第572話「巫女レスラーと邪神〈ラーン・テゴス〉の一騎打ち」



 そいつの胴体は球形をしていた。

 直径でいうとだいたい2メートルぐらいの丸い肉体に、蟹の様な鋭い鋏がついた、関節の場所もわからないぐらいに曲がりくねった長い手足らしきものが六本も生えている。

 頭らしいものもまた球形で、魚眼を思わすまん丸い窪みが三つだけ、逆三角形の形についているが、たぶん、あれは眼だろう。

 その下にある30センチメートル程の長いものは鼻だろうか。

 まともな生き物ならば耳か首の真横らしき位置にえらに似た器官がぷっくりと膨れ上がっている。

 全身には、毛らしいものが生えていたが、それはぶるぶると震えていて、まるで生きているかのようだ。

 いや、コブラの口腔に似た四角い穴が先端についていることから、毛ではなくて何かの管だと考えられる。

 さっき石埼さんを捕まえて呑み込んだことから、あれは触手でもあり伸縮自在の手の役割も果たすものだろう。

 あれは吸盤なのだ。

 そんなものに覆われたた肉体はおそらく獲物を捕らえる狩りをする存在だと考えられる。

 獲物の体液を吸い上げ、そして鋏で殺す凶悪なバケモノ。

 今まで見てきた怪物たちの中でも一二を争う悍ましさと醜悪な外見をしていた。

 とてもではないが人間とは同じ生き物とは思えない。


「なるほど―――邪神……か」


 以前、とある団地で見掛けた不可視の怪物を思い出した。

 ロープが巻き付いたような胴体に人の顔がついた不気味すぎる容姿をしていた―――人と化け物のハーフ。

 確かにあれはとんでもないものだった。

 かつて見たことのない狂気に満ちた存在だった。

 妖怪はおろか、ねじ曲がった最悪の悪霊でさえあいつに比べればまだ人間というか、生物の名残りがあったような気がする。

 だけど、あいつもそうだったけど、こいつも次元が違うレベルで同じ生物とは感じなかった。

 完璧にが異なるものであった。

〈社務所〉に入って以来、色々と突飛なオカルトには触れてきたけれども、御子内さんたちが〈邪神〉として位置づけている存在のほぼすべてが地球というこの惑星の外からやってきた知的生命体であるという説明を僕は受け入れざるを得なかった。

 この太陽系のさらに奥からやってきた〈外なる神〉。

 団地の時の化け物は、別の次元から来た不可触の存在であったようだが、あれだって本を辿れば同じようなものなのだろう。

 僕たち人間の想像力と知性ではとうてい達せない場所からやってきた、グロテスクで残忍で、信じ難い妖力を秘めた高次存在。

 それがなのだろう。

 僕たちが知る神々―――〈五娘明王〉に力を貸している仏法の明王や耶蘇教の神なんかはこの地球産だということがよくわかる。

 どんなに荒ぶれども彼らはの範疇に留まっている。

 だが、この邪神たちは違う。

 化け物、怪物、怪獣なんてくくりでまとめていいものではない。

 悪夢と狂気と恐怖そのものだ。

 哺乳類がまだ鼠だったころに巨大なトカゲに感じていた圧倒的なまでの怯えがカタチとなったような天敵。

 ヒトの捕食者。


「本当にあんなものがこの世界にいるんだ……」


 思わず唾を飲み込んだ。

 のどがカラカラになっていたからだ。


「そうだな」


 すぐ傍で野太いテノールの声が聞こえた。

 覚えのある男性のものだった。

 横を向くと、田口弁護士がパジャマのまま宙を浮いていた。

 いや、こんな姿勢で飛んでいるのはファンキーすぎる。

 姿勢だけでいうと、誰かに背負われている格好だった。

 ただ、背負っている人物は見えない。

 何もそこにはいなかった。

 しかし、それで答えはわかった。


「ロバートさん?」

「ああ、そうだ。帽子をかぶっているので場所はわかるな」


 確かに田口弁護士の顔麻前あたりに不自然に野球の帽子が浮いていた。

 180センチ以上の長身の〈透明人間〉なので視線が帽子にまで及んでいなかったからすぐには気が付かなかったようだ。

 もっともそれ以上にロバート・グリフィンさんがここにいるという事実に驚いていていいはずだが、そんなに衝撃はなかった。

 実際、オスプレイでの〈護摩台〉設置、神撫音ララさんの援軍、目の当たりにした邪神の恐ろしさと悍ましさと立て続けに想定外のショックが重なっていたせいで、何故かロバートさんがここにいるということについても麻痺しそうだった。

 どうして、こんなところに?

