第583話「神撫音ララVS〈グラーキ〉」



〈グラーキ〉の白いトゲは、直線にしか飛んでこない。

 それは〈グラーキ〉が水中に棲息する邪神であるからであった。

 水中においては水の抵抗があり、あまりに激しい軌道をとることができず、操作するにしても自在とまではいかない。

 ゆえに地上で触腕を振るうにしてもその軌道は直線にならざるを得ないのである。

 神撫音ララにとって、飛来してくるトゲを躱すことなど容易いことであった。

 しかも、〈グラーキ〉は海の底に潜んでいて、彼女を目視していない。

 つまりは、不規則に素早く動く獲物を捉えることは困難ということである。


「ふん、海の中からの奇襲しか能のない邪神が私に触れられるものカネ」


 洞窟の中の少ない灯りの中でもララの動きは変わらない。

 すでにこの段階では邪神の発する妖気を逆手に取り、ララは複雑な軌道をとれない触腕を完全に見切っていたのである。

 ただし、それは攻撃を受けないという意味であって、反撃が可能ということではない。

 逆にララは一度でも判断を誤れば触腕の先のトゲに貫かれて、邪神の餌食にしかならないという薄氷の立場である。

 避け続けるしか、道はない。


「さて、いつまでも受けてばかりはいられないナ。攻めに転じなければ。BLにいえばリバーシだヨ」


 実は少女漫画やBL漫画、レディコミの愛好家であるララは不敵に笑った。

 名前がララであるからか、小さなころから意外と女の子向け漫画好きなところがあるのである。

 彼女はときおりこういう言い回しをする癖があった。

 てぃを使いながら、正中線を保ったまま前進した。

 飛んでくる伸縮自在のトゲと触腕を捌きながら、あっという間に船着き場に到着する。

 ふわりと重さを感じさせぬ跳躍をして、艀に乗った。

 艀が港と結ぶ船は先にはない。

 つまり、基本的に荷の引き渡しはこの洞窟を出た海の上で行うのだろう。

 船の上という不安定な場所に立ってもほとんどララは身体がふらつかない。

 波に逆らわず、ずっと船に立ち続けている。

 その間も海中から飛び出してくる触腕の一撃を躱し続けながら、ララは船のモーターを作動させてゆっくりと航行させた。

 沖縄の島育ちのララにとってボートの運転は子供の頃からの特技だった。

 そして、船上での戦いも慣れたものだった。

〈社務所〉に入るまでも沖縄の船幽霊と戦ってきたこともあって、海での戦いは彼女の特技でもある。

 昔はそれが沖縄育ちだからだと思っていたが、神撫音の使うてぃ生死手シクヌレイティだと気がつき、自分がもともとレプンカムイの巫女の血筋だとわかったとき、彼女は海の上での戦いならば誰よりも優位に立てることを知った。

 レプンカムイ―――水と豊穣を司る、シャチの姿の神。

 その巫女でなるのならば当然水の上こそ主戦場。

 数多の化け物を相手にしても一歩も引かずにやりあえよう。

 ボートはほんの数十秒で洞窟の入り口を抜け、輝きの眩しい星空の下に出た。

 美しい、南国の夜空。

 ララの故郷・沖縄のものとは緯度と経度が違うことから見知った星座たちは幾つか見当たらなかったが、それでも懐かしさに胸が熱くなる。

 十三の夏に逃げ出して以来、一度も帰ったことのない遠き故郷。

 御子内或子の支援という役目を引き受けたのも、わずかばかりの南国への郷愁があったからかもしれない。


「……この夜空を発狂させる訳にはいかないネ」


 人間というものに対しては辛辣な彼女は、この自然そのものにだけは優しかった。

 邪神が復活すれば、人はおろかすべての生きとし生けるものが、美しい風景が、無垢な動植物が、悉く消え去ることになるだろう。

 彼女の守るべき海も。

 特に海底にはあらゆるものを喰らい尽くす呪われし神々がヘドロのように溜まっている。

 今、彼女の足の下―――船底から離れているところに潜む〈グラーキ〉も含めて。

 パン!

 ついに棘がボートの胴体に穴を開けた。

 ララ自身を突き刺せぬとわかったからか、方針を変えたのだ。

 船そのものを破壊して彼女の足場を奪うことにしたのだ。


「遅いなあ。そんなことはもっと前にやるべきダヨ。……所詮、〈グラーキおまえ〉は旧支配者としても小神こものなんだネ」


 開いた穴から浸水していき、あっという間に沈んでいくボートを冷たく見据える。

 焦った素振りは微塵もない。


「この程度で私を殺せると思うとは、まさしく小神こもの


 ララは一歩踏み出した。

 波に乗るように、海の上に。

 全身どころか、足の裏すべてで海上に立つ。

 忍びの使う〈浮舟〉ではない。

 水上を徒歩で移動することができるのは、レプンカムイの巫女の彼女の能力であった。

 練気して〈気〉をためる必要すらない、ララが望むだけ水上を闊歩できる。

〈グラーキ〉の行動は無駄に過ぎなかったのだ。

 さらに邪神は失策を犯していた。

 

「……海底に隠れていれば位置を特定されないとでも思っていたのかネ。残念だけど、私には妖気を見抜く眼がある。それに、水中に潜むものを突き止めることができるのは巫女以外にもいるんだヨ。この世界には第二次大戦の昔から潜水艦とかがいてダネ……」


 ララは空を見上げた。

 

「例えばだ。MAD―――磁気探知機をヘリコプターにつけて探索させるという方法がある。これはダネ、広い海をあてもなく探さなくてはならないからまあ効率の良い方法ではない。地磁気の乱れとかもあるから、潜水艦が海面の近くにいて、かつ航空機も非常に近い位置にいる必要がある。でも、それ以外の探知方法と併用して使えば、潜水艦の位置を特定するなんて難しい話じゃあない」


 ポケットに手を突っ込み、ララはそこから取り出した棒のようなものを二つに折る。

 同時に白煙が噴出した。

 発煙筒であった。

 しかも、水の上で漂っても大丈夫な、遭難用のものである。

 それを投擲して、少し離れた場所に落とした。


「私がポイントを指定しておけば、空を飛んでいるMADを積んだ機体は確実に海底の〈グラーキおまえ〉の居場所を特定できる」


 それから、水上を滑るように遠ざかる。

 発煙筒から少しでも離れるために。


「GBU-28が水中で爆発すれば、そのエネルギーは倍化する。我らが水中の神殿を破壊するために考案したGBU-28-改であるならばさらに威力が増すだろう。まともに受ければ邪神ですら無事ではすまないほどにネ」


 ちらりと後ろを振り向き、ララはすまなそうに深々と頭を下げた。


「ああ、ごめんごめん。GBU-28-改がどういうものか、〈グラーキおまえ〉は知らなかったネ。―――GBU-28-改とは地中貫通爆弾のことサ。バンカーバスターといえばわかりやすいかな。もともとUボートを潰すために考案された兵器だから、水底でこそこそしている〈グラーキおまえ〉にはお似合いの品だろうヨ」


 顔を上げたララの口元には凄絶な笑みが浮かんでいた。


「滅するがいいサ、〈湖の神〉。日本の海は我々のものだ。断じて、貴様ら悪魔どもの好きにはさせない!!」


 ララが手をあげると同時に遥か上空を旋回飛行していた一体の飛行物体が灼熱の刃を投下した。

 イラク戦争でアメリカが使用して、あまりの威力から世界中を震撼させたバンカーバスターが邪神に対して牙を剥くのはそれから数秒後のことであった。




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