第578話「神々の秘め事」



 神撫音ララは琉球武術で使われるさいを構えた。

 一見したところ、十手に見えなくもないさいだが、打つ、突く、受ける、引っかける、投げる等のあらゆる格闘技法に対応して使われる万能武器でもある。

 釵の起源は、大陸で農民が用いていた筆架叉ひっかさだと言われているが、南方の貿易拠点であった琉球王国に中国のものが伝わるというのは無理のない推測であろう。

 琉球武術では、釵を2本1組で使用し、左右の手でそれぞれ持って扱う。

 ララも同様にして順手と逆手で持った。

 彼女が使うのは卍の形をしたまんじ釵と呼ばれるものもで、扱いには熟練がいる武具でもある。

 とはいえ、琉球伝承の古武術・てぃを幼き頃から学んでいたララにとっては遊び道具と似たようなものというイメージしかない。


「やはり、〈グラーキ〉もこの島の水路を伝わってきたノカ」


 大きく穴をあけた壁の中を覗き込むと、さらに奥に深淵が口を開けていた。

 潮の臭いのする風が吹いていた。

 海に繋がっているのだろう。


「かつて、この部屋には隠れキリシタンの末裔が住んでいたという。それが全滅しても、地下に掘られたカタコンベは残ったままなのかネ」


 わずかに電線がつながり、電灯がかすかに灯りをつけていた。

 足元に下へ続く階段がある。

 ララはこの先に〈ラーン・テゴス〉が匿われていたことを推測していた。

 おそらく海側から入ることのできる洞窟の様なものがあるのだろう。

 それを使って本土から〈ラーン・テゴス〉の仮死状態であった肉体を運び入れた。

 なんのために?


「邪神の復活。―――〈無窮にして無敵〉の神をなんとしてでも保護しようとしたものがいた。それがおまえダネ」

「貴様、何者だ…… C教徒か、ヨグ・ソトト教団員か、それとも、〈赤いロヒンギャ〉か……」


 彼女へ向けられた名称にはすべて聞き覚えがある。

 どれもこれも邪悪にして傲慢で、自殺志願者の群れのような教信者どもであった。

 すべて彼女の所属する〈社務所〉の敵である。


「残念だったネ。私はそんなキ印どもじゃない」


 むしろ、逆の存在サ。

 罰当たりにもほどがある程度のネ。


 ……階段の中腹にいたのはオラボナというこの屋敷のオーナーであった。

 穴の中央で胴体に折れた白いトゲが突き刺さったまま縫い止められていた。

 胴体に盛大に二十センチほどの穴が開いているというのに、まだ生きているのが不審であった。

 口元から黒い汁が垂れていた。

 血のようにはとても見えない。


「〈グラーキ〉にやられたようダネ。あいつはこの奥かナ?」

「去ってしまわれた。ワタシに仕置きをしてからね」

「ほお。恨んではいないのカ。貴様は〈グラーキ〉ではなくて〈ラーン・テゴス〉の使徒であろうニ」


 すると、オラボナはひとしきり金切り声のような狂笑を発し、


「ぎゃはははは、ワタシは神の使徒だ!! すべてのありとあらゆる神に己を捧げるのが使徒の道だ!! 〈無窮にして無敵〉の御方も〈湖の神〉の御方もワタシからすれば忠誠と祈念を捧げるに相応しい神よ!! おまえたち雑草などの信仰心とワタシの祈りを一緒にするでないぞ、下郎!!」

「……神であればどんなものでもよく、痛い目にあっても神罰だと贖罪するカ。気持ちの悪い奴だ。貴様に比べればまだC教徒の方が節操があるだけマシにみえるサ」


 とことん蔑んだ視線を動けないオラボナに落とした。

 まったく死ぬ気配も見せない狂信者に対して侮蔑の感情をあらわにする。


「六十年ほど前にロンドンの博物館から〈ラーン・テゴス〉を持ちだしたのは貴様かい?」


 すると、オラボナは顔を歪めて、ララを睨みつけた。


「ワタシのはずがあるか!? ワタシがじょーんずセンセイから受け継いだ〈ラーン・テゴス〉様を持ちだして絶望の淵に落とした小憎らしいやつがいたのだ!!」

「まあ、豈馬からの話では貴様はジョーンズ博物館の名前を使っていたようだから、違うとは思っていたヨ。だが、そうなると、誰が〈ラーン・テゴス〉を世界中で見世物として飾っていたんダネ? 報告が届いているよ、邪神を見世物小屋で展示して歩いたという謎のサンジェルマン伯爵のことがナ」

「……あいつだ!!」

「あいつ?」

「さっき、ワタシをこの石壁の奥に閉じ込めたジジイだ! 石埼だ!!」


 ララはちらりと上を見た。

 屋敷の中に残っている後輩のことを考えたのだ。


「石埼というと、ここの管理会社の男ダネ。そいつが貴様をここに閉じ込めて〈ラーン・テゴス〉と〈グラーキ〉の贄にしようとしたのカ?」

「殺す、あのジジイを殺す!!」


 明確すぎる返事といえた。

 オラボナをこんな目にあわせたのは間違いなく石埼なのだろう。

 だが、石埼の正体を知っているララは少しだけ皮肉な笑顔を浮かべた。


「ナニがおかしい!!」

「だってネ。すべての神の使徒だと名乗るヤツが神様に向けて悪口雑言の呪いを吐くなんて罰当たりだろうと思ってサ」

「……なんだと!?」


 ララは嘲りを言わずにはいられなかった。


「その老人はネ、〈イゴールナク〉、堕悪の神サ。貴様が信奉する邪神どもの一柱のネ。……それを批判するなんてなんて罰当たりなのだろうヨ」


 オラボナの顔が一瞬にして青ざめる。

 身体に穴が開いて血が流れていることをようやく思い出したかのように。


「あ、あれが、あいつが―――〈イゴールナク〉!?」

「そうさ。堕落の神、ニンゲンを悪に落とす無貌の妖魔。……〈嘲笑する裸神〉サネ」


 それから、ララはもうオラボナのことなど目もくれずに走り出した。

 地下に向かって。


「……神に不死身にされた呪われビトヨ。貴様の選んだ神が人間如きに負かされるところをみるがいいサ」


 そうすれば、この死なない人間オラボナがきっと泣き喚くに違いないとララは心の底から愉しく思っていた。


(しかし、新宿の地下のン・カイに潜むツァトゥグァといい、〈ラーン・テゴス〉を探していた〈ミ=ゴ〉といい、ユゴスから来た連中がどうにも不可解な動きをとりまくるネ。いったい、どういうことなんだろうカ?)


 その秘密さえ解明できれば、これからの対邪神戦略が随分と楽になるのだが……

 サディストでありながら、心配性でもある神撫音ララはそんなことを考えながら消えた〈グラーキ〉のあとを追った。




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