第587話「いしの拳でぶん殴る」



 御子内さんの全身から溶けるように湧きだす光の粒子が拡散して飛んでいく。

 まるでタンポポの綿毛か粉雪のようだった。

 彼女を中心としてゆっくりとした光の竜巻が渦巻きつつ、〈護摩台〉の上がまるでナイターのライトで照らされていく。

 光が発生している訳ではない。

 月光が御子内さんの光の粒子を反射して輝いているだけなのだ。

 もともと月の光は太陽の反射光であるから、光量としてはほとんどない。熱量もまったくないといっていいぐらいだ。

 ただ、その光の中に佇む御子内さんは綺麗だった。

 苦しそうに眉をしかめていたが、僕でさえも理解できる膨大な〈気〉が全身から漂っているのがわかる。

 以前、上智大学で見たレイさんの不動明王顕現を思い出させる、荒ぶる神々の恐怖さえも感じてしまう。

 あくまで人の範疇でありながら、そのくせ明らかに人の限界を越えていることが見て取れる。

 いったい、御子内さんはどんな魔法を使ったのだ。

 彼女は〈五娘明王〉の一員ではないし、強いといっても人間ならばギリギリ可能な動きでの勝利が基本だった。

 でも、今回のこれはそんなレベルではない。

 今までの御子内さんとは全く違う何かがそこに存在していた。


「なんだ、あれは!? おい、升麻!!」

「僕にもわかりません!! 聞かないでください!!」


 じっと見守っているだけの僕と違い、〈護摩台〉の上の邪神〈ラーン・テゴス〉は動き出していた。

 御子内さんの異状など神たるあいつからするとどうでもいいことのはずなのに、何かに突き動かされるかのように四本のハサミのついた触腕で襲い掛かる。

 これまでもずっと躱してきた攻撃だが、今度はそのレベルではなかった。

 彼女の一寸の見切りの特徴は勘を基調にしてギリギリまで目で視て最小限度の動きでもって行うのが普通だ。

 なのに今の御子内さんは違った。


「えっ!!」


 思わず悲鳴に似た声が漏れる。

〈ラーン・テゴス〉の鋭いハサミが御子内さんの胸板を貫いたのだ。

 だが、その後にきっと激しい出血が起きると予想していた僕の悪夢はすぐに裏切られる。

 なんと邪神のハサミは弾き飛ばされて、ぶるんと宙に舞っていた。

 御子内さんの白衣の胸元を見ると確かに鋭利に避けて、彼女が普段つけているスポーツブラが顔を出していた。

 命中する寸前に躱した?

 いや、違う。

 だったら巫女装束があんなに無残に裂ける訳がない。

 では、どうなった。

 しかし、邪神の触腕は一本だけではない。

 移動に使う二本を除けば、あと三本も残っている。

 その三本が続けざまに御子内さんを襲う。


「まさか!?」


 信じられないことが起きた。

 御子内さんの躰には確実にハサミの鋭い切っ先が命中した。

 装束もその分だけ斬られた。

 もっともそこまででしかなかった。

 少女の肉体にぶつかったと同時に堅い音をたてて、ハサミははじけ飛んだのだ。

 まるで鉄板にでも遮られたかのように。

 でも、御子内さんはいつも寸鉄身に帯びずに〈護摩台リング〉にあがる女の子だ。

 まさかあの凄まじい勢いの攻撃を弾き返す鎧なんかを着ていることもない。

 しかも、そんなものを装着していたにしては彼女の動きはいつも通りのままだった。

 断言できる。

 鎧のような防護をつけてはいない、と。

 では、どうして邪神の攻撃は弾き返されたのだ。

 