 確かにそれは疑問ではあったけど。


「……どうして?」

「〈社務所そしき〉に依頼されてな。この老人ともう一人の警護と調査をな。だからおまえたちとずっと一緒にいた」

「え、もしかして……」

「新橋からの船の中からすぐ近くにいたぞ。まあ、ずっと素っ裸という訳にもいかんが、〈社務所〉に伝わる月光の色に似た姿を消すことのでき〈月の羽衣〉という布でできた靴などで隠れていたのだ」


 全然気が付かなかった。


「たまに御子内や豈馬が気当てで私の位置を探っていただろう」

「あー、そういえば……」


 いつだったか、「同士が全て揃ったところで」とか鉄心さんが言っていたっけ。

 あのときにはロバートさんもいたのか。

 もしかして全裸で。


「でも、どうして?」

「なに、私は保険さ。あのオスプレイのようにな。……敵は〈社務所〉にとっての宿敵の邪神の一柱だ。確実に斃すために色々と策を練っていたらしい。てんがまだ帰ってきていないから、〈五娘明王〉というのを派遣できなかったのは痛かったらしいがな」

「……てんちゃん」


 僕の友達の熊埜御堂てんちゃんはまだ奥多摩のあの安宅船から帰ってきていない。

 彼女の助手をやっていたロバートさんからしたら、きっと辛いことに違いない。


「ただな、まさかここまでカオスな状態になるとは私はおろか巫女たちも考えてはいなかっただろうな」

「カオス……ですか?」

「ああ。混沌として過ぎている。……あの気味が悪い邪神だけじゃなくて、他にも何柱も似たような化け物でもが集まって来ていたんだ」


 とても聞き捨てならないことをロバートさんが口にした。

 何柱も、だって?


「どういうことですか!?」


 よっこらしょっと気絶しているらしい田口弁護士を降ろすと、帽子以外ではどこに彼がいるかわからなくなる。


「さっき〈ラーン・テゴス〉の毛と絡みあっていた白いトゲがあったろう」

「あ、はい。あれは……」

「豈馬の話ではな、あれは海の底から配管を伝わってやってきたもう一柱の邪神の触手らしい。名は〈グラーキ〉。私も聞いたことがなかったが、私の故郷イングランドのブリチェスターで目撃された神らしい。それがいつのまにかこの日本の近海にまで辿り着いていたというわけさ」

「〈グラーキ〉?」

「ああ。それと、私が見張っていたら正体を現した、あの石埼という爺さんに憑りついていた精神寄生体めいた邪神は―――〈イゴールナク〉というそうだ」


 僕は開いた口がふさがらなくなりそうだった。

 あのときの石埼さんにはもう一柱の邪神が憑りついていたっていうのか。

 

「え、じゃ、邪神格といわれている化け物が、さ、三柱も!?」

「そうらしい。あまりに妖気が集中しすぎていてな、私の感覚も狂いそうだ。しかし、まあ、さすがは御子内。こんな中でよく戦えるものだ」


 ロバートさんの視線が〈護摩台〉に向けられた。

 プロレスリングを模した結界の上で待つ御子内さんのもとに、三メートルの化け物がもぞもぞと接近していく。

 ……彼女は動かない。

 邪神を相手にしても、御子内或子は〈護摩台〉で迎え撃つ算段なのだ。

 僕はまだ邪神と呼ばれる連中を侮っていた。

 妖魅か妖怪とさほど差はないだろうと。

 だが、そんなものは勝手な妄想に過ぎなかった。

 邪神―――やはり神と名のついた外宇宙から来た怪物はレベルが違うということを思い知らされただけだった。

 そして、僕はこの時まだまだ甘く見ていた。

 何を?

 

 もちろん、彼女をだ。


 御子内或子を。

 

 白いマットのジャングルで、人を超越した邪神と素手でやり合おうという僕の巫女レスラーを!!



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