第588話「ニンゲンほどしぶとい生き物はいない」
御子内さんが切り札として使う〈闘戦勝仏〉に限らず、彼女の〈気〉が爆発的に高まったとき、瞳の虹彩が金色に輝き、黒い眼球が赤い炎のように燃え上がる〈火眼金睛〉という現象は、とある魔物が天界を荒らした罪で囚われ、不死の秘薬を合成する超高熱炉で火刑に処されたときの形相を元にしているという。
なにより、〈闘戦勝仏〉とはその魔物が数々の試練を乗り越え、一人の人間を守り切った結果として授記作仏されたときの名前である。
東勝神州の近海にある
見た目は猿であったが、あまりにも美しく、賢く、そして勇気に溢れていたことから美猴王とさえ呼ばれ、仙人に弟子入りして戦術を嗜み、武術に秀でていたことから竜王から武具を贈られ、冥王を脅して不老不死になった一筋縄ではいかない存在であった。
後に、観世音菩薩の導きによって三蔵法師という只の人の弟子となって功徳を積み、天竺までの取経の旅を助けるという勲によって仏にまで上り詰める。
斉天大聖と呼ばれる
「まさかとは思ったが、よくよく考えればてんや明王殿が勝てない相手というものがそうはいるものでもない。
ロバートさんは冷静に分析する。
多分、それは事実だろう。
ただ誤認もいくつかある。
〈社務所〉でも御子内さんの秘密について詳しく知っているものはごく数人に限られるだろうということと……
「御子内さんの力は、彼女の努力と訓練が引きだしたものです。まるで、もともと大きな力があったからそれだけが全てのような言い方は止めてください。いくら、ロバートさんでも僕は許しませんよ!」
「おい……そんなに怒るなよ。私はそんなつもりでは……」
「じゃあ、どんなつもりだというんです! いいですか、御子内さんに限らず、〈社務所〉の媛巫女はみんな必死の努力と断固たる決意の果てにあんなに強い女の子たちになったんですよ!! それは、音子さんもレイさんも藍色さんも、―――てんちゃんだって変わらない!! 彼女たちが五大明王の力があるだけであそこまでになったんじゃあない!! 間違えないでください!!」
僕が珍しく声を荒げたのでロバートさんは少し面食らったのか、しどろもどろになった。
自分でいうのもなんだが、僕はあまり感情的になることがないし、たいていのことには動じないタイプなのでこういう風に噛みつくことはない。
でも、これだけは見過ごせなかった。
御子内さんがあの火眼金睛を見せるためにどれだけの修羅場を潜ってきたか。
あれを出さねばならない敵がどんなに恐ろしい怪物揃いだったのか。
どんな怪物を相手にしても一歩も引かずに戦い続けてきた彼女だからこそ引き出せる特別な力だ。
何もしないで
虎は虎だから強く、竜は竜ゆえに強い。
だが、どんな時代にあっても虎と竜を斃すのは鍛えて一途に訓練してきた人間である。
努力で自分の力を引き出してきた人間に勝るものなどこの世にはいない。
御子内或子は―――それの体現者だ。
音子さんたち〈五娘明王〉だって同じ。
いくらチートな力があったって、前に進む心がなければ同じことで、いつだって彼女たちはその黄金の精神に満ちていた。
ロバートさんだって、それはわかっているはずだ。
「す、すまん。……確かにてんもそういう子だったな。失言だったよ」
「……ごめんなさい。言いすぎました」
ロバートさんにとってはてんちゃんのことはまだトラウマのように残っているはずだ。
傷つけるつもりじゃなかったのに、迂闊にも僕は言いすぎてしまった。
反省しないと……
「だが、御子内の力が孫行者所縁であることは間違いないと思う。疑問なのは、どうやって〈社務所〉が孫行者の力なんてものを見つけたか、だな。〈
