貝ているのを見つめているだけだ。
見捨てた訳ではない。
自称とはいえお姉さまの親友を名乗る人がそんな真似をするはずがない。
そして、うちのお兄ちゃんが認めるはずもなかった。
何かをするつもりなのだ。
決定的な何かを。
ギギギギギギ……!!
スマホがスピーカーモードになり、奇怪な音が鳴りだした。
『くるみいいいいい、てめえ、俺を差し置いて友達作ろうとするたあ何事だあよ!!』
スピーカー越しだからかやや電子音めいてはいるが、聞き覚えのある男の声が聞こえた。
さっき電話にでたあのストーカーだ。
いや、ストーカーなんて生易しいものじゃない。
あたしにはこの声の持ち主が事件の元凶―――妖魅そのものだとしか言えなかった。
「涼にゃん、クルミンは半年前にスマホを買ってもらったって言ってた?」
「う、うん。高二になったからって。GWのときに会ったときは持っていなかったからそれ以降だと思う」
「クルミンのもあたしと同じiPhoneだけど、タイプはiPhone4S。2011年の秋にでた旧いバージョン。買ってもらったばかりのものにしては旧すぎる」
え、あたしは基本的にandroidだから気が付かなかったけど、あれ、旧い機種なの?
「4Sは名機だけど、すぐに5にとってかわられたうえ、2014年には6が出て、来月には7がでるから今更販売されていない。だから、クルミンが買ってもらったとするのならば、SIMカードを取り換えた中古を手に入れたんだろう。ちょっと使用感あったし」
言われてみれば、買ってもらったばかりにしてはよく使いこまれているなと思った記憶がある。
「新品じゃなくて中古。中古のスマホの内部に怨霊が憑りついている。たった数年では〈付喪神〉がつくほどではないから。―――要するに、あのスマホの中には性質の悪い怨霊が憑りついているってこと」
「スマホに憑りついた怨霊!? そんなものが……」
「妖魅とデジタルの相性の良さは涼にゃんも知っているはず。驚くことでもない」
「確かにそうだけど……」
つまり、今あたしの目の前でくるみを襲っているスマホこそが妖魅そのものだということ?
まさか、スマホそのものが妖魅であったというのならば……
「LINEやTwitterのブロックも全部、くるみの端末側がやったってことにならない、それって?」
「だから、そう言ってる。涼にゃん、バカなの、死ぬの?」
「むきー!!」
って、じゃあ、あのブツリと電話が切れるのも?
「よくよく登録されている番号と本来のものを比較すれば違っているのがわかったはず。今の子は端末に登録しちゃうから番号を覚えないから、違いにまつたく気が付かない。そうやって、クルミンは孤立させられた」
「いったい、なんのためによ!?」
「嫌がらせ……もしくは根回し……? SNSの繋がりを断つって理由はだいたいそんなもの」
最近の子供たちはSNS上での付き合いがかなりのウェイトを占めているから、それがなくなったら完全に孤立してしまう人もでてくるだろう。
実際、くるみは高校での友達とは接触できなくなっていた。
中学時代の親友のあたしたちがいるから、そんなに悲観的ではなかったのかもしれないがそれでもメンタルにはかなりの被害を受けていたようだ。
それで孤立した(本当はそんなことはあり得ない。人間のリアルでの付き合いはもっと深いものだ。ただ、LINEとかに依存してしまっていると、それが断絶したときの衝撃と言うのは並大抵のものではないのだ)くるみに対して、あの妖魅スマホは何かをするつもりだった。
もっとも、さすがのあたしでももうわかっていた。
「……ひとりぼっちになったと錯覚したくるみの心につけこんで、仲良くなるため?」
「シィ. いかにも妖魅のやりそうなこと」
もし、あたしが偶然会わなければスマホの怨霊は少しずつくるみを狂わせていき、SNSに依存していた彼女は最期には―――
「でも、そんなことにはならない。あたしが呼ばれたから」
神宮女音子が言う。
まだじっと何かのタイミングを窺い続けている目で。
「この程度の妖魅に好き放題にはさせないから」
神宮女音子の腰が沈む。
足のバネを溜めたのだ。
彼女が仕掛ける―――ほんの一瞬前、
『てめえは俺のいうことを聞けばいいんだよおおお!!』
スマホの画面が輝き、そこから一本の手が飛びだしてきた。
首はくるみが呼吸をするために開けていた咥内に突き刺さると、咽喉の中へとするすると潜り込んでいく。
いけない、あれがもしかしたら、妖魅の本体だ。
あれにすべて入り込まれたらもうくるみは助からない気がする。
「どうするの、神宮女音子!!」
いかにあなたでも、くるみの内部に潜り込んだ妖魅を斃す方法はあるの!?
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