「あれ?」


 僕はその時御子内さんのスポーツブラが今度は切り裂かれていたことに気づいた。

 あのままでは胸がはだけてしまう。

 つ、つまり、あの……彼女の些細な胸の膨らみが……

 だけれど、悪いと思う感想や男子特有の劣情より先に僕が気づいたのは、彼女の肌の色だった。


「黒ずんでいる!?」


 僕は御子内さんのビキニの水着姿も知っているけど、彼女の肌は透き通るように白いくきめが細かい。

 退魔巫女という乱暴な職業でなければモデルにでもなれるぐらいに綺麗な肌艶の持ち主なのだ。

 見間違えでもない限り、御子内さんの胸のあたりが黒く変色しているはずがない。

 でも、いくら遠巻きだとはいっても見間違えはしない。

 御子内さんの胸の皮膚はまるで黒い大理石のように染まっていた。


「升麻、気が付いているか、御子内の手もおかしいぞ!」

「あ、はい!!」


 ロバートさんに促されて、少し遅れて僕も気がついた。

 御子内さんの握った拳から手首までもあり得ないほどに黒くなっていたのだ。

 黒人の肌のような自然な質感でも、ペンキを塗ったようなものでもない、一言でいうのならば鋼で形作られた義手をつけているかのごとく。

 ただ、自在に動かせてはいる様なので作りものではなさそうだった。


「えーい!!!!!」


 御子内さんがちょっと可愛い気合いを入れて、後方へ深く一歩震脚をする。

 どーんと地面が揺れる。

 かつての八極拳の拳士・李書文の震脚は生い茂った大木の木の葉を震動と衝撃のみですべて散らせたという。

 これまでそれほどの威力はなかったはずの御子内さんの震脚が、〈護摩台〉から離れた僕らにまで届いて、しかも想定していなかったからあやうく転びかけるなんて、とてもじゃないが尋常ではない。

 人のたった一歩が地震を起こすなんて……

 そんなレベルなのだから。

 ただ、あの後ろへの震脚は―――


「どっせぇぇぇぇぇぇぇいい!!」


 触腕では事態が打開しないと焦ったのか、自分のすぐそばまで接近してきて何倍もの巨体で押し潰そうとした〈ラーン・テゴス〉目掛けて、御子内さんのいつものなんちゃって八極拳ですらない、ただの渾身の右フックが迎え撃った。

 御子内さんの体重では突進を止めるほどの打撃はできないはずなのに、あえて正面から迎撃するというのか。


「「おおおおお!!」」


 次の瞬間、僕らの口から漏れたのは驚愕の声だった。

 御子内さんのフックが邪神の不気味なぐらいに丸い貌を吹き飛ばしたのだ。

 もし、口があったらぐちゃぐちゃに前歯を折られたであろうというぐらいの破壊力で。

 これまで、散々巫女の打撃が効かないように見えた邪神が苦しそうにさえ見えた。


『Wza-y'ei! Wza-y'ei! Ykaa haa bho-ii!!!!』


 邪神が吠えるのは二度目だ。

 しかも、今度は僕にとっては悲鳴のようにさえ聞こえた。

 本当に効いているのか?

 しかし、どうして?


「あの黒い変色の効果か?」


 邪神の鋭いハサミを石のように弾き返し、逆に鉄をまとったように拳を強化する。

 それが彼女の切り札なのか。


「……なるほど、そういうことか」

「何かわかるんですか」

「ああ。おそらくね。私は以前、ちょっとてんの絡みで調べたことがあるが、それを前提で考えれば御子内がどういう思想の元に作られた巫女かだいたいわかったと思う」


 作られたという言い方に少し反感を覚えたが、ロバートさんはこういうきつめの偽悪的な言い回しをするタイプなので気にしないことにする。


「そうすると、あの黒い変色の意味も分かるな」

「本当ですか?」

「あれは、自分の肉体を石、もしくは鉄の様な金属に変えた結果だろうな」


 石、金属―――〈硬気功〉か?


「違う。本当に金属そのもののように硬質化しているんだ。たぶん、もともと、あれが御子内の本質なんだろう」

「本質って」

「身体が石でできている人間。―――いや、もともとは人間ではなく、猿かその化身だったはずだ。御子内は人間であるが、おそらくその血を引いているか、魂を受け継いでいるか、多分そのあたりなのだろう。であれば、あいつのとんでもない身体能力にも納得がいく」


 ああ、僕には思い当たることがある。

 当然、わかっていて然るべき内容なのだ。

 御子内さん本人から聞くまでは黙っていようと思っていたことなのだけれど、これまでのことをすべて継ぎ合わせれば簡単に答えは出てくる。


「わかっているんだろう、升麻。白痴の真似はおまえらしくないぞ」

「はい、そうですね。僕は御子内さんの―――御子内或子の秘密を知っています。随分と前にはもう気が付いていたのかもしれません」

「そうだ。では、聞くぞ。……御子内の正体はなんだ? それがわかればあの黒い変色の意味だってすぐにでるだろう」

「ええ」


 僕は観念した。

 わかってはいたのだ。

 ただ、どういう訳か知りたくなかった。

 だから、淡々と答えた。


「御子内さんのあれは彼女が石から産まれた猿の魂を顕現した存在だからです。もともと石でできた肉体なのだから、その気になれば石に戻ることだってできるでしょう」

「そうだ。正解だ」

「ええ」


 僕はぽつりと答えた。

 


「御子内或子は―――大陸でいまでも信仰されている孫行者、斉天大聖の化身なのですね。斉天大聖―――

「そして、仏教を守護する戦仏の一柱でもある」


 それが僕の巫女レスラーの秘密であった…… 


 

  

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