「御子内さんは幼少期に東南アジアに一人でいたって聞いています。親切な人が日本に連れ帰ってきてくれて、豈馬家にしばらく預けられたそうです」
「東南アジアか……。花果山といえば江蘇省にある海抜625mぐらいの山だ。だが、伝承において孫行者が閉じ込められていたという五行山はベトナムにあるはずだ。もしかして、御子内がベトナムにいたというのならば、そこで……」
僕らがそんなことを口走っていると、〈
さっきまでの蹴りとは違う。
あの踵もおそらくシューズの内部は黒く染まっているに違いない。
でなければ、あそこまで邪神が痛みを訴えたりはしないだろう。
痛覚も何もなさそうな軟体が歪むのだから、ただ硬いだけではないはずだ。
しかし、信じられない光景ではある。
あの不思議な金色のチョーカーを巻いてからというもの、御子内さんの戦闘力は完全に邪神を圧倒していた。
これまではすべての攻撃が効果なしのようだった〈ラーン・テゴス〉に確実にダメージが入っていた。
打拳も、蹴撃も、頭突きも、完全に邪神を痛めつけていた。
苦し紛れに放つ例の黒い毛など触れることすらできず焼き切られ、御子内さんの放つ光の粒子がこけおどしでないのは明白だ。
懸念なのは彼女の苦しそうな顔だけであった。
呼吸が止まってるとしかみえない青黒い顔色は御子内さんが限界に近いことを物語っていた。
少なくともあの異常な力は何の代償もなく引き出せるものではない。
もうすぐ尽きる。
彼女の〈気〉がさっきまで尽きかけていたのと同じに。
だが、その前に―――
「でりゃあああああ!!」
退魔巫女が五人に分裂した。
正面と斜め左右、そして上に二人。
〈闘戦勝仏〉のための身外身の術だった。
前に目撃したものから二人増えている。
つまりそれだけパワーアップしているのだ。
御子内さんの超人的な歩法はすでに神さえも幻惑させてしまっていた。
それがどれほどのものなのかは想像もできない。
だが、すでに邪神はすべての触腕を振るっても御子内さんを補足することさえ敵わなかった。
「爆散しろおおおお!!」
精いっぱい振りかぶった拳が邪神の三つの眼らしき部位の中心に突き刺さる。
まっさきに御子内さんのコンボからの発勁が決まった部位だ。
さっきはまったく効果がなかった。
しかし、今の彼女は孫行者―――天帝が送り込んだ十万の天兵、哪吒太子と四大天王、武神にして最強の顕聖二郎真君を相手にして一歩も引かずに戦い抜いた天にも斉しい大戦士の化身である。
その一撃は―――叛逆の拳であり、菩薩や如来を相手にしたとしても自己の信念を貫く矜持の顕れであった。
手首どころか肘までがめりこみ、同時に拳の先端が邪神の丸い頭の反対から突き抜ける。
ぐりんと肘を支柱に回転して足を邪神の胴体につける。
それから反動をつけて中空で回る。
御子内さんが身体を捻り伸身で着地した瞬間、これまで見たこともない光を発して邪神〈ラーン・テゴス〉の頭部が爆発した。
おぞましい黒く濁った煙の様な光だった。
「―――あれは何百年どころでは済まない人の魂だぞ!!」
「えっ」
「あの神の身体の中に封じられていた遥か過去の人間の魂が解放されていく!! 私もあんなに旧い魂の色は見たことがない。しかもいったいどれぐらい……!?」
ロバートさんの指摘は合っていたのかどうかもわからない。
しかし、〈ラーン・テゴス〉の全身からは夥しい黒色の光が噴き出して、最後はその光にかき消されるように邪神の醜い胴体も触腕も毛も消滅していった。
「邪神が滅びていく……」
僕はそれだけを事実だと認識していた。
御子内さんの勝利なのだ。
つまりは、人間の勝利だ。
人は神に勝てる。
―――それはまさに大いなる一歩であった。